TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

新歓登山 ~ 1年生の感想  

2013年01月27日 | SUWV
新歓登山の続編です。
新歓登山のことを、私たちが3年生の時の1年生、A塚君が部誌「木霊」に
感想を綴っていたので、それを全文掲載します。

「新歓レポート」 A塚  (「木霊」第8号 1980年度版より引用)

 「ちょっとワンゲルのBOXに寄ってみようかな」と思い、ワンゲルのBOXにふらっと寄ってみたのが、実は僕がワンゲルに入部した動機でした。別に、山に登ろうとか、サイクリングをしようという確固たる信念というものは、恥ずかしながら持っていなかったのです。それからです。あっという間に事が運んだのは。いや、運ばされたのは。あれよあれよという間に登山靴を買わされ、ユニフォーム、シュラフ、ニッカなどありとあらゆるものをそろえさせられました。このような悪魔も落涙するようなワンゲルの作戦、たいしたものです。
 さて、登山用具一式をそろえた僕が、最初に行ったところ、それが新歓登山の「九重」でした。前日、びっくりするような大きなキスリングに、たくさんの食糧、テントなどをつめ込み、本当にこんな重いものをかつぐのだろうか?冗談ではないだろうか?と思いましたが、冗談ではありませんでした。
 朝早くBOXに行って、それからてくてく駅まで歩きました。そりゃ、はじめは何ともありませんでした。でも、だんだん苦しくなってきました。駅までの道のりの半分くらいまで来たとき、それは絶頂となり、もうキスリングをおろしたくなりました。そして、ふとM原君の方を見ました。ふだん陽気な彼が、物を言いません。いやそれどころか、顔を赤らめ汗をかいています。ここで僕は思いました。「苦しいのは僕だけじゃないんだ。頑張るぞ」と。
 やっとのことで駅まで着きました。そして、先輩の一人が言いました。「ここまで来ると、終わったも同然さ」と。でも、今思いおこすとそれは、冗談のように思えます。ここまでは地獄の入り口ではないでしょうか。汽車に乗り、豊後中村駅に着き、バスに乗りかえ長者原に着き、それから再び、重い荷物をかつぎました。そのとき僕は何を考えていたか。思い出すにも思い出せません。何故でしょうか。答えは一つ。苦しくて考える余裕というものが、なかったからです。そしてやっとのことで坊ヶツルに着きました。着いたときにはM原君と一緒にひっくり返りました。
 翌日ガスが深い中を、久住山に登りました。荷物はかついでいません。頂上に着いたとき、僕が見た物は、すばらしい景色ではなくガスでした。ガスのみの世界です。それから仕方なくお池を通って帰りました。 ここで皆さんは思うでしょう。「ではおまえは、新歓はきつかっただけなのか」と。もし、その通りだったなら、僕はクラブを、登山道具一式を買ったにもかかわらず、やめていたでしょう。でも、そうじゃありませんでした。 このクラブには僕の知らなかった世界があったのです。それは、先輩等との語らい、歌、苦しささどいろんな魅力が存在していたのです。だからこそこのクラブに、僕は今でも所属しているのです。
 新入生勧誘クラブ紹介の文集の一節に、「私は、ワンゲルに賭けた自分の青春・大学生活に自信があります」と書いてありました。この文章は、うそではありませんでした。


       (ワンゲルの部誌「木霊」) 
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新人哀歌・新歓登山

2013年01月27日 | SUWV
「新人哀歌」
山岳部や学校等で、歌詞は違っている。
以下は、私たちが歌っていた「新人哀歌」だ。

 「新人哀歌」 作者不詳 (てっちゃん歌の本より)

一 いやだいやだよワンゲルは  お偉い顔した人ばかり
  一つや二つの年ちがい  どうしてそんなに偉いのか

二 部長先輩雲の上  三年四年はお偉くて
  二年のガキども山の上  お山の大将で大いばり

三 えばりなさるな二年生 1年むだ飯先に喰い
  そろいもそろってごくつぶし 1年前を忘れたか

四 パイプくわえてのし歩き  アゴでしゃくって指図する
  リーダーとたてればつけあがり  昼寝ばかりが能じゃない

五 パートリーダーはジジくさい  サブリーダーはババくさい
  他の部員はエロくさい  メッチェン通れば頭右



次に、新入生歓迎登山、略して「新歓」の様子。
登る山は、たいてい九重連山で、2泊3日の行程である。


お~っ!荷物が歩いている。大きな鍋も。
これぞ「歩荷」(ぼっか)!
荷物を担いでいるのが、歓迎の主役、一年生。
小さなザックは、個人装備だけの先輩達だ。


九重、坊ヶ鶴キャンプ場にテントを張り,みんな輪になって食事。
「ご飯の歌」を歌って、みんなで同じ釜の飯を食う。
オレンジの食器と武器、懐かしいね…。


新人達の自己紹介。
「アテンションプリーズ~!」の声が響き渡る。


山頂での記念撮影。
このとき私は四年生、新人には「雲の上」に見えただろうか。
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なため(鉈目)

2013年01月25日 | 山にまつわる話
私たちは歌っていなかったが、山の歌に「鉈目(なため)」がある。
明治大学ワンダーフォーゲル部の部歌だ。
(歌の方はネットで容易に探すことができる。)


「なため」 作詞・作曲: 小林 碧

一  森深く 迷いたどれば
   古き鉈目は 導きぬ
   人の心の しみじみと
   懐かしうれし 木暗き径に

二  岨茨(そばいばら) いかにありとも
   努め拓きて ともどもに
   愛のしるべを 刻みつつ
   仰ぎて 行かん 真白き峰を

【語注:広辞苑より】
・鉈目(なため):はっきりした道がない森林で、山中生活者・登山者などが
          樹木の幹に鉈でつけた目印。
・岨(そば)  :山の切り立った斜面



写真は道標(みちしるべ)。山の中でこれほど心強いものはない。
道に迷ったかなと思ったときに、目印の赤いテープやケルンを見つけると
何ともいえない安堵感につつまれる。
暗い森の中、不安でいっぱいの時に見つけた鉈目、
よくぞここにと、うれしさとともに感謝の気持ちがわいてくる。

これから進もうとする道は、鉈目さえもついていないかも知れない。
いかに困難が待ち受けていようとも、志を忘れず誠を尽くし、
夢に向かって一歩、一歩と進んでいこう。
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初めての経ケ岳

2013年01月20日 | 山(県内)

 経ケ岳からの眺め 

 平成18年8月4日 初めて多良山系の経ケ岳に登った。
富士登山に向けてのトレーニングの一環だった。
結果はバテバテで、それまでのトレーニングが役に立っていないことを身をもって知った。

 それはさておいて、地元でありながら多良山系に登ることがなかった。
学生時代から数えて3回目である。多良岳が2回で、経ケ岳は今回初めてだった。

 平谷キャンプ場から馬の背、平谷越経由で経ケ岳というコースだったが、
平谷越から経ケ岳への急な斜面で、目が覚めた。
準岩場だ。三点確保で登らなければならない準岩場だった。
驚いた。九州の、しかも、地元長崎県の1000m級の山に三点確保を必要とする山があるなんてと、一気にバテが吹っ飛んだ。

 後で教えてもらったことだが、本来ここには、危険なので鎖やロープが何カ所もかけてあった。
たまたま、私が登った時期に、それらが外されていたとのことだった。
山は本来、はしごや鎖等はないもので、自分の力だけで登るものと考えた人が、
自分の判断でそれまで掛けてあった鎖を外したという。
地元山岳会は、危険だ、事故予防のため、そして多くの人に山に親しんでもらうために鎖を掛けるべきだとその行為に反対したという。大論争があったという。
現在は鎖やロープは掛けてある。
「勝手に外さないで」という注意書きの看板付きで。

 難しい問題だ。双方の言い分はよくわかる。山に入ったとき、
あまりにも多い標識や必要以上の人工物に興ざめすることがある。
それと山での安全をどう両立させるか。
「必要にして十分」のレベルが人によって違うからだ。

 昨年8月、雨の大崩山。晴れていたら何でもないところが、濡れたら滑って危ないことこの上なかった。命辛々下山した。経ケ岳のあそこも同じだろう。
 
 8月、猛暑の中、バテながらも久しぶりの山頂に立つ。
下山後、平谷温泉で汗を流し、一人で反省会をする。


「ロープが外されています」という注意書き



山頂



山頂からみた黒木方面


平谷温泉 緑に囲まれていて癒される。たまたま私一人だったので、中を撮影。

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「初めての富士登山」(3)~ トレーニング編

2013年01月20日 | 山(県外)

富士登山の初日、ツアー客全員で登山の安全を祈願した浅間神社。
しかし、トレーニング無しでの神頼みだけではだめです。
6合目前で早くも脱落者が出たのです。(ホントの話なのです…)


ワンゲルの後輩がこのブログを見つけて、コメントをくれました。

「 私も50を過ぎましたが、やっぱり山を忘れることはできません。老体にむち打ってトレーニングを始めました。最初はやはり天山!春には小城のバス停から天山へ挑戦したいと思っています。」

山に登るにあたって、「トレーニングを始めました」とあります。
やっぱり元ワンゲルだね。
私も、富士山に登るにあたっては、同じように、トレーニングを始めました。
いやしくも元ワンダーフォーゲル部、ツアー登山ごときでバテるわけにはいかん、と。

以下、富士登山に向けてのトレーニングの記録です。

 7月15日      ウォーキング開始
 8月4日       経ケ岳登山
 8月24日~26日  「初めての富士登山」


記録によると、40日前からトレーニングを開始しています。
20日後、トレーニング成果を試そうと多良山系の経ケ岳に登りました。
(この経ケ岳登山は学生時代の「天山荷歩」のような位置づけ)
ところが、バテまくりました。昔から山は弱かったですが、こんなにも体力がついていないとと反省し、トレーニングのやり方を見直しました。
ウオーキングだけでは、山に登る筋肉の強化になってないので、ウォーキングの距離は短縮し、近くの山に登ることにしました。
上山です。山といっても、標高は120mの小高い丘です。
900mの上りを、15分以内に登ることにし、これを2往復することにしました。
上山に行けないときには、階段の上り下りをして脚力の強化に努めました。

トレーニングのかいあって、無事に富士登山を終えることができました。
この富士登山が、山歩き再開のきっかけとなりました。
その後もこのようなトレーニングを続けています。
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「初めての富士登山」(2)~ ツアー登山のようす

2013年01月16日 | 山(県外)
(ツアー「初めての富士登山」 平成18年8月24日~26日)



このツアーは、ネーミングからわかるように、初心者を対象に安全に富士登山を楽しんでもらおうという企画でした。
ツアーということで、コースの案内も、食べるものも、寝るところもすべて用意してあり、後は天気と人並みの体力があれば登れるというものでした。
 
今回は、とても快適だったツアー「初めての富士登山」を紹介します。


 

富士山五合目。ぶらぶらとお土産屋さんの見学。
ここで時間をかけて、高度にからだを慣らすのが富士登山の秘訣です。
これをしないと高山病にかかります。



ずらりと続く山小屋の灯火。暗い中、七合目にある本日のお宿を目指しています。
本当は明るいうちに到着予定でしたが、6合目まででバテる人が出て大幅に遅れました。



山小屋の夕食、思っていたより豪華でした。



寝床ですが、枕と枕の間隔が狭く、横になって仮眠をとる程度です。



朝、出発前の山小屋の玄関。それぞれ準備に慌ただしい。



赤茶けたガレ場をゆっくり、ゆっくりと登っていきます。


途中の山小屋の売店。あんパンにバナナ。飲み物も種類が豊富。
500mLのペットボトルが400円。山頂に近くなるほど値段は高くなります。


途中の休憩のようすです。


やっと山頂に到着です。



富士山頂の小屋で食べた昼食。ラーメン900円也。
インスタントだけど山頂で食べるラーメンの味は格別。



お鉢周りをして、剣が峰を目指しました。



日本最高峰「剣が峰(3776m)」で記念撮影

剣が峰到着後、雲行きがあやしくなり、ついには雨が降り出しました。
雷も鳴り始めたので、昼食を食べた山小屋で待機です。
歌にあるように「雷さまを下に聞く」ことができました。
この日は8合目の太子館での宿泊です。



部屋で、ぬれた雨具やザックを干しているところです。

3日目の朝。日の出前に出発しましたので、途中でご来迎をおがみました。
夜明け前はかなり冷え込みます。




下山後、温泉で汗を流し、この日のうちに長崎に帰りました。
こうして、2泊3日の富士登山は無事に終えることができました。

思い出に残る富士登山でしたが、自分の中にある山登りのイメージと何か違うな…と、漠然とした違和感が残る登山でもありました。
それは、人工的な無機質な登山道や、人の多さ(中には見てくれは登山の格好ですが、あまりにも無防備な観光客…6合目までも歩けない…)などからくるものでしょう。
「富士山は登る山ではない」の、先輩の言葉が思い出されました。
富士山はワンゲルの活動の対象として登る山というよりも、遠くからその美しい山容を愛でる山という意味だったのでしょう。
でも、そのことは一度登ってみないと分からないことでした。
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「初めての富士登山」(1) ~ 山歩き再開のきっかけ

2013年01月13日 | 山(県外)
初めての富士登山は、平成18年8月のことでした。


                     
ワンゲルにいた頃、「富士山は登る山ではない」と先輩に言われていました。
そういうこともあって、富士山を敬遠していたのですが、日本一の富士山に一度は登ってみようと思い立ち、家内と2人で、「はじめての富士登山」なるツアーに参加しました。

7年前のこの富士登山がきっかけとなって、また山歩きをするようになりました。
現在は、ぼちぼちと一人で、時には家内と二人で登っています。


【富士登山のようす】






一定間隔で続く山小屋。安全上必要なものだそうです。


仮眠をとった七合目の山小屋。ここを朝早く出発して山頂を目指します。




登山道はこんな感じのガレ場が続きます。

初めての富士登山は、雲海やご来迎、遠くの山々の眺望、おはち巡りと思い出深いものになりました。
でも、自分の中にある山登りのイメージと何か違うな…と、漠然とした違和感が残る登山でもありました。
しかし、この年、富士山に登ったことが、休止していた山登り再開のきっかけとなりました。


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マンサクの咲く頃に

2013年01月12日 | エッセイ


夜中のこと。
夢の中で、「足が痛い、痛い、痛い、…」
痛みにリアルさが増し、目が覚める。
「痛てぇてぇ…」

先月に怪我をした足。1月8日に固定具がとれサポーターな変わる。
足の自由度が増したのはいいが、寝ているときに、寝返り等で無意識に足が動くのだろう。
2日続けて、夜中に痛みで目が覚めた。

ただの捻挫ではなかった。
ドクター曰く、「前距腓靱帯断裂、3ヶ月はかかりますね」と。

残念ながら、今季の霧氷登山はあきらめなければならない。
早春のマンサクに間に合えばと思っているが。

「マンサク」の語源は諸説あるようだが、
「まず咲く」がなまって「マンサク」になったというのが気に入っている。

冬枯れの山で、他の花に先駆けてまず咲く花「マンサク」
冷気の中、青空をバックに凛として咲く黄色い花「マンサク」

マンサクの咲く頃、多良岳に登れたらいいな…。

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てっちゃんの歌の本

2013年01月04日 | SUWV
SUWVのOBのみなさん、明けましておめでとうございます。

昔懐かしの歌の本です。覚えていますか?
私が1年生の時、3年生のてっちゃんが中心になって編集してくださいました。
山の歌、それぞれに懐かしいですね。







「ライダースインザスカイ」「山の子」「穂高よさらば」「おいらの恋」
「ワンゲルズンドコ節」「ワンゲルポルカ」「新人哀歌」「オーシーハイル」 
そして、「坊ヶ鶴讃歌」

よく歌いましたね。
沈殿したときのテントの中
部室で酒飲んだときやファイヤー
九重、作礼、下宿の部屋

後半には、あの頃はやっていた歌
「岬めぐり」「あの素晴らしい愛をもう一度」 

ファイヤーのフィナーレの定番だった
「今日の日はさよなら」 「遠い世界に」
そして、「シャロム」


コンパの時など、長老達が好んで歌っていた「蒙古放浪の歌」
猛々しくも、惜別の情にあふれた心にしみる歌

 「蒙古放浪の歌」 作詞:村岡昊氏

 心猛くも 鬼神ならぬ
 人と生まれて 情はあれど
 母を見捨てて 波超えていく
 友よ兄等と いつまた逢わん

 海の彼方の 蒙古の砂漠
 男多恨の 身の捨てどころ
 胸に秘めたる 大願あれば
 生きて還らん 望みは持たぬ

 朝日夕日を 馬上に受けて
 続く砂漠の 一筋道を
 大和男子の 血潮を秘めて
 行くや若人 千里の旅路


 
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