新歓登山の続編です。
新歓登山のことを、私たちが3年生の時の1年生、A塚君が部誌「木霊」に
感想を綴っていたので、それを全文掲載します。
「新歓レポート」 A塚 (「木霊」第8号 1980年度版より引用)
「ちょっとワンゲルのBOXに寄ってみようかな」と思い、ワンゲルのBOXにふらっと寄ってみたのが、実は僕がワンゲルに入部した動機でした。別に、山に登ろうとか、サイクリングをしようという確固たる信念というものは、恥ずかしながら持っていなかったのです。それからです。あっという間に事が運んだのは。いや、運ばされたのは。あれよあれよという間に登山靴を買わされ、ユニフォーム、シュラフ、ニッカなどありとあらゆるものをそろえさせられました。このような悪魔も落涙するようなワンゲルの作戦、たいしたものです。
さて、登山用具一式をそろえた僕が、最初に行ったところ、それが新歓登山の「九重」でした。前日、びっくりするような大きなキスリングに、たくさんの食糧、テントなどをつめ込み、本当にこんな重いものをかつぐのだろうか?冗談ではないだろうか?と思いましたが、冗談ではありませんでした。
朝早くBOXに行って、それからてくてく駅まで歩きました。そりゃ、はじめは何ともありませんでした。でも、だんだん苦しくなってきました。駅までの道のりの半分くらいまで来たとき、それは絶頂となり、もうキスリングをおろしたくなりました。そして、ふとM原君の方を見ました。ふだん陽気な彼が、物を言いません。いやそれどころか、顔を赤らめ汗をかいています。ここで僕は思いました。「苦しいのは僕だけじゃないんだ。頑張るぞ」と。
やっとのことで駅まで着きました。そして、先輩の一人が言いました。「ここまで来ると、終わったも同然さ」と。でも、今思いおこすとそれは、冗談のように思えます。ここまでは地獄の入り口ではないでしょうか。汽車に乗り、豊後中村駅に着き、バスに乗りかえ長者原に着き、それから再び、重い荷物をかつぎました。そのとき僕は何を考えていたか。思い出すにも思い出せません。何故でしょうか。答えは一つ。苦しくて考える余裕というものが、なかったからです。そしてやっとのことで坊ヶツルに着きました。着いたときにはM原君と一緒にひっくり返りました。
翌日ガスが深い中を、久住山に登りました。荷物はかついでいません。頂上に着いたとき、僕が見た物は、すばらしい景色ではなくガスでした。ガスのみの世界です。それから仕方なくお池を通って帰りました。 ここで皆さんは思うでしょう。「ではおまえは、新歓はきつかっただけなのか」と。もし、その通りだったなら、僕はクラブを、登山道具一式を買ったにもかかわらず、やめていたでしょう。でも、そうじゃありませんでした。 このクラブには僕の知らなかった世界があったのです。それは、先輩等との語らい、歌、苦しささどいろんな魅力が存在していたのです。だからこそこのクラブに、僕は今でも所属しているのです。
新入生勧誘クラブ紹介の文集の一節に、「私は、ワンゲルに賭けた自分の青春・大学生活に自信があります」と書いてありました。この文章は、うそではありませんでした。
(ワンゲルの部誌「木霊」)
新歓登山のことを、私たちが3年生の時の1年生、A塚君が部誌「木霊」に
感想を綴っていたので、それを全文掲載します。
「新歓レポート」 A塚 (「木霊」第8号 1980年度版より引用)
「ちょっとワンゲルのBOXに寄ってみようかな」と思い、ワンゲルのBOXにふらっと寄ってみたのが、実は僕がワンゲルに入部した動機でした。別に、山に登ろうとか、サイクリングをしようという確固たる信念というものは、恥ずかしながら持っていなかったのです。それからです。あっという間に事が運んだのは。いや、運ばされたのは。あれよあれよという間に登山靴を買わされ、ユニフォーム、シュラフ、ニッカなどありとあらゆるものをそろえさせられました。このような悪魔も落涙するようなワンゲルの作戦、たいしたものです。
さて、登山用具一式をそろえた僕が、最初に行ったところ、それが新歓登山の「九重」でした。前日、びっくりするような大きなキスリングに、たくさんの食糧、テントなどをつめ込み、本当にこんな重いものをかつぐのだろうか?冗談ではないだろうか?と思いましたが、冗談ではありませんでした。
朝早くBOXに行って、それからてくてく駅まで歩きました。そりゃ、はじめは何ともありませんでした。でも、だんだん苦しくなってきました。駅までの道のりの半分くらいまで来たとき、それは絶頂となり、もうキスリングをおろしたくなりました。そして、ふとM原君の方を見ました。ふだん陽気な彼が、物を言いません。いやそれどころか、顔を赤らめ汗をかいています。ここで僕は思いました。「苦しいのは僕だけじゃないんだ。頑張るぞ」と。
やっとのことで駅まで着きました。そして、先輩の一人が言いました。「ここまで来ると、終わったも同然さ」と。でも、今思いおこすとそれは、冗談のように思えます。ここまでは地獄の入り口ではないでしょうか。汽車に乗り、豊後中村駅に着き、バスに乗りかえ長者原に着き、それから再び、重い荷物をかつぎました。そのとき僕は何を考えていたか。思い出すにも思い出せません。何故でしょうか。答えは一つ。苦しくて考える余裕というものが、なかったからです。そしてやっとのことで坊ヶツルに着きました。着いたときにはM原君と一緒にひっくり返りました。
翌日ガスが深い中を、久住山に登りました。荷物はかついでいません。頂上に着いたとき、僕が見た物は、すばらしい景色ではなくガスでした。ガスのみの世界です。それから仕方なくお池を通って帰りました。 ここで皆さんは思うでしょう。「ではおまえは、新歓はきつかっただけなのか」と。もし、その通りだったなら、僕はクラブを、登山道具一式を買ったにもかかわらず、やめていたでしょう。でも、そうじゃありませんでした。 このクラブには僕の知らなかった世界があったのです。それは、先輩等との語らい、歌、苦しささどいろんな魅力が存在していたのです。だからこそこのクラブに、僕は今でも所属しているのです。
新入生勧誘クラブ紹介の文集の一節に、「私は、ワンゲルに賭けた自分の青春・大学生活に自信があります」と書いてありました。この文章は、うそではありませんでした。
(ワンゲルの部誌「木霊」)