TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

桜咲く!

2017年02月19日 | 諫早
この土日は寒くなると天気予報は言っていましたが、青空が広がるうららかな一日となりました。陽気に誘われ諫早公園に行ってみたらなんと気の早いソメイヨシノが開花していました。
注:大寒桜の間違いでした(3/4訂正)

桜咲く


つぼみもふくらむ


開花間近のつぼみ


でも、その多くはまだまだつぼみ
コメント

伊王島へ

2017年02月19日 | お出かけ
昨年OB会があった伊王島を訪ねました。

香焼と伊王島を結ぶ大橋


手前の香焼も、海岸沿いの道が整備され、あっという間に伊王島大橋に着くことができました。

橋を渡ってすぐの馬込浜からの景色


なんとも懐かしさがこみ上げてくる光景です。

実は34年前、香焼の栗ノ浦から漁船で伊王島に渡り、島を訪れたことがありました。
昨年11月のOB会は所用で宴会だけのとんぼ返りでしたので、もう一度ゆっくりと伊王島を訪ねたいと思っていたのですが、やっと実現しました。3度目の伊王島です。


静かな入り江


汀に立つ鳥居と恵比寿様



少しだけアップ


トンネル


井戸


その井戸の側に咲いていた花



ここからはメジャーな観光コース

まずは馬込教会 教会の白さが海の青に映えていました




正面からは気づきませんが、かわらぶきの屋根に日本らしさを感じました。


次に、訪ねたのが島の最先端にある伊王島灯台へ  この光景は…


健さん主演の「あなたへ」のロケ地だそうです。(今日知りました)


「燈臺」
私が中学校の頃に「燈」という漢字が「灯」と書いてもいいようになったような記憶があります。「臺」が「台」になったのはいつ頃でしょうか?単独でこの字がでたら読めません…


初代灯台の基礎  灯台の建て替えに「原爆」が影響していたとは…




そして、灯台記念館へ

グラーバー邸を彷彿とさせる洋式の建物でした。
当時(明治)の職員の休息所跡で貴重な遺構だそうです






中の様子

床の板は明治時代のまま








別棟 当時のお風呂や便所の棟


昔懐かしの五右衛門風呂






案内の説明板によると、明治10年完成の洋風建物で、瓦葺きの平屋。壁は日本最古の無筋コンクリートだそうです。
台風の被害を避けるように灯台下の斜面にひっそりと建っていました。そのことが幸いして原爆の爆風を避けることができたのでしょうね。


断崖に建つ展望台からの眺め

赤いクレーンは香焼にある三菱の100万トンドック

遠くの島々(池島 ここもかって炭鉱で栄えました)


さらに西方には五島列島もうっすらと見えていました。


次に向かったのは海水浴場
この海水浴場はスペイン語で「太陽の海岸」というの意味の「コスタ・デル・ソル」というそうです。 



今は誰もいませんでしたが、夏には賑わうでしょうね



OB会があった「やすらぎ伊王島」へ

売店


本日の昼食 山では味わえないシーフード


レストランの裏手にはオリーブ畑が広がっていました。





昼食後は俊寬僧都の墓碑やその隣にある北原白秋の歌碑などを見学し伊王島を後にしました。




北原白秋の歌(俊寬僧都の遺跡を訪ねて詠んだ歌)

 「いにしえの流され人もかくありてすえいきどおり海をにらみき」




帰路の伊王島大橋から見た高島
ここもかっては炭鉱の島として栄えていました





PS  34年前の伊王島の写真です


これは写真右上の”FujicolorHR83”が示すとおり34年前の伊王島の写真です。
アパートがどこだったかは覚えていませんが、ベランダに干してある洗濯物から当時の賑わいを思い知ることができます。
コメント

千本木(せんぶき)

2017年02月12日 | 島原
千本木


これは昨年11月にアップした「言葉と笑い(嘲笑) 『「ヒルナンデス!』報道に思う」を「千本木」と改題し、一部修正を加えたものです。


11/5のネットアクセスランキング(IT・科学)1位に次の見出しが躍っていました。

「『ヒルナンデス!』で道を教えてくれた男性が『丁(てい)字路』と発言 出演者が笑う一幕にネットで批判続出」
(詳しくは上をクリックしてください)

これには2つの問題をはらんでいます。

1つめは言葉の問題
 「丁字路」か「T字路」かということです。(「ていじろ」か「てぃじろ」か)
最近は「T字路」という言い方も増えましたが、「丁字路(ていじろ)」は正しい日本語です。よってこのことについては論をまたない。

2つめはモラルの問題
 これは大きな問題です。仮に百歩譲ってまちがった言い方をしたとしても、それをマスメディアが笑いのネタにしていいのかという問題です。ましてやこの方は親切にも道を教えてくださったのでしょう。


「モラル」は、報道に携わる人だけの問題ではありませんが、マスメディアの影響の大きさを考えると、報道関係者には特に高いものが求められます。と同時に、報道には言葉や地名の正確さも当然求められるものです。


「言葉と笑い」という見出しにしましたが、ときに、笑い(嘲笑)は使う言葉を萎縮させることがあります。

以前にも述べましたが、高校のとき、私が使う三会の方言を笑う輩がいました。ましてや集団で笑われた日にはへこんだものです。クラスの中で三会出身は私一人でしたが、笑いなんかに負けない精神的な強さが備わっていればよかったのでしょうが…。気弱な私は次第に方言を使わなくなりました。
人が使う言葉をとらえて笑いものにしてはダメでしょうと、今回の「ヒルナンデス!」報道を見て改めて思いました。

さて、マスコミのまちがった報道で地名の読み方が変わった例があります。島原の「千本木」です。「千本木」は「せんぶき」と言っていました。

「せんぶき」と言う人を笑う輩がいたかどうかは分かりませんが、いつの間にか「せんぼんぎ」に変わりました。

私の方言辞典である父でさえ、先日「せんぼんぎ」と言っていたので「せんぶき」じゃと言うと
「『せんぶき』じゃったばってん、いまごらだっでん『せんぼんぎ』といわっすとたい」
「『せんぶき』だったですが、今頃は誰でも『せんぼんぎ』と言われるのですよ」

二十数年前の島原噴火災害のとき、テレビでは現地からの中継が毎日のように流れていました。そして被災者のインタビュー時には、字幕のテロップが入っていました。それを見て、ネイティブな島原弁は確かに分かりにくいだろうと島原出身の私もそう思っていました。しかし、地名は地名で、昔ながらの正しい言い方で報道しなければならないのでしょうが、急を要する事態が続いた当時は検証が間に合わなかったのだろうと思います。

千本木地区は被害が深刻で避難を強いられた地区でした。「せんぶき」が昔からの言い方だったのに、「せんぼんぎ」と字幕付きで報道されたのです。

このことは隈部守氏の「寛政地変再考」の中にも次のように出ています。

「ところで、千本木の読みは、『せんぶき』で、これは『千吹村家数三十余』という古記録を見ても気づく。しかし、現在では『せんぼんぎ』に変わってしまった。これについては草野正一氏が『雲仙火山噴火報道が変えた〈千本木〉地名の呼び方』を発表されている」(以上引用)


今の道路標識にも




「せんぶき」だったのが「せんぼんぎ」に…

コメント

リベンジ! 雪の多良岳へ

2017年02月11日 | 山(県内)
「この冬一番の寒気到来!」
私には学習能力がある。
昨年の失敗に懲り、水道管の凍結に備えた。
凍結による水道管の破裂は、自分の家だけでなく地域に迷惑をかけることになるからだ。

「この冬一番の寒気到来!」
私には学習能力というものがないのか、またアトレーで多良岳に向かおうとしている。
前回の失敗に懲りないのかという心の声が聞こえてくるが、その声に対して伝家の宝刀
「泣きの一回!」

前回は調子にのりすぎてのだ。慎重に運転すれば大丈夫と、別の心の声が後押しをしてくれる。
私の心など都合よくできているものだとあきれてしまう。
ただ泣きの一回だ、絶対に失敗は許されない。慎重に慎重に雪道のハンドルを握った。


まず、昼メシの用意。


国立諫早少年自然の家の前では職員が雪かきをされていた。その横でタイヤチェーンを装着。


そして雪道へ


慎重に


途中で見つけた動物 イノシシにしては鼻が長いような…

他にイタチにも会えたが…
おっとイケない。運転に集中しなければ。

下りは特に慎重に


無事に登山口に到着。ハッチバックのドアは登山準備をするときの雪(雨)よけには最適。


登山口にて




四阿


金泉寺を目指してゆっくりと歩を進める。




ほどなく金泉寺到着(登山口から20分!超楽勝コース)


今回は金泉寺の山小屋で、薪ストーブにあたりながら昼食


山小屋の前から見た五家原岳


金泉寺裏の分岐(四叉路) ここを右へ


誰も踏み込んでいない稜線 吹きだまりの雪の深さは50㎝オーバー


太ももまで雪に埋まり、悪戦苦闘の末に墓石群に到着


ここには多良岳信仰に生涯をささげられた方々が静かに眠っていらっしゃる


深い雪の中でした


コメント

水道管の凍結予防 寒波に備えて

2017年02月11日 | 畑・園芸・工芸・片付け
この冬一番の寒波が来るとのこと。
去年のことが頭をよぎり、さっそく水道管が凍結しないようにむき出しの蛇口をエアーキャップで覆いました。





1年前は「想定外の寒波」に見舞われ、諫早でも水道管の破裂が相次ぎ、その復旧が間に合わず長いこと断水が続きました。(諫早だけで一時12,700世帯が断水)


コメント