TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

ヤマボウシ2 九千部岳へ

2013年06月16日 | 山(県内)

ヤマボウシの花

先週に引き続くヤマボウシを見に田代原へ。
ふだん静かな田代原に異変が…


田代原トレイルセンターの駐車場が満車。いつもは閑散としているのに。


千々石方面の車道。ただでさえ狭い車道に縦列駐車…


反対方向も車、車、車…。県外ナンバーも多数。

私は今回は吹越から登ろうと決めていたので、吹越登山口に回ると…
何とここも


田代原って、そんなにメジャーだったかなと思いながら九千部を目指す。
山にはガスがかかっていたが、山頂に着く頃ガスの切れ目からヤマボウシ咲く山肌を見ることができた。








前回のブログで、「雲仙の山々は、所々雪が降ったように真っ白」と書いていたが、ご覧の通りである。ヤマボウシが乱れ咲く山々を見て、今日一緒だった県外の人が「何で、花の百名山に選ればれないのだろう」と口にされていた。う~ん、何とも…。それはたいへん名誉なことだが、冒頭の車の状況からもわかるように、この小さな山は今日の時点で飽和状態である。山頂付近の登山道は人一人が通るのがやっとの狭さである。

正午頃、一瞬ではあったが、ガスの合間から平成新山を眺めることができた。




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ヤマボウシを見に鳥甲山へ

2013年06月13日 | 山(県内)

(ヤマボウシと吾妻岳 海の中の1本道が有明海の堤防道路)

ミヤマキリシマで大いに賑わった雲仙の山々は今、ところどころ雪が降ったように真っ白です。ヤマボウシの花が満開です。それを見ようと、先日、田代原に行ってきました。



田代原は吾妻岳、九千部岳、鳥甲山に囲まれた静かな牧場です。昔からキャンプ場もあり,そういえば大学3年生の時の西九州合同ワンデリングの会場もここでした。田代原からも十分ヤマボウシが楽しめたのですが,ヤマボウシは高いところから見下ろした方がきれいなので、今まで登ったことのない鳥甲山に登ることにしました。車道を25分と、NTTの電波塔からの登山道を15分、合計40分歩き山頂に着きました。山頂奥の岩場からの眺めは写真の通り最高です。


(吾妻岳と橘湾)


(堤防道路と多良岳(遠景))


(ヤマボウシの花)

昨日から今日の午前中まで雨だったこともあって、久しぶりに遠くの山々がクリアに見えました。PM2.5が雨水に流されたのかも知れません。(きっとそうでしょう)
以前のブログで多良岳から見た雲仙の写真を載せていましたが、今回は逆に雲仙(鳥甲山)から見た多良岳をアップしてみました。



最近、このように遠くの山々が見える日が少なくなったのが残念です。
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國次太郎先生と坊ヶツル讃歌

2013年06月10日 | 山にまつわる話

(1980年秋 当時撮った久住の写真です。スキャナで読み込みました)

SUWV在籍中、三人の顧問の先生にお世話になった。1年の時は、ドイツ語の先生で…(申し訳ないが名前が思い出せない)。次に丹野先生。丹野先生が他の大学に移られ、その後顧問になってくださったのが國次太郎先生だった。

在学中、國次先生と一緒に山に登る機会が二度あった。
1回目は、大学3年秋の九重研修での久住登山だった。。
年季の入った登山靴とチロリアンハット姿は、先生自身が山好きであることを物語っていた。研修を無事終え帰りのバスの中で、先生は「坊ヶツル讃歌」を実に楽しそうに豊かな声量で歌ってくださったのを覚えている。

2回目は、九重研修の数ヶ月後に雲仙普賢岳にご一緒させていただいた。
このときは、福岡教育大(先生は福教大の方でも講義をされていた)のゼミの生徒を普賢登山に連れて行きたいということで、島原出身の私にガイド役として声がかかったのだった。
コースは、島原の焼山から鳩穴を経由して普賢岳であったが(このコースは平成3年の大火砕流で消滅し現在は存在しない)登りはじめてすぐに、「えっ!」と思う出来事があった。
それは、登山道の目印として木に巻いてあるテープを見るや、はさみを取り出し,いきなり切り取られたのだ。何をされるのだろうと見ていると、外したテープを別の枝に巻き直されたのだった。理由は、幹に巻いてあると木が生長するにつれ、テープが食い込み、木を傷めるからとのことだった。何という優しさだろうか、先生への敬愛の念がさらに深まった。

そんな先生が、年に1回発行する部誌「木霊」に寄稿してくださったのが、「坊ヶツル讃歌」の元歌になる「山男の歌」だった。


   「山男の歌」

  人みな花に 酔うときも
  残雪恋ひて(超えて)
  山に入り 涙を流す山男
  雪解の水に 春を知る
  
  - 以下省略 -

この元歌についてはネット上で多数紹介してあるが、「残雪恋ひて」を「超えて」と掛けて表記している歌詞はまだ見たことがない。
以前のブログにも書いたが、國次先生が紹介してくださった歌詞は実に深いと思う。

PS 「ミヤマキリシマ…」のくだりは、当然「ピンク」!  → 「ミヤマキリシマ咲き誇り…」
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初めての九重登山、初めての坊ヶツル讃歌

2013年06月10日 | SUWV
初めての九重登山と言うよりも、初めての山登りが九重新歓登山だった。
1978年の5月のこと、何もわからぬまま汽車とバスを乗り継いで長者原へ。
どんよりとした天気の中、重い荷物を持たされスガモリ越経由で坊ヶツルを目指した。


キスを担いでいるのが1年生。みんなかわいいね!?



スガモリ小屋の前にて記念撮影。ここに荷物を置いて三俣山へピストン。
三俣山頂での集合写真。一緒に写っている5年生、6年生の先輩は雲の上の人だった。


坊ヶツルにテントを張る頃から雨になる。次の日も雨で、一日沈殿。
狭くてじめじめとしたテントの中の生活は、初心者にとってはひじょうに辛いものがあった。
ところが、先輩達はというといたって陽気で、山の歌やゲームにと、降り続く雨などおかまいなしのバカ騒ぎだった。
そんな中、ふだん口数の少ないW先輩の提案で、「ここでは、やっぱこの歌じゃろ」と「坊ヶツル讃歌」を歌うことになったが、あのときの場面はなぜか今でもはっきりと覚えている。
それまでのテントの中の陽気さが一転し、しんみりと「坊ヶツル讃歌」を歌いあげる先輩達の姿に、山のことなど全くわからない私だったが、山男達の絆の深さみたいな何か神聖なものが感じとれた。
その漠然とした何かは、私をして、山から下りたらどのタイミングで退部を切り出そうかと考えていたのを思いとどまらせることとなった。
それまでは、「ワンゲルは狂気の集団か…」「こんな不衛生なテント生活など耐えられない」など一人悶々と不満をふくらませていたというのに…。

(「晴れの日の友より雨の日の友」アウトドアに雨はつきもので、悪天候のときこそ山への心構えが問われる。あの、雨の日のテントの異常なまでの盛り上がりは、山に不慣れな新入部員への思いやりであったと理解するには、もう少し山の経験を重ねる必要があった。)
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続「坊ヶツル讃歌」 ピンクがいい…

2013年06月09日 | 山にまつわる話
以前のブログで、ミヤマキリシマ咲き誇る大船は「ピンク」か「くれない」かと、
坊ヶツル讃歌の歌詞について書いた。

・「ミヤマキリシマ咲き誇り 山はピンクに…」2013年05月25日
・「やっぱりピンク!」2013年05月25日

九重のガイドブックを見ていたら、私が抱いたのと同じ疑問に
坊ヶツル讃歌の作詞者の一人、松本徰夫氏が次のように答えられたと記してある。

  「『山はピンクに』がもと歌です。花の色はくれないではなくピンクに間違いないが、
   当時は『ピンクムードショー』などという芳しくない題名の番組があり、
   NHKの提案によって『くれない』に変更した。
   しかし、今でもピンクの方が優れていると思っている。」

  以上「九重・祖母・大崩を歩く」(山と渓谷社)
         P49「山の歌『坊ガツル讃歌』はこうしてつくられた」より引用

確かに坊ヶツル讃歌は、「NHKみんなの歌」の芹洋子さんの歌で一気に全国に広まったが、作詞者の意に反し、「紅」と本来の花の色まで変えてしまうのは「ピンク」に対する偏見ではないだろうか。
作詞者の一人である松本氏が「今でもピンクの方が優れている」という思いであられるなら、今からでも元に戻してはどうだろうか。


(写真は雲仙の国見岳のミヤマキリシマ)
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