TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

野生の桜 凛として

2023年03月26日 | 山にまつわる話
山肌が所々白くなっていて、山に桜が咲いていることに気づきます。

例えば、雲仙


左下、麓の方です



いつも登っている上山でも



離れたところから山を見ると、白くなっているので桜と気づくのですが、山の中にいるときには桜を見落とします。
それは、花の咲いている高さが下界と全く異なるからです。

例えば上山の桜ですが


この桜も足下ばかり見て歩いていたら見落とします。

高い所で咲いています。

桜は他の木と生存競争で負けないように、他の枝の上の方で花を咲かせるのです。


桜は花の位置が葉っぱの位置になります(ヤマザクラは葉が先ですが)。
ですから、葉っぱを繁らし光合成でエネルギーを得るためには、他の木より上で花を咲かせる必要があるわけです。



この桜に気づいたのは、足下に白い花びらがいっぱい落ちていたからです。



山の桜は、はるか上の方で花を咲かせます。そこが公園の桜との違いで、山で見落とす原因になっています。
公園の桜は観賞用に、日当たりの良い所に、隣と十分に間隔をとって植えられているので、四方に枝を伸ばして目の高さにも花を咲かせます。


以前、山の中の桜を見に行ったことがあります。
それは登山道から少し外れた多良岳の森の中でした。

春がまだ浅く、周囲の木が葉を落としていたので桜と気づくことができました。



真下から見上げると


そこには、生き残るために無駄な部分を一切そぎ落とした野生の桜の姿がありました。

なんてステキな桜でしょう!



山の中では、桜は周囲の木と競い合って生きています。



必死に生きようとしているその姿は圧巻です。



夏には、あの高さに葉を茂らせて光合成を行います。
常緑樹の葉の上、
周囲の落葉樹に負けない高さで。



必死に生きようとしている野生の桜の、その凛とした姿に深い感動を覚えました。
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お家でキャンプ

2022年12月04日 | 山にまつわる話
この週末、わが家(実家の方)で息子と甥がキャンプをしました。
計画では加津佐のキャンプ場でする予定でしたが、天気が悪くなりそうということで、雨のとき避難が容易なわが家の庭に変更したのでした。

元ワンダラーの私としては、アウトドアに雨はつきものだろうと思いながらも、これも時代の流れかと庭でのキャンプを了承したのです。

今回はそんな、息子や甥のお庭キャンプの様子です。


テント


ソロ用のテントをそれぞれに設営


さっそく昼飯


お手軽お鍋


これなら簡単!


今度、私も車中泊時のメニューに加えることにしました。





その頃、私は裏の畑で野良仕事。

サツマイモを収穫した後、乾燥させていた芋がら



その芋がらを燃やしていら、そちらに興味を示し


いつの間にか裏の畑にセットが移動


やっぱり直火の焚火はイイ!




どうせ燃やすのならもっとワイルドにと、以前切り倒していたそのまんまの木を提供





結局、お家でのキャンプは庭から裏の畑へと会場が移ったようです。
(以降は息子が送ってくれた写真です)

日が暮れて


焚火で暖をとりながら


夜が更けていきました。






お家でのキャンプも、庭よりも畑の方が野趣に富み面白かったようです。
それはそうですね、キャンプはそもそも自然の中でするものですから。








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三度の遠征中止に思う

2022年07月24日 | 山にまつわる話
先ほど先輩から連絡がありました。

涸沢ヒュッテのスタッフがコロナに感染し営業停止になった、と。

「えっ!」と思いました。

涸沢での宿泊予定が、件の「涸沢ヒュッテ」だったからです。

宿泊の予定日は7/22(金)
そして、涸沢ヒュッテの感染者発表が本日7/24(日)

山小屋は閉鎖された空間なので、対策はとっていても感染リスクは高いと思います。特に夏の山小屋は大勢の人が利用するのでスタッフさんも大変だと思います。私たちも予定通りに決行していたら罹患していたかも知れません。


コロナ感染者が指数関数的に増加していますが、国は行動規制をしない方針です。
もっとも、いい大人が国に管理されるのもどうかと思います。

管理の反対は…

「自己管理です」

なんて偉そうに書いていますが、中止を決めてしばらくはモヤモヤしていました。でも、今は結果的に良い判断をしたと思っているところです。

先輩からのLINEにも「やめといて良かったね」と書かれていました。

涸沢・北穂中止の判断をしたのは7/16のことでした。
これで3年連続の中止となります。

今回の中止で思うことは、今後もコロナの不安が払拭できないのであれば、テント泊しかないということです。

ただ、山小屋泊だと衣食住の「衣」だけでよいのですが、テント泊になると「住」だけでなく「食」も持っていかなければならないので、荷物があと5~6㎏増えることになります。

それでも安全に登山をしようと思うならテント泊しかありません。

コロナが来年どうなるか分かりませんが、来年は初めからテント泊のつもりで準備をしようと思っています。



写真が1枚も入らなかったので、最後に穂高の写真を

(2015年 夏 常念岳より)
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夏の遠征を断念

2022年07月19日 | 山にまつわる話
遠征の準備はすっかりできていたのですが…

(山小屋泊なので荷物のほとんどが衣類)


7/16に断念しました。
理由はコロナ感染の急激な拡大です。

すぐにキャンセルにかかりました。
ネットで予約していた松本・上高地間のバスと前泊のビジネスホテルはネットでキャンセル。

次に、3軒の山小屋です。
直接電話をするわけですが、どこも「またの機会に」と快く言ってくださり、その声の温かさに涙が出そうになりました。

キャンセルで迷惑を掛けることには変わりはないのですが、パソコンの機械的なキャンセルにはない人の情が感じられました。


さて荷物ですが、遠征を断念したからといってすぐに解く気になれませんでした。

昨日(7/18)、そのままのザックを担いでいつもの上山を歩いてきました。
雨が降ったりやんだりの蒸し暑い中でしたが、なぜか歩きたくなったのです。

ザックの重さは8.2㎏


雨が降りそうだったのだザックカバーを掛けています。

上山山頂


今の気持ちにぴったりの曇天


さらに愛宕山へ

(270段の石段を登る)

蒸し暑い中でしたが噴き出す汗がなぜか気持ちよくモヤモヤしていたものが吹っ切れました。


涸沢・北穂行きはこれで3回目の延期(いずれもコロナが心配で)になりますが、健康であれば次の機会があるはずです。

「山は逃げないが体力は逃げていく」(yamahiroさんの言葉)

名言だと思います。

今回ザックを担いで上山を歩き、この感じならまだ歩けることを実感しました。

体力を逃がさないように心がけて次の機会を窺います。
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梅雨明けに焦る

2022年06月28日 | 山にまつわる話
昨日(6/27)、気象庁は「九州南部が梅雨明けしたとみられる」と発表しました。
さらに、関東甲信越も。

関東甲信越の梅雨明けは「1951年の観測以来最も早い」とも。

昨日の雲仙方面

(6/27)

ここしばらく見えなかった雲仙のお山がクッキリと。

定点観測ではありませんが、一昨日の6/25は


空はどんより
何よりも雲仙のお山がすっぽりと雲に隠れ、九千部岳がハッキリと確認できます。
これは珍しい1枚です。

ここ上山からは、ふだんは九千部岳の山容は後ろの雲仙のお山と重なり埋もれてしまって見られません。

2枚見比べてもらえればその違いが一目瞭然です。

順番は前後しますが、6/26の同じ所




九州北部も「週内の梅雨明けが十分考えられる」とのことです。
ちなみに、平年は7月19日頃です。

またもや昨日(6/27)の別の写真


まだ不安定な空模様ながら夏の雲・積乱雲が顔を出していたので、気象庁の発表前でしたが近々の梅雨明けを予感しました。

梅雨明け
梅雨明け

なぜ梅雨明けにこだわるかというと、梅雨前線が押し上げられると

「梅雨明け」=「夏山の到来」

だからです。

今年こそ涸沢、そして穂高へ

退職後に一番やりたかったことが急に現実味を帯びてきました。
コロナ渦で2年待ちました。
今年は是非ともと思い少しずつ準備を始めていました。

からだ作りでは、上の写真からも分かりますように、梅雨の中ですが傘を差してでも上山歩きを続けていました。
体力の維持のためです。
蒸し暑い中でしたが、暑さにからだを慣らす意味もありました。

それでも、穂高遠征出発日は、梅雨明けが例年並みと想定し7月24日と決めていました。
あと1ヶ月後と思い、ゆっくりと体作りをしていたので、昨日の「関東甲信越」の梅雨明け宣言には驚きました。
焦りました。

急がねば…
予定の大幅変更です。

6月いっぱいは体慣らし
7月に入ってから徐々に負荷を上げ、最終的には天山歩荷まで計画していたのですが急がなければなりません。


窓の外は青空が広がっています。
今日は軽く九千部に登ってくることにしました。

暑そうですが、実際に山に登ると自分のからだの状態が分かります。
もし、九千部でバテるようだったら穂高は夢の夢…
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激流なれど濁流にあらず

2022年06月26日 | 山にまつわる話
毎日新聞に興味深い記事が載っていました。

「今週の本棚」という欄に、「土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命」という本の書評を養老孟司氏が書かれていましたが、その中の一文です。

「豪雨が降っても屋久島の川は濁らないんだよ」

屋久島の清流も豪雨も経験済みですが、豪雨のときに川が濁っていたかどうかは記憶にありません。
もっとも、豪雨のときに川には近づかないし…

屋久島の清流(42年前)


あまりの透明感に川底をのぞき込む後輩Y



清流といえば大崩山の祝子川もそうです。
前日が雨で、川は水量を増し、轟音をたてながらの激流でしたが確かに濁ってはいませんでした。



激流の祝子川(2012年8月24日)









あの時はわく塚コースだったのですが、鉄橋があったので川を渡ることができました。
(橋にたどり着くまでが大変でしたが)

あの日は途中から天気が崩れました。雨の中、坊主尾根を下り途中から林道にエスケープしました。


林道コースの終着点、大崩橋から川を見たところです。






激流ですが濁りは見られません。
大崩山も「豪雨が降っても屋久島の川は濁らないんだよ」と同じでした。

記事のよると
手つかずの豊かな自然は、土が流出しないメカニズムを長い年月を掛けてつくり出しているとのことです。

「人がかく乱しない土地では、土は流出しない」

本には、そのメカニズムを農業に応用し実際に採算が取れるに至るまでの考え方といきさつが記してあるとのことです。


実はこの梅雨の時期、裏の畑の土が雨が降る度に流れて困っていたところです。

記事の中に、「土の健康の5原則」が紹介してありました。
①土をかく乱さない
②土を覆う
③多様性を高める
④土の中に「生きた根」を保つ
⑤動物を組み込む


紹介されている本を読めばもっと具体的に分かるのでしょうが、書評のこの「土の健康の5原則」だけでも十分ヒントになりました。

屋久島も大崩山もあれだけの原生林があるのだから、それを育む豊饒な土があるはずです。
そしてその土を流出させない自然のメカニズムが備わっているから木々が育つわけです。


よし、私も雨が降っても土が流れない「土壌革命」にチャレンジしようと思います。
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九州山岳霊場遺宝

2021年11月28日 | 山にまつわる話
九州歴史資料館の特別展「九州山岳霊場遺宝」を見に、はるばる福岡県小郡市に行ってきました。
長崎から遠いので、県外の山の帰りに寄ろうと思っていたら、とうとう終了1週間前になったのであわてて行った次第です。

九州歴史資料館


玄関


大きな特別展のポスターが貼ってあります。


お目当ては、ポスター右上の仏像です。
これは天祐寺にある四面菩薩坐像です。
四面菩薩(四面神)はそもそも雲仙岳の神様で、四面宮(現在の諫早神社)にあったのですが、明治の神仏分離の折に天祐寺に移されたものです。私は天祐寺の近くに住んでいるのですが、この菩薩は一般に公開されていないので見ることはできません。
ところが、「九州山岳霊場遺宝」展では、この四面菩薩坐像をはじめ、九州北西部の山岳宗教に関係するが貴重な仏像などが一堂に集めてあるのです。
期間は12月5日までで、この機会を逃したらもう見ることはできません。そういうわけで、はるばる小郡まで行ったわけです。

展示物は撮影禁止だったので、ポスターを写しました。

これが「四面菩薩坐像」


ポスターの写真では何となく目が恐そうですが、そうではありません。この仏像を下から拝顔すると、全く別の表情になります。澄んだきれいな目を見開かれて、柔和な顔で何か思索をされているような感じを受けました。
「仏像は下から拝むもの」
以前、何かの本で読んだことが思い出されました。

隣には同じく天祐寺の「如意輪観音坐像」が展示されていました。
これも他の所から神仏分離の難を逃れて天祐寺に移されたものですが、それはそれは凜々しいお顔の仏像でした。四面菩薩は女性的な顔でしたが、こちらは紅顔の美少年といったところでした。写真で紹介できないのが残念です。

ポスターの右下は、これも長崎県のもので、金泉寺の不動明王像です。



この不動明王像は多良岳の金泉寺に祭ってあるものをその場で拝観したことがあります。
今は、諫早市美術歴史館に移されているので、この特別展が終わればこちらで拝観できます。

多良岳の金泉寺


金泉寺に祭ってあった頃の写真


この不動明王については以前のブログ、「太良嶽山金泉寺(3)~ 不動明王と二童子立像」に書いているので、こちらも覗いてもらえれば幸いです。


展示は地域別に展示してありました。

多良岳、雲仙岳
宝満山や若杉山を擁する三郡地域
浮嶽や雷山、背振山や天山を擁する背振山地
四王寺山

全部で55点の展示で、約2時間、ゆっくりと鑑賞しました。


最後に、ポスター左の、木目のきれいな仏像の紹介


これは若杉山の南側に伝わる十一面観音像で、年に一度だけ、4月の第1日曜日に開帳されるそうです。このように、めったに拝観できない仏像などが観賞できる贅沢な企画展でした。
ちなみに、入場料は210円で、65歳以上は無料です。
期間は12月5日まで(月曜日は休館)、あとわずかの展示期間です。
興味があられる方はお早めに。
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山で車がトラブったら

2021年03月21日 | 山にまつわる話
山道で車のトラブルが発生したら大変なことになります。
それは広義の山での遭難にあたります。

これまで3度トラブルに遭いました。
山で車がトラブったらどれほど大変だったか振り返ってみます。

平成29年1月のこと、多良岳林道の雪道で車が制御不能になり側溝に脱輪しました。
側溝に落ちたことで、ダイブまたは崖への正面衝突は免れたのですが…



まず、「自助」。丸太を探して、てこの原理で持ち上げようとしたり、側溝を石で埋めて何とか抜け出そうとしましたがダメでした。
意を決して、ロードサービスに救援を頼もうと携帯を取り出すと非情の「圏外」。
雪道を電波の届く高台まで歩いて行かなければならなかったのです。
アンテナが2本立ったところで、電話したのですが途中で電波障害のため切れてしまいました。
そこで数度試みましたが、ダメ。

アンテナ3本を目指し、さらに雪の中を歩きました。気分はさながら「八甲田山」。

やっと繋がったかと思ったら今度は携帯の電池切れ寸前。
私が契約している任意保険のロードサービスというのが、音声ガイダンスに従い、番号を選んでいくのですが、本丸に到達するまでの選択肢が多く、なかなか受付にたどり着けないのです。

もし、受付にたどり着く前に電池が切れたらアウトでした。

生の人間が電話口に出たとき、私は一方的に次のようなこと伝えました。

携帯の電池が切れかかっているので用件のみの連絡。雪道での脱輪事故。現場は多良岳林道、国立諫早少年自然の家から○㎞ほど東に行ったところ。事故現場は電波が届かないのでそちらからの連絡は受信できないが、救援が来るまで事故現場で待つ。

幸い、話し終わるまで携帯はもってくれました。

それから1時間ほどして救助のロードサービスが来てくれ危機を脱出したのでした。


車のトラブルに対応してくれるロードサービスは有り難いのですが、連絡しないことには来てはくれません。
今回の五葉岳登山の場合、もし自前でパンク修理ができなかったら、電波が届く所を目指して、日隠林道を約10㎞下らなければならないところでした。

自前でのパンク修理は必須です。そのため先日、スペアのタイヤやジャッキ等の確認、交換の予行練習をしたところです。


こんなこともありました。
40年ほど前、雪の天山に登ろうと天山8合目を目指し、チェーン装着で林道を登っていっていたら、雪で隠れていた大きな岩に乗り上げにっちもさっちもいかなくなりました。当時の天山林道は未舗装だったのです。携帯電話もなかった時代、民家のあるところまで下りて、電話を借りるしかないと判断し、雪道を下りようとしたとき、4WDのパジェロが悠々と雪道を登ってきました。これは天の助けとばかり、パジェロに牽引をお願いしたところ、岩を乗り越えることができました。これは「共助」にあたりますが、雪の中、仲間の車があればの話です。また、引っ張ってもらうためのロープが必要なのですが、実は私は牽引ロープはいつも車に積んでいました。ましてや、こんなことがあったのでその後もずうっと車には積んでいます。



この牽引ロープは、40年で4回使いました。脱輪して困っていた他の車を救出してあげたこともあります。


3つめのトラブルは長くなるのでまたの機会に書きたいと思います。

繰り返しになりますが、山での車のトラブルは文字通り「遭難」です。
奥深い山に行こうとすれば当然そのリスクも高まります。山同様の十分な遭難対策が必要です。

過去の失敗で学んだことは、出発前の車の十分な点検と応急処置ができる装備の準備、またそれを使いこなせるスキルを身につけておくということです。
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続・三俣遠征こぼれ話

2020年10月27日 | 山にまつわる話
前回の続きです。
赤川温泉スパージュで1泊し、次なる目標の大船を目指しました。

ルートは大船に近い今水登山口を予定していました。
ところが、今水登山口へは今年7月の豪雨による土砂災害復旧工事のため行けないことが分かりました。(遠征前日にTANEさん情報)
それならと、「誘われて、山・あ・る・記」で見たガラン台からのルートに変更しました。
これなら登り口が今水の近くで、お宿からも近いからです。

朝のうちは雨の予報でしたので、ゆっくりと宿を出たら駐車場はいっぱいでした。
そこで、さらに上のほうまで車を進めゲート近くの路肩に駐車しました。



さあ「大船が呼んでいる」とばかりに身支度に入ったら、家内が頭がフラフラするというのです。
「私は車で寝ているから一人で登ってきて」と。
「車の中でシュラフに入って休んでいるから遠慮なく登ってきて」と。

数年前の常念でも同じことがあったな…

家内を車に残して一人では登れないので、あっさりと断念しました。
山はまた元気な時に登ればいい。山は逃げない!

さて、車をUターンさせなければいけません。
登るのが最後だったので、私たちが降りる頃には近くに停まっている車はいなくなる計算で行けるところまで行ったのですが、これはピンチです。
私はバック走行が大の苦手なのです。

恐る恐る下って行ったら、かろうじてUターンできる場所を見つけました。



赤い車の手前で、何度も何度も切り返してUターンに成功しました。


その後、くじゅう花公園を観光し、ゆっくりと帰路につきました。
大船の紅葉は来年の楽しみです。
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三俣遠征こぼれ話

2020年10月22日 | 山にまつわる話
42年ぶりに三俣に登った時の裏話です。
当初私一人で行く予定で、車中泊の準備をしていました。
日帰りもできるのですが、せっかく九重に行くので、三俣と大船に登ろうと2泊3日の計画を立てていたのです。

車中泊の装備
洗面アイテム+洗濯アイテム+食器洗いセット


それぞれ小袋に入れていたものを1つの袋に入れ、ポリバケツに入れます。


このポリバケツは洗濯、洗い物のほかに、洗面器の代わりにもなる優れものです。

炊事セット


食料



準備は万端でしたが、出発予定の土曜日が雨で1泊2日に計画変更
さらに前日になって、これまで何度も一緒に行こうと誘っていた家内が、体力に自信がないとの理由で二の足を踏んでいたのですが、せっかくだからと急遽一緒に行くことになりました。

私一人なら車中泊も、テント泊もノープロブレムなのですが(むしろそっちのほうがワクワク)、家内にはちょっとハードかなと思い、宿を探すとかろうじて1軒だけ宿が見つかりました。その宿は「赤川温泉スパージュ」。食事なしの素泊まりだけのシステムでしたが、GO TO トラベルの割引は使えて二人で5000円ちょいでした。バンガローや山小屋より安く、温泉と1000円の地域振興商品券のおまけ付きでした。


錦秋の三俣山については前回紹介したので省略します。


無事に山を下りて、前日に予約したお宿に向かいました。

まずお風呂。家族で貸し切りの露天風呂です。


そして食事、近くにコンビニ等もありませんでしたので、車中泊用に用意していた食材をそのまま使いました。

温めるだけのおでん


一緒にレトルトのサバのみぞれ煮も温めます


まるでテントの中のようです

「佐藤のご飯」は宿の電子レンジでチンしました。


出来上がり! 豪華車中泊定食


皿はラップを敷いているので汚れません。
また、ご飯のパックをそのまま食器として使うので洗い物はとんどありません。


泊まったお宿











宿の前の広場でキャンプをている家族も2組ありました。

朝からも露天風呂に入り、次なる目的地大船を目指しました。

 -続くー
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