TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

石に刻まれた「黒龍」という名  吉井勇の歌碑

2020年08月31日 | 吉井勇
 黒龍といふ名を石に刻ませて父をこそおもへ母をこそおもへ  吉井勇


長崎市内にあるというこの歌碑の存在は知っていたが、長崎だったらいつでも行けるという気安さから後回しにしていた。
時間ができたので、さあ訪ねようと思い立ったが場所が分からない。
ネットで検索しても何もヒットしないのだ、何も。

手掛かりは唯一、以前見た「長崎の歌碑一覧」で、それには「某寺の私邸の庭内」とだけ記してある。

個人的な歌らしいので、一般には非公開で、吉井に歌を依頼したその家の中にあるということなのか。
完全に攻めあぐねていたときに、あるところから長崎の勤労福祉会館にあるとの情報が入った。

ついでの用事があったのでその勤労福祉会館を訪ねた。
「カヒ?」
受付で尋ねたが、訪問の意図がうまく伝わらなかった。
「この近くに石碑はありませんか?」
と言葉を換えたら、
「大通り側の坂道に何かあったような…」

ヒット!それだ!

大通り側に回ると、草に埋もれるようにして建っている石碑を発見。
これだ!



歌の方は文字が読みづらかったが、石碑建立の趣意文ははっきりと読むことができた。

【歌碑】  読みにくいが、「黒龍といふ名を石に刻ませて父をこそおもへ母をこそおもへ  吉井勇」


【趣意文】


趣意文を要約すると
昭和27年11月に黒龍堂という会社の社長宮崎雅志さんが黒龍創製45周年、会社設立3周年を記念し、会社の礎を築いた亡き父母の功績や「世のため人のため」にという社訓ともいうべき理念を後承者に伝えるために、歌人吉井勇先生に嘱し由縁の地にこの記念碑を建立したとのことだ。
長崎市出身の父が日露戦争後大陸で研究・処方を完成させたのが皮膚の薬「特殊特効クリーム黒龍」で、その父が大正10年になくなった後は、大陸から引き揚げてきた母(茂木出身)がここに居を構え、昭和18年まで皮膚で悩む人のために全国を行脚し奉仕したとのことだ。

したがって昭和27年は黒龍創製45周年ということになる。
ちなみにこの会社はその後東京に移り、現在もさらに発展を続けている。

趣意文を読むと益々この歌の意味が沁みてくる。

「かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め」というフレーズがあるが、石に刻んだのは感謝の気持ちは勿論のこと、創業者である父母の黒龍に込めた理念もであろう。

さて、長崎の歌碑一覧」の「某寺の私邸の庭内」の記述だが、父母の菩提寺に建てた歌碑が何かの理由で移されたのか、それともはじめからこの地に建ったのかとの疑問が残る結果となった。


割れた碑をつなげた跡があるが…



趣意文の方では「歌人吉井勇先生」の文字がはっきりと読み取れる。





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