じゃがたらお春の碑 (碑には「志やがたらお春」と刻まれている)
「イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた『じゃがたらお春』は鎖国令によって寛永16年(1639) ジャガタラ(現在のインドネシアの首都ジャカルタ )に追放された 。そのお春の境遇に心打たれて詠んだのが次の歌である 。
長崎の鶯は鳴くいまもなほじゃがたら文のお春あはれと
歌碑は昭和27年 、聖福寺境内に歌人の上野初太郎氏が建立した 。五月の除幕式には吉井勇も 参加し、献歌を詠じた。
長崎に来る旅人の目にながく残れよと思ふ碑にむかひて」
(ミライon図書館「長崎県の郷土資料『長崎ゆかりの文学』」より引用)
吉井勇の歌は、石碑の裏面に刻まれていた。
この歌の他に、じゃがたら文を題材にした吉井の歌二首が「夜の心」長崎紀行に収められている。
これやこのじゃがたら文にあらねども今日も悲しき消息を書く
じゃがたらのお春の文のかなしさに似し文来ぬとはかながるひと
多良岳を詠んだ吉井勇の歌がきっかけで、吉井勇に興味をもつようになった。歌集や研究書を読むにつれ、吉井の足跡を訪ねたいとの思いが強くなっている。
その手始めに、長崎県内にある吉井の歌碑を訪ねることにした。
歌碑は、吉井の歌のごくごく一部だが、それには、吉井の思い、歌碑を建てた人の思い、地域の思いが深く刻まれている。
ワクワクしながら、次の目的地である稲佐山に向かう。 - 続く -
「イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた『じゃがたらお春』は鎖国令によって寛永16年(1639) ジャガタラ(現在のインドネシアの首都ジャカルタ )に追放された 。そのお春の境遇に心打たれて詠んだのが次の歌である 。
長崎の鶯は鳴くいまもなほじゃがたら文のお春あはれと
歌碑は昭和27年 、聖福寺境内に歌人の上野初太郎氏が建立した 。五月の除幕式には吉井勇も 参加し、献歌を詠じた。
長崎に来る旅人の目にながく残れよと思ふ碑にむかひて」
(ミライon図書館「長崎県の郷土資料『長崎ゆかりの文学』」より引用)
吉井勇の歌は、石碑の裏面に刻まれていた。
この歌の他に、じゃがたら文を題材にした吉井の歌二首が「夜の心」長崎紀行に収められている。
これやこのじゃがたら文にあらねども今日も悲しき消息を書く
じゃがたらのお春の文のかなしさに似し文来ぬとはかながるひと
多良岳を詠んだ吉井勇の歌がきっかけで、吉井勇に興味をもつようになった。歌集や研究書を読むにつれ、吉井の足跡を訪ねたいとの思いが強くなっている。
その手始めに、長崎県内にある吉井の歌碑を訪ねることにした。
歌碑は、吉井の歌のごくごく一部だが、それには、吉井の思い、歌碑を建てた人の思い、地域の思いが深く刻まれている。
ワクワクしながら、次の目的地である稲佐山に向かう。 - 続く -
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