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タイトル『渡邊昇伝 鞍馬天狗参上』
(広告の右半分は、『日本は太陽の国』。)
著者 稲富裕和
体裁 丸背上製本 A5判 439ページ
価格 3600円
発行 図書出版のぶ工房
これは、渡辺昇の評伝である。
渡辺昇(1838年5月1日 - 1913年11月10日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した大村藩の藩士であり、剣術家、政治家としての顔を持つ人物である。彼は天保9年(1838年)に肥前国大村に生まれ、幼少期から武士道精神に基づく教育を受けた。その生涯を軸に、大村の様子、幕末の志士群像、戊辰戦争での大村藩の奮闘など、幕末から明治にかけての激動の時代を描く。
◆幕末最強の剣豪
渡辺昇は江戸に遊学し、神道無念流の剣術道場「練兵館」に通い、桂小五郎(後の木戸孝允)の後を継いで塾頭を務めた。彼の剣術の腕前は高く評価され、「試衛館」の近藤勇に道場破り退治をしばしば依頼される逸話も残る。後に範士の称号を受ける。
◆幕末の活動
尊王攘夷の思想を持つ渡辺昇は、倒幕運動の中心的人物として活動を始める。薩摩藩と長州藩の同盟を実現させるための仲介役を果たし、これが後の明治維新への道筋を大きく開くことになる。彼の政治的影響力と行動力は、幕末期において重要な役割を果たした。
◆明治新政府での役職
明治維新後、渡辺昇は新政府で様々な役職を歴任する。明治10年(1877年)に大阪府知事、元老院議官、会計検査院長、貴族院議員などを務め、国家の建設と運営に貢献した。また、彼は大日本武徳会の商議員も務め、近代剣道の発展に寄与した。
◆晩年と死
晩年は「其鳳」や「東民」という号を使い、剣道の普及や教育にも力を入れた。1913年に逝去し、正三位勲一等の称号を受けた。
◆文化的影響
渡辺昇の生涯は、幕末から明治への激動の時代を象徴するものであり、その剣術と政治活動は多くの文学作品や歴史研究の題材となっている。桂小五郎はもちろん近藤勇とも知己を得た剣豪であることが、大佛次郎の小説の『鞍馬天狗』のモデルとされる所以である。彼の活動は大村藩の名声を高め、「肥前」大村藩が「薩長土肥」の「肥」として語られるきっかけを作った。
渡辺昇の評伝は、彼が日本近代化の礎を築く一方で、個々の人間としての苦悩や高潔さを描き出すことで、その時代の人間模様を深く理解するための重要な資料となるとともに、大村の幕末での重要な役割を、あらためて人々に知らしめるものとなる。
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