発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

残業にまつわるエトセトラ

2014年06月06日 | 日記
◆残業とわたくし
 今現在私の辞書には、残業手当の文字などない。一日8時間以上、出版社の仕事をしたところで、時給に上乗せがつくわけがない。ぼんやりと生産性の低い仕事っぶりを続けていれば減収となる。収入=本や仕事が売れた報酬、すなわち成果である。
 だからといって、多くの人たちに残業手当がつかなくなるかも知れない件について、自分に関係ないからどうでもいい、とは全然思っていない。
 残業手当がつかなくなることが、より不幸な社会に向かわせているのではないかと思うことと、それだけならまだいいが(よくないけど)そのことが、日本の品質を全体的に下げるのではないかという危惧をもつからである。

◆残業代ゼロの対象は一体全体誰なのか
 残業代がなくなるかも、と、最近よく新聞や週刊誌に書かれている。
 http://news.tbs.co.jp/sp/20140529/newseye/tbs_newseye2212458.html
 これから残業手当がつかなくなる仕事がどこからどこまで、というのは、まだまだ流動的のようである。だが、自分に都合の良い期待は持たない方が良さそうである。
 厚生労働大臣は「労働時間ではなく成果で評価することが可能な『世界レベルの高度専門職』に対象を限定」と言っている。この場合、対象範囲はごく狭い。
 ところが、経済同友会代表幹事らは「幹部候補の労働者などを対象に含めるよう求める案を示した」つまり「年収によって制限は設けず、経営企画や商品開発など企業の中核的人材や管理職の候補などに対象を広げるべきだ」と。
 それは「正社員なら年収(の低さ)は問わないで残業代ゼロにできるようにしたい」と解釈できる。すくなくとも使用者がそう解釈するとしても驚くにはあたらない。
 一生平社員でいいです、と思って正社員になる人っているだろうか? 面接のときに生涯平社員で、と、言って雇ってもらえるだろうか? そもそも「幹部候補募集」って、ブラック企業求人の常套句じゃなかった?
 つまり、全正社員が、残業ゼロの対象になりうるってことではないかと。自分が実質劇的賃下げに遭遇して慌てないように、関連報道には注意されたし。

◆残業手当がつかなくなったら、どうします?
 困る困るって、あなた、マジメにコツコツ働けばいいんですよ。そうすれば成果も上がりますって。
 とはいうものの、どうやって公平かつ正当に成果を評価するんだろう?
 これまでも働く人は、その成果で評価されてきたが、目に見える成果しか評価されないとしたらどうだろう。
 まじめに働かないとか、ダラダラ残業して手当を稼ぐ生産性の低い人は、もともと賞与や昇給の査定で考慮されてきたのではないか。あるいは大半はすでにリストラされてしまったんじゃないのか。
 お金になるからこそ、ダメな同僚や、しでかした後輩(や上司)や他部署のミスの後始末を居残って手伝うこともできるのである。お金になるから、帰りが遅くなっても優しくいられるのである。
 ところが、残業手当がつかないとなると、どうだろう。頑張ったし、それなりの手応えもあったと思うのに、自分の成果として認められにくい仕事の場合、やる気を失う。「やってられねーよ」ということである。
 すると誰もが自分のことだけに専念しだすギスギスした職場を作り出しはしないか。売り上げに直接はつながらない、自分の、あるいは自分の所属するチームの評価にはなりにくい、でも大事な時間のかかる仕事を、賃金にならないからといって誰もがやりたがらなくなったらどうだろう。
 オフィスワークであれば、明日に回せない問い合わせや苦情電話を終業まぎわに取るのは評価してもらえるのか? 要領のいいというか狡い人だけが残業せずに済むということにならないか? 終業30分前から、誰も電話など取らなくなるのではないか? 
 それは品質を落とすことにつながらないか。

◆「生産性の向上」について
「日本人の意欲と能力を最大限引き出し、生産性の高い働きができるかどうかに成長戦略の成否がかかっている」(安倍晋三首相)とはいうものの、それが残業手当なし、とどう関係があるのか。
 残業手当をなくすと、見た目の生産コストを簡単に下げることができる。つまり「生産性」が簡単に上がる。   
 ちょっと単純計算してみよう。
 まったく同じものを同じ分量生産するとして。
 人件費=人数×時給×労働時間として。
 以前は、人を減らすと、時給を変えなくても、残業=労働時間の増加分となり、残業分は通常、所定労働時間の時給の1.25倍を払わないといけないから、人件費はあまり減らない。というより、人を減らしても働く時間の総和が全く同じ場合は、却って人件費が余計にかかる計算になる。
 ところが、残業手当がつかないのを前提とするとなると、人数を減らし、人の数と時給との積が以前より減る範囲で平均時給を上げる(成果という客観的ではない公平ではないかも知れない曖昧な)と、賃金を払わないといけない労働時間が一定となるのであるから、人件費は簡単に削減できる。これは働く人が軽んじられてることにならないか。
 それが「生産性の向上」だとしたら? これは果たして「意欲と能力を最大限生かす」ことになるのか。「見た目の生産コスト」と私が書いたのは、このことが原因で過労死する人が増えたり、まじめに働いても貧しい人が増える可能性と同時に、やる気を失わせ、結果として品質を低下させるシステムになることを危惧しているのである。雇用者が労働者を尊重しなかったら、労働者は仕事を尊重しなくなる。顧客も商品も職場も軽んじるようになる。すると品質が落ちる。一時的に生産コストが下がっても、品質が落ちてしまうのなら、何にもならない。これ以上「日本の品質」が落ちるようなことがあってはならない。

◆品質が低下しない、幸せに働けるシステムを 
 「日本の品質」は、すでにあちこちで落ちている。資源もなく、食料自給率も低いこの国では、働く人の質が日本の価値そのものであるのに。長い時間をかけて品質は見えにくいところで低下している。バブル期に、まじめに汗を流して働くことを軽んじる風潮が生まれ、嘆かわしいと思っていた。バブル崩壊後、少しはまっとうになるかと思っていたが、二十年前に、大量の紙焼き写真の依頼先が「疲れた現像液」を使った役立たずのプリントという信じ難い仕事をしてくれたあたりから、何か変だと思っていた。食材や冷蔵庫の上に寝たり、ピザ生地を顔にのせた写真や、人気俳優がカード利用したレシートをネット投稿するアルバイト。それが日本を侵しつつある職業倫理なのである。
 誰かがとても儲かって、所得の再分配により社会全体が潤ってまわっていけばそれはそれなのかも知れないが、肝心の品質が、これ以上低下しては誰も得はしない(この言い方は私、よく使うね)と思うのだ。
 残業代ゼロはどの範囲となるのか今後の動向から目が離せないけれど、「正社員なら年収(の低さ)は問わないで残業代ゼロに」というのが、品質を保ちながら働く人を幸せにするシステムになるとは私には思えないのだ。
 いよいよ政治の動向が、多くの人の生活そのものにダイレクトに影響してくるかもしれない。さあ、どうする? 無関心でいられるかな。

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