車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ふらり~引田の町歩き・其の二 in 香川県東かがわ市引田町

2021年02月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

昨日に続く~引田の町歩きトップは、引田では珍しい洋風建築の建物で、昭和7年(1932)に建てられた「旧引田郵便局舎」。外壁はタイル貼りで、頂部には「〒」マークをあしらった半円形ペディメント。正面と側面に八角形の窓を対称に配した瀟洒な建物は、喫茶店「風の港館・カフェヌーベルポスト」として利用されています。

素敵なタイル張りの壁に設けられた小さな穴は、換気の為でしょうか?何度も雀が出入りをしているのですが、耳を澄ますと小さなヒナの鳴き声が聞こえます。見てしまったらもうダメ😣・・無事に巣立ってくれますように!

引田町中心街に立地する寄棟造:木造平屋建の「旧引田郵便局舎」は、2010年1月15日、登録有形文化財に指定されました。

旧街道東側に占める敷地の西端に位置する「松村家」。薬種商、医院を営んでいた家で、昭和の初期からは書店と文具店も併設していました。
建物は江戸時代末期に建てられたもので、2011年10月28日に国の登録有形文化財に指定されています。

こちらは昭和5年(1930)築の「長崎家住宅」。長崎家は江戸時代後期から昭和初期まで廻船業を営んでおり、 昭和55年(1980)までは、この場所で醤油の製造も行われていました。

旧阿波街道に面した寺町に境内を構える「積善坊(しゃくぜんぼう)」。この山門には、四国随一と言われる仁王像があり、その色彩の鮮やかさに目を奪われます。これまでいろんなお寺で色んな仁王様にお目にかかってきましたが、派手さで言えば五指に入ると思われます😲

積善坊の南に境内を構える「善覚寺」。山門は、引田城の門を移築したものと言われています。

屋根に目をやれば留蓋の獅子さん、蕾のボタンを傍らにおいて何か楽しそうに下界を見やっています。紹介は省きますが相方の獅子さんは満開の牡丹を持っており、ちゃんと阿吽の一対になっています。

本町と寺町の交点に建立されているのは、四国では色んな場所で見かけた古いへんろ道の道標。「左こんひらみち(琴平道)」「右へんろみち(遍路道)」の文字が刻まれています。

町歩きをしていると思いもかけない場所から声をかけられ、色んな昔話を聞かせていただけます。その度ごとに、引田の町並みはそこに暮らす人たちの「わが町を」と言う想いが作り上げたものなのだという事を、とても強く感じさせられます。文化財の建物だけで引田の町並が成り立っているわけではありません。決められたコースをマップ通りに歩くのではなく、ふらっと道を外れて見るのも良いものです。立ち止まってほんの少し体を屈めて・・素敵な何かがきっと見えてきます。

訪問日:2011年6月17日

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ふらり~引田の町歩き・其の一 in 香川県東かがわ市引田町

2021年02月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

中世より播磨灘における「風待ちの港」として開かれ、引田城城下の港として発展。近世には日用品の集散地および醤油の積出港として栄えた歴史をもつ「引田港」。近代においては、その当時の町並みの保存再生に力を注ぎ、「引田の町並」としての観光資源に活用されています。

昔ながらの景観を今に伝える引田の古い町並みの中に、引田御三家といわれた「旧庄屋:日下家」、「醤油業:岡田家」、「酒・醤油業:佐野家」があります。引田の町並みや東かがわの観光パンフレットに、必ず紹介される赤い醤油蔵の景色。

町中で異彩を放つのは引田御三家のひとつ「岡田家」。赤壁の醤油蔵は宝暦三年(1753)創業の老舗の醤油屋「かめびし屋」の建物。現在でも、日本で唯一のむしろ麹製法による長期熟成のこだわり醤油が製造されています。

築200年を超える醤油蔵は、鮮やかな紅殻色の漆喰壁に守られて、その歴史を培ってきました。天然長期熟成に拘り、三年の歳月をかけて熟成させた諸味で食べる「もろみうどん」は、隠れた名物として、多くのファンを呼んでいるようです。

真紅の壁沿いを歩いているだけで、何もせずとも美しい景色の中の登場人物になれる・・・

何かを足しても、何もなくとも、その空間そのものが壮大なアートのようにもなるこの一画。見つめていると目の奥までもが真紅に染まるような不思議な錯覚を覚え、かすかなたじろぎを感じます。

かめびし事務室及び展示室・赤門・かめびし蔵等々・・・18棟の建造物は2003年9月19日付けで国の登録有形文化財に登録されています。

引田の町並み散策の拠点となるのが「讃州井筒屋敷」。引田随一の豪商として江戸期から昭和まで醤油屋「井筒屋」を営んだ引田御三家のひとつ「佐野家」です。

現在は観光施設としてリニューアルされ、 住居だった当時の母屋や庭などを見学する事ができます。

また、蔵を活用したショップでは、特産品の買い物や食事などが楽しめるようになっています。手袋の生産日本一の町・東かがわ。良質の国産の手袋の付け心地は是非ともお試しあれ!絶対に欲しくなる事請合います😄

引田御三家、最後は江戸初期から明治初期まで、代々大内郡の大庄屋を務め、商店や船の取り締まりを行っていた「日下家」の長屋門。
こちらは現在、住居として人が住まわれており、当然外観のみの見学となります。

焼酎醸造の煙突を保存した「煙突広場」なんていうのもあったり・・本町通りから寺町通りへ、ふらり町歩きはもう少し続きます。

訪問日:2011年6月17日

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誉田八幡宮 in 香川県東かがわ市引田

2021年02月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

東かがわ市引田に鎮座される「誉田八幡神社」。御祭神は「誉田別尊、気長足姫尊、皇后仲姫尊」。

由緒「承和8年(841)、手置帆負命の末裔で大内郡の領主である忌部正國が誉田八幡宮に参拝した際に神託により神宝2品を授かり、1品は伊座中山、もう1品は忌部中山家の後園に祀る。延久元年(1069)、伊座中山にある神宝は引田の亀山の頂に遷座され、引田七郷の鎮守神とされる。」

一の鳥居前より神域を守護されるのは、昭和13年(1938)10月吉日建立の構え型狛犬さん。大量のあご毛が重そうな狛犬さんは、構えているというよりも、あご毛の重さで体が勝手にこんな姿勢になったのでは?

一の鳥居から参道を進んだ先に〆柱、その先には二の鳥居と神門が見えています。

〆柱前の左右より神域を守護されているのは、異国の香りを漂わせる狛犬さん。目一杯怖い顔で精一杯ふんぞり返っていますが、ちっとも怖くないですよ😊

拝殿へといたる急な石段・・・そう、もの凄く急な石段を登った先に二つ目の〆鳥居。そしてさらに急な石段😣と、その先に三の鳥居の境内が見えています。

もう若くも元気でもない二人😓、何とか遭難せずに拝殿まで辿り着けました😩。

石段の上、拝殿前より神域を守護されるのは、赤い前垂れがとてもよくお似合いの、安政3年(1856)3月吉日建立の浪速型狛犬さん。いろんな意味で・・秀逸な一対😅

境内には沢山の境内社が鎮座されていますが、まずは「鎮魂社」。おそらくこの地域の戦没者の方々が祀られていると思われます。

「高良神社」。御祭神は『武内宿祢』。朱塗りが美しい「亀山稲荷大明神」御祭神は『大宜津比売神(おおげつひめのかみ)』

「亀山稲荷大明神」の社殿の向背には二匹の神狐さんが仲良く追いかけっこ。このような構図はあまり見かけませんが、とても良い雰囲気。

本殿の近くに奉納されていた「魚の石」。大漁の御神徳があるそうです。

幸せを呼ぶ「福の石」と刻まれています。

最後はちょっと変り種を二点、神馬舎の木製の御神馬。位置的にアップに出来なかったのですが、目がね・・・なんか色々とすごいんです😠 

奉納の石灯籠は、下から「桶」「盥(たらい)」「提灯」「笠」。これって何かの判じ物でしょうか?いずれにしても良く出来すぎていて、撫でまわしてきました😆

    

参拝日:2011年6月17日

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若宮八幡神社in東かがわ市白鳥

2021年02月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

東かがわ市東山に鎮座される「若宮八幡神社」。境内に由緒などの類は見られず詳細は不明です。

一般的には、「八幡様の若宮」という意味 を持つものと思われ、多くは宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請。八幡神・応神天皇の御子神「仁徳天皇(大鷦鷯尊)」が奉られます。また他に、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」もあり、この場合は「応神天皇」が奉られます。

鳥居の手前より神域を守護されるのは、昭和14年(1939)1月建立の素朴なイメージが何とも優しい狛犬さん一対。どこにいても、穏やかな眼差しで、参拝者と神域を見守ってくれているようです。

拝殿前の鳥居脇より神域を守護されるのは、昭和11年(1936)1月建立のかなり小柄な狛犬さん。

一生懸命頑張ってる顔ですが、しかめた眉と上向きの鼻の愛らしさが相まって、思わず頭を撫で撫でしたくなるお顔立ち😄

境内にあった小さな祠には、曰くありそうな丸い石。右隣には違和感満載の仙人が三猿を従えて立っています。それにしても この仙人の正体???

三猿と言えば一般的には一面六臂の青面金剛と決まっていますが、こちらは全く別の・・行者様に近い・・かといって役行者様とも違う・・???

参拝日:2011年6月17日

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津田石清水神社 in 香川県さぬき市津田町

2021年02月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

さぬき市津田町に鎮座される「石清水神社」。御祭神は『誉田別命(ほんだわけのみこと)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)、玉姫命(たまひめのみこと)』

由緒「 承平6年(936)8月、多和郷の産土神として神野の地に創祀した、天暦4年(950)3月、山城国石清水八幡宮の分霊を勧請したとか、 承和元年(834)、宇佐八幡より奉遷勧請したともいわれているが、どれも定説ではない。一説には、安富肥前守盛方が雨滝城鬼門 守護のため、宇佐八幡を勧請して建てたとの説もある。 天正11年(1583)、兵火にかかって社殿焼失したが、文禄元年(1592)8月再建。慶長年間干ばつが続き境内地を含めて新池築造のため、 慶長5年に現在地に遷座した。明治4年、それまで津田八幡宮と称してきたのを石清水神社と改称した。」

両側に濃い緑の影を落とす松並木の参道を進むと、随身門。内にはそれぞれ随身様が座しておられ、神域を守護されています。

たまに、どっちが右大臣でどっちが左大臣なの?と聞かれるのですが、お若い方が右大臣だと覚えておくと分かりやすいと答えています(たまに顔の判別が出来なくなった古い随身様もいますが・・)

年齢的なものも当然ありますが、位はもちろん左大臣の方が上です。

随身門の前より神域を守護されるのは、安永4年(1775年)吉日建立の狛犬さん一対。 ちなみに大きな声では言えませんが😅、阿形さんは立派な男(おのこ)です。

津田石清水神社は、夏至の時に登る日の出の方角を向いて建てられているといいます。随身門から真っ直ぐに続く参道、その先に東向きの拝殿。

拝殿前より神域を守護されるのは、明治時代の奉納と言われる、四国では珍しい日本狼を模した狛犬さん一対。精悍な顔立ちながら、どこかすっきりと整って見えるのは、「日本」という名を持つものへの贔屓ゆえかもしれません。

随身門と拝殿の中間あたり、参道両脇より神域を守護されるのは大正元年(1912年)吉日建立の狛犬さん。例の某国量産型💦ではないのに、個人的な趣味に走るご亭主殿に無視されてしまった「本家・岡崎型」の一対。

境内に奉納された御神馬、腹掛けには神社の御神紋「三つ巴」。

そのすぐ近くに神馬舎があり、そちらに奉納されているのは・・たてがみが角のようにも見える黒馬。顔からのアップ故、体に比して顔のみが大きく見えていますが、実際にはスラリとした美しい姿です。

「境内社:加賀神社」他、幾つかの境内社が祭られていますが、細かく画像に残さなかった為、個々の詳細は不明。

参拝日:2018年6月19日

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ご当地マンホール in 香川県旧香南町(高松市)

2021年02月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

旧香川郡香南町(こうなんちょう)は高松市の南西部に位置した町です。高松市、香川郡香川町、綾歌郡綾南町・綾上町に隣接。讃岐山脈の北麓にあって、南に高く、北に低いなだらかな丘陵地に町域が広がり、町名は、町の位置が香川郡の南部にあることに由来。町内には、南北に香東川、古川、本津川の3本の川が流れ、また、音谷池を始め、大小170余のため池が点在し、農地面積は町全体の5割近くを占め、米作のほか富有柿などの果樹栽培が盛んに行われています。1989年には町の南部に高松空港が開港、空港周辺には、「さぬき空港公園」や「さぬきこどもの国」などの観光施設のほか、体験型農業施設「香南アグリーム」や「香川県園芸総合センター」などが整備されています。「町の木:モクセイ」「町の花:キク」を制定。

旧キャッチフレーズは「緑豊かな空港の町」

明治23年(1890)、町村制の施行により池西村・由佐村が発足。

1956年、由佐村、池西村が合併、香川郡香南町が発足。

2006年、高松市に編入、高松市香南町となりました。

マンホールには空港の町らしく、「飛行機」、「町の花:菊」「町の木:モクセイ」がデザインされています。

同じデザインですが、こちらは左上の自治体名が「たかまつし」に変わっています。

昭和34年9月25日制定の町章は「香南町の「こ」、「三角 」は人と、由佐・池西二ケ村合併の形態を表し、もちつもたれつで助けあいの愛の精神を表し、「○」は一致団結円満に町が進歩発展すべきシンボルである。」合併協議会資料より

香南町のマスコットキャラクター「獅子舞のししまるくん」。1993年の東四国国体をきっかけに誕生しました。

撮影日:2011年6月17日

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2011年の車中泊の旅では高松市香南町にある「道の駅・香南楽湯」にて車中泊をさせて頂きました。 施設名どおり、日帰り温泉が併設されており、おかげさまで、一日の疲れをしっかりと流し、快適な朝を迎えることが出来きました。

車で旅をする私たちにとってこうした施設は本当に有り難く大切な場所です。 

改めて、その節は有難うございました🙏🙏

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牟礼町&庵治町~あちこちウォッチ in 香川県高松市

2021年02月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

高松市東部に位置する牟礼町・庵治町は、最高級石材の庵治石を産する日本.一の石の町。牟礼支所の敷地には、石の町らしく庵治石を用いたユニークで楽しいモニュメントが展示されています。

現代を象徴する車が、庵治石の殻を破って飛び出してくる瞬間。実にシュールですが、あなたならどんなタイトルをつけますか?

西を望めば屋島が見える自然豊かな「高松市立岬城公園」。庵治石の産地にふさわしく、点在する石の彫刻は見応えがあり、自然とアートを同時に楽しめる憩いの公園です。

トイレもここまで拘れば、いわゆる巨匠の「なんちゃぁ~ようわからん?」作品よりずっとモダンで素敵なアート😄

などと言った所為かどうか、これどう見ても憩いとか、アートを楽しむと言う雰囲気ではないですよね。 もしかして巨匠のミイラの呪い?!😱

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源平八島古戦場跡・与一公園には、平家物語のクライマックスの一つ「扇の的」にちなんだ名所「駒立岩」が有ります。

源氏の軍勢に追い詰められてゆく平家。その時、平家方より女官を乗せた一艘の船が近づいてきました。その船の舳先には扇が・・波に漂う船に掲げてあるその扇の的を射てみよとの挑戦を受けた義経は、那須与一にその任を命じます。

「もし、射損じれば弓を折って死ぬまで」と心に決め、「南無八幡大菩薩!願わくは・・・」と 一心に祈りつつ、荒れる海に乗り入れた与一。海中にあった大石(駒立岩)に馬を立たせ、無心に扇をねらって弓を放てば、矢は長鳴りを浦に響かせ、パシッと音を立て命中!扇は空高く舞い上がる!! 想像するだけで鳥肌が立つ場面、しかもその時の与一は完璧に絶世の美男子です😄

その駒立岩の正面、鳥居の奥に鎮座される「久通浜塩釜神社」

神域を守護される狛犬さんたちは社の側面に、お互いを見守るように仲良く玉を抱えて並んでいるのです。その表情の優しさが何故か心に残って忘れ難い一対となりました。

訪問日:2011年6月17日

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石清尾(いわせお)八幡宮~其の二 in 香川県高松市宮脇町

2021年01月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

石清尾(いわせお)八幡宮~其の二、昨日の其の一からの続きです。

下拝殿の右手に、かなり規模の大きな絵馬堂があり、実に多種多様な絵馬が奉納されています。

いずれも興味深い内容なのですが、特に目を引いたのがこの二枚。一枚は文化三年(1806)奉納の「算額(さんがく)」。理数が大の苦手だった私と違って、ご亭主殿は興味津々、聞いても??の私に、無駄な絵解きを始めてくれます😅

もう一枚は大切に金網に保護された龍の鏝絵で、「大正弐年四月参拾日吉日 高松市の左官士」による奉納と記されています。これほどの重量の鏝絵が、良くぞ無事に存在した事に感動すら覚えます。

神社内には数多くの境内社が鎮座されています。神明社・若宮社へといたる石段より神域を守護されるのは、「藩中」と刻まれた台座に立つ狛犬さん。いずれの時代かは不明ですが、江戸時代の奉納と思われます。

こちらの狛犬さんだけは特別なのか、それとも特に何かの願掛けをされる方がいたのか、白い前垂れが奉納されていました。それにしても・・前垂れがこんなに似合う狛犬さんも珍しい・・・😅

石段正面に鎮座されるのは「神明社」、『天照大神、住吉三神、藤原鎌足公』が奉られます。

その右手に鎮座されるのは「若宮社」、『仁徳天皇』をご祭神とします。

下拝殿の右手に並ぶ境内社、左から「高良社=建内宿禰」「御先社=天之宇受売命、猿田彦命』

「廣瀬龍田社=級長津彦命、級長津比売命、若宇賀能売命、少彦名命、大年命」「北口霊社=友安刑部霊、友安治部霊

下拝殿近くには、昭和二年十一月奉納の子午線方位盤があります。かなり大きなものですが、これで見ると「子・午」の意味が良く理解できますね。

恒例の神社彫刻は手水舎の蛙股で、桃の実を手に、花木の下でくつろぐ、太鼓腹(中国ではお大尽の代名詞)の男と、唐子二人。

もう一枚は、竹林に潜む虎の親子。親は周囲に満遍なく目を光らせながら、子虎が不用意に飛び出さないように背を押えています。

境内に奉納された御神馬。腹掛けには御神紋の「三つ巴」、こちらでは珍しく背中に御幣(ごへい)が立てられています。

そうそう、実はもう一体、境内社へと向う石段の下にも御神馬が奉納されていました。これまであまり目にしたことの無い優しい顔立ちで、もしかしたら何か説明が有ったかもしれないのですが・・・

「石清尾八幡宮」の境内、ここには氏子さんたちに大切に守られた猫さんたちが居ます。そう思えたのは、どの仔も綺麗な毛並みと、綺麗な顔(目)をしていたからです。こんな時は、いつもよりも大目に気持ちを納めさせていただきます🙏🙏

私たちが単なる猫好きだと察した猫さんが、側に来て無防備な姿で毛づくろいを始めました。なんでもない事なのですが、外で暮らす猫が気になる私には、とても嬉しい出来事でした。

参拝日:2011年6月17日

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石清尾(いわせお)八幡宮~其の一 in 香川県高松市宮脇町

2021年01月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

高松市宮脇町に鎮座される「石清尾(いわせお)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・仲哀天皇・神功皇后』。

神社由緒に「延喜18年(918)、八幡大神様が亀命山(現在の石清尾山)山上に現れたので、当時の国司が山上に祠を建ててお祀りしたと伝わっています。石清尾八幡宮の社名の由来は、当時社殿があった赤塔山が亀ノ尾山塊の山裾にあたり、石清水八幡宮の「石清水」と「亀の尾」を一つにあわせて「石清尾」になったと言われています。~以下略」

鳥居の先、随身門へと至る神橋の左右より神域を守護されるのは、天保12年(1841)2月吉日建立。ずんぐりむっくり体系、獅子舞を連想させる、とても安定感のある狛犬さん一対。

「随神門」を守護されるのは、天明6年(1786)8月建立の陶器製の狛犬さん一対。どことなく気品が感じられるのは、単に私たちが陶器の狛犬さんが好きと言う理由からかも😉

お顔の感じからすると備前焼の獅子狛犬さんにとても似ていると思うのですが、陶器の肌の色合いが信楽焼きっぽくも見えるし・・何所のお生まれなのか気になります。

拝殿から本殿へと至る長く立派な石段、その左右にも神域を守護される狛犬さんがおいでです。

拝殿石段の入り口より神域を守護されるのは、安政5年(1858)8月吉日建立の狛犬さん一対。平らな壁際にもぴったりの後ろ姿がポイント😊

1989年に氏子崇敬者の浄財により復興された上拝殿。絢爛豪華と言う言葉がしっくりするほど艶やかな佇まいで鎮座されています。(旧本殿・幣殿・上拝殿は昭和61年に焼失)

境内社・絵馬殿と奉納絵馬・・・等々、もう少し続く「石清尾八幡宮」、続きは明日に。

参拝日:2011年6月17日

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