2024年正月、能登一帯を襲った地震の報に我が目を、我が耳を疑いました。見知った町が・・大好きな街が崩れてゆく様は悪夢以外の何物でもない。
一年という歳月が過ぎ、今なお復興が終わらない事に胸が痛み心が軋み続けます。復興ボランティアで能登に赴いた義姉のお兄さんは、屋根からの転落事故によって、11月半ばにやっと岡山に帰り、地元の病院に再入院。つい先日二度目の手術を終えて今も入院中。・・・一緒に能登に行かれ、同じ事故にあわれた仲間の方は、お骨になって自宅に帰られたと聞きました🙏
いろんな想いが渦巻いて、キーを打つ指が震え、画面がにじんでしまいます。それでも年末を一つの区切りとして、区切りとなることを願って・・・
「能登は優しや土までも」・・空も木々もそこに住む人たちすべて、私の記憶の中の能登は何年経っても、優しくて穏やかな町のまま。2024年の終わりの日は、大好きな、大好きな懐かしい景色を振り返ってみたい。
「白米(しらよね)千枚田」・・初めてその写真を見たときの感動は今も鮮明に記憶に焼き付いています。 日本海に面した急斜面、小さな田が幾重にも重なって海岸まで続き、その先に見えるのは白く砕ける波。深い群青の海。
高洲山の裾野の1.2ヘクタールにわたる急斜面に沿って、幾重にも重なる田んぼ、その数1,004枚。 1枚の田の平均面積は18平方メートル程で、栽培は昔ながらの手作業で行なわれています。働くにはあまりにも過酷な・・・、ですが鑑賞の対象としてはこの上なく美しい「白米千枚田」。どの季節に訪れようとも、その時々の美しさが私の心をひきつけます。2015年5月、田に水が張られたらもうすぐ田植えの季節、米作りで一番大変な作業が始まります。
2011年10月、稲刈りが終わった後の田圃はまるで大役を果たして満足しきったようにゆったりと・・・。実際に見る事は出来なかったけれど、苗が青々と風にそよぐ様も、黄金の稲穂が頭をたれて輝く様も、きっと素晴らしい光景だった事でしょう。
能登を代表する美しい絶景は「日本の棚田百選」は無論のこと、2001年には「国の名勝」に、2011年6月には「世界農業遺産」に認定されました。これまで多くの棚田を見てきましたが、これほど息を呑む光景は、おそらく初めてだと思います。
訪問日:2011年10月16日&2015年5月23日
能登半島有数の景勝地であり、国の名勝および天然記念物にも指定されている「曽々木海岸」。 日本海の荒波によって浸食された断崖は、人の概念では予想もつかない奇岩を生み出しています。
曽々木海岸を代表する観光スポット「窓岩」。板状の岩の真ん中、何百年にも渡って波と風の力で穿たれた穴は、まさしく岩の「窓」。伝説では『源義経』が弓で射た穴とも言われているそうですが・・・ここからさほど遠くない場所は「平家の里」。
「平家にあらずんば人にあらず」・・「平家の郷」の主人公である『平時忠』は、清盛の妻『時子』の弟として清盛を補佐しつつも、実権を一手に担った参謀です。清盛亡き後、平家の実質的な指導者として権力を握り、冒頭の言葉を残したと言われています。
壇ノ浦の戦いで捕えられた『平時忠』は、三種の神器の一つ「神鏡」を守った功績により死罪を免れ、能登に配流となり、その4年後にこの地で生涯を終えました。
その後、嫡子である『平時国』は近隣の村々を統合し館を構え、今も尚その系譜は続いています。国指定重要文化財の最大級古民家 第21代当主によって築かれた189坪の豪壮巨大な屋敷「上時国家」。
江戸後期、名工「安幸」が28年かけて完成させた、入母屋萱ぶきの巨大民家。これほどの建物が残されていることに感動!
訪問日:2015年5月23日
能登半島の先端部、珠洲市の鵜飼海岸の沖合に浮かぶ白亜の島「見附島(みつけじま)」。高さ約28mの無人島は、その形が軍艦に似ていることから、「軍艦島」とも呼ばれています。言われて見れば見えなくも無いですが、生茂る木々が、ちょっと小首をかしげたおばちゃんの髪の毛みたいで。しかも上手い具合にそれらしい位置に目と口・・・😁 更に、おばちゃんの陰に隠れてこっそりこっちを見る小さな顔も😊
見附島の名は『空海』が佐渡島から当地方に渡った際、最初に見付けた島である事に由来します。くもり空の下でしたが、心に残る不思議で美しい光景でした
訪問日:2011年10月17日
「見附島」から3.5kmの海岸線「えんむすビーチ」。恋路海岸の一帯には想像をかき立てる奇岩が立ち並び、そこに立っている自分を主人公に、勝手に物語を作り出したくなる景色が展開されます。
とんがり頭の君は、いつも緑の中の誰かを見ているんだね。ねぇ、あそこにはね神様が住んでいるんだよ。だから一生懸命お願いしたら・・いつかお前の願いも叶うかもしれない。叶うといいね。
私達は旅の途中だから、お前の願いが叶うのを見届けることはできないけれど、でもずっとずっと忘れないよ。とんがり頭の君と君の友達の不思議な相棒のことは。きっとこの写真を見るたびに思い出すよ。
訪問日:2011年10月17日
能登の美しい風景、長い間憧れてやっとその場所に立ったときの感動は今でも鮮明です。年頭の震災で失われてしまったあの美しい景色を・・それでも私は決して忘れない。目を閉じれば鮮やかに蘇る海の色、目をみはる佇まいのお屋敷、物語を紡ぐ不思議な岩の造形。それから・・・それから、手間も暇も充分にかけて大切に作られる輪島の塩。 輪島の塩を手にまぶし、炊き立てのご飯で作るお握り・・・何もかもが泣きたくなるほど恋しく懐かしい。
あの悪夢の瞬間から一年・・言葉にできない痛みの中から立ち上がる方たちに心からのエールと、ありったけの「大好き」を込めて・・・
2024年 大晦日
お正月休みいかがお過ごしでしょうか。
今日で今年も終わりですね
今年も色々とありがとうございました。
また来年も宜しくお願いします。
体に気を付けてお過ごしください。
それではよいお年を・・・・・・(〃艸〃)ムフッ
わが家はいつも通り
特別な事は何もないです
が・・・・・
超が付く偏食の私の数少ない大好物
とらふぐを買ってきました
これで「てっちり」をして
最後の締めの雑炊を食べて
一年の初め故の贅沢をする予定です
だんちょうさんは、奥様手製の御節ですか😊
久々の記事にご訪問のみならず、いいねとコメントまで・・。
コメントは後で返信させていただきますが、
まずは感謝を伝えさせてください。
能登の地震は衝撃的でしたね。
私も年末の神社参りでは、どうぞ日本の皆さんが皆無事に新年を迎え過ごせるように、と神様たちにお願いしてきました。
そして、そうですか、お知り合いに
二次災害に遭われた方が・・。
過酷ですね😭
>稲刈りが終わった後の田圃はまるで
tibinkoさんは知覚が豊かですね。
歴史や建造物に思いを馳せられるというのも、
その豊かな知覚がなせることなのでしょうね。
目の前にあることだけでなく、
秘めた物語を受け取れる人なのでしょう。
素晴らしい奇景も感嘆しながら拝見しました。
どうぞ今年も心ゆくままにお過ごしくださいね
(中国へのビザ緩和がとても心配です💦外国人に健康保険適用は悪用されるばかりでは・・。誰も止められないのが不安です。選挙でのSNS使用を論議してる場合ではないと思います😥)
失礼しました、
どうぞ良い年をお過ごしください🙏
コメントは後でゆっくり読ませていただきます❣️
昨夜は雪が降って寒い大晦日でしたが
今日は青空が広がり、よい「お正月日和」になりました。
修復が終わった重要文化財の神社にお参りして、今年一年の安寧を願う
この時ばかりは、誰もが年神様に素直に頭を垂れて手を合わせて
柏手の音が心地よく、境内にしみこんでいきます。
特別な何かが無くても
日々が穏やかで平穏であれば・・・
日の元の国が、正しく日本として存在しますように
願いは次々と膨らんで欲張りになりますが、美しい国でいてほしいですね