鳥取市新品治町に門を構える浄土宗寺院「大唐大巖深心山九品院:玄忠寺(げんちゅうじ)」。
永正5年(1508)、鳥取城下湯所の高浜地にて開創と伝わる。3度の類焼で矢野地(材木町)、寺西地(西町)、玄忠寺横町(玄好町)に転地。万治3年(1660)の類焼によって、鳥取の西玄関現在地に転地。寛政12年(1800)に類焼、5年後の文化2年に現在の本堂・山門・鐘楼を続いて建立。
伊賀国上野「鍵屋の辻」の決闘で広く知られる剣豪『荒木又右衛門』の菩提寺として知られ、境内にはその所縁の品や資料を展示する荒木又右衛門遺品館が設けられています。
三重県伊賀市小田町に残る「史跡 鍵屋ノ辻」碑(2015年9月訪問)
義弟『渡辺数馬』に仇討ちの助太刀を頼まれ、寛永11年、見事に仇討ちの本懐を遂げた又右衛門。彼の墓前には花や香華の絶える事無く、多くの人々に大切にお守りされている事が窺えます。
「戒名:秀誉行念定門」
地蔵菩薩立像と六地蔵堂
「念ずれば花ひらく(坂村真民)」碑
達筆すぎて書かれている内容は読み取れていません 分かったのは最後の署名だけ・・(-_-;) 「東大寺 長老 公照 拝書」
羅漢襖絵の前にて。「玄忠寺庫裏には羅漢を描いたユニークな襖絵があります。昭和58年、今は亡き鳥取県倉吉市の墨彩画家、高木啓太郎先生によって描かれました。羅漢が襖の上に浮かんで見えたとのこと、44面の襖絵を僅か1日半で描かれました。」公式HPより
御朱印「羅漢堂」
「翡翠の原石:因幡の国若狭から崩れた原石は八東川を下り、曳田の瀬で最良の翡翠となる。宝石を求め来た大国主命と採取を支配した八上家の姫が結ばれた」現地説明より・・・・翡翠といわれて翡翠色の石を想像してしまうあたりがド素人の極み(笑) 新潟の翡翠海岸に行った時も同じ勘違いをしていた事を改めて思い出しました。
参拝日:2016年10月20日
読み取れない碑文、内容(全文)ご存知の方は是非コメント欄にてご教授いただければ幸いです。