七尾湾の入口、対岸に小さく突き出した崎山半島の先端に位置する「鹿渡島(かどしま)」。「その昔、鹿が泳いで渡った島」と言うのが由来ですが、今は普通に車で行く事が出来ますd(-_^) 。
その鹿渡島に、大正2年11月に石川県が建設し、翌年1月に初点灯したという灯台があります。
当初は「七尾湾口灯台」の名称でしたが、昭和41年に「能登観音埼灯台」に変更。建設当時の灯台は4角形のビル型で、敷地内には職員の宿舎も建てられていました。
昭和61年の機器自動化に伴い宿舎は撤去。四角形の灯台は、現在の白色塔形灯台に替えられました。
「能登観音埼灯台」の名称は、鹿渡島の先にある「観音島」から取られたといいます。「観音島」、その名の通り、島には観音堂があり、地域の方々によって手厚く守られてきました。
こんもりと緑に覆われた周囲約150mの小さな島。ここでは寒暖両系の海浜植物群落の植生を見る事ができます。陸地から20mの島までは石積の歩道が整備され、気軽に歩いて渡ることも出来ます。
堂に祀られる『鹿渡島観音』の名は【文武天皇の頃に、一角五色の霊鹿(れいろく)が、輝く玉を頭上にいただき、鹿渡島に現れた】との伝説に由来。観音堂の縁に座り、ぼんやりと青い海を眺めていると、まるで時間が止まったような・・不思議な錯覚を覚えます。
七尾の美しい海を堪能して市内に引き返す途中で見かけた、「能登国分寺公園」の案内板。承和10年(843)、能登国司に赴任した『春枝王(はるえおう)』が、大興寺を国分寺に昇格したのが創めと伝えらます。
天平13年(741)に『聖武天皇』が国分寺建立の詔を発布した時から約100年を経ての建立。その後400年間の長きに渡って栄えたと伝えられていますが、いつしか廃寺となり、歴史の中にうずもれてゆきました。大正時代に発掘調査が開始されましたが、本格的な調査が開始されたのは昭和45年からのことです。
昭和49年、寺域南方の建物群跡を含め「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定。その後史跡公園として整備され、1992年に能登国分寺公園として開園されました。公園内には南門が復元され、中門、金堂、五重塔、講堂、回廊跡などが表示されています。
訪問日:2015年5月20日