東海道吉原宿と蒲原(かんばら)宿の間に位置する「間宿(あいのしゅく):岩淵」。「間宿」は、宿場と宿場の間に作られた宿泊のできない休憩用の施設の事。静岡県内の東海道には22の宿場があり、柏原・岩淵・菊川の三つの「間宿」が存在しました。
盛り土された塚の中央に大きく枝を広げる「榎」、ここは日本橋から37里旧「東海道岩淵の一里塚(県指定)」。
「岩淵一里塚」を過ぎて少し行くと、やがて黒板の長い塀が続く「旧小休本陣常盤家(国の登録有形文化財)」が見えてきます。
常盤家は、江戸時代初期から富士川右岸の岩淵村で、渡船名主(とせんなぬし)を務めた家柄。門に掛けられた「西條少将小休」の札は、愛媛西條藩の藩主『松平類学(西條少将)』が、身延山参詣時にここで休憩したというもので、「小休(こやすみ)本陣」としての役割も果たしていました。
現存する建物は、安政大地震以降に改築。木造平屋建・瓦葺。間口8間、奥行5間半、切妻造の建屋の四方に庇が付けられています。
建物は農家と町屋の形態を併せた様式となっており、玄関から奥まで通り土間。天井部分の梁の太さは、一般の町屋では見られない豪快さで、いかにも渡船業らしい佇まい。
部屋数は多く、それぞれの部屋は障子戸やふすまで仕切られており、建具を外せば大広間になる造り。
裏庭を背景にした最も格式の高い「上段の間」は、大名などの賓客のみが休憩する事ができた場所です。
常盤家の庭園にある「市天然記念物:イヌマキ」は、宝永4年(1707)、常盤家が現在の地に屋敷を構えた際に庭木として植えたものとありました。
常盤家の塀が途切れた辻に、火伏せの神「秋葉山」の文字が刻まれた常夜灯。火事が何よりも恐ろしい災害であった時代、集落の中心に立てられた常夜灯は、こうした火防の信仰によるものが多かったかもしれません。
常盤家が財を成す要因ともなった岩淵の渡船場跡。富士川は広く、その対岸はとても遠くにあります。 ここを一体どれほどの規模の船で渡っていたのか・・全く泳げない私は、こういった光景を想像するだけで恐怖に眩暈が・・。
訪問日:2016年12月10日