車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧小休本陣(常盤家住宅) in 静岡県富士市

2018年12月11日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

東海道吉原宿と蒲原(かんばら)宿の間に位置する「間宿(あいのしゅく):岩淵」。「間宿」は、宿場と宿場の間に作られた宿泊のできない休憩用の施設の事。静岡県内の東海道には22の宿場があり、柏原・岩淵・菊川の三つの「間宿」が存在しました。
盛り土された塚の中央に大きく枝を広げる「榎」、ここは日本橋から37里旧「東海道岩淵の一里塚(県指定)」

「岩淵一里塚」を過ぎて少し行くと、やがて黒板の長い塀が続く「旧小休本陣常盤家(国の登録有形文化財)」が見えてきます。

常盤家は、江戸時代初期から富士川右岸の岩淵村で、渡船名主(とせんなぬし)を務めた家柄。門に掛けられた「西條少将小休」の札は、愛媛西條藩の藩主『松平類学(西條少将)』が、身延山参詣時にここで休憩したというもので、「小休(こやすみ)本陣」としての役割も果たしていました。

現存する建物は、安政大地震以降に改築。木造平屋建・瓦葺。間口8間、奥行5間半、切妻造の建屋の四方に庇が付けられています。

建物は農家と町屋の形態を併せた様式となっており、玄関から奥まで通り土間。天井部分の梁の太さは、一般の町屋では見られない豪快さで、いかにも渡船業らしい佇まい。

部屋数は多く、それぞれの部屋は障子戸やふすまで仕切られており、建具を外せば大広間になる造り。 

裏庭を背景にした最も格式の高い「上段の間」は、大名などの賓客のみが休憩する事ができた場所です。

常盤家の庭園にある「市天然記念物:イヌマキ」は、宝永4年(1707)、常盤家が現在の地に屋敷を構えた際に庭木として植えたものとありました。

常盤家の塀が途切れた辻に、火伏せの神「秋葉山」の文字が刻まれた常夜灯。火事が何よりも恐ろしい災害であった時代、集落の中心に立てられた常夜灯は、こうした火防の信仰によるものが多かったかもしれません。

常盤家が財を成す要因ともなった岩淵の渡船場跡。富士川は広く、その対岸はとても遠くにあります。 ここを一体どれほどの規模の船で渡っていたのか・・全く泳げない私は、こういった光景を想像するだけで恐怖に眩暈が・・。

訪問日:2016年12月10日

 

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ご当地マンホール in 静岡県旧富士川町(富士市)

2018年12月11日 06時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・静岡県

旧庵原郡富士川町(ふじかわちょう)は、静岡県の中部に位置していた町です。静岡市、富士市、富士宮市、由比町、芝川町と隣接。日本橋から37里目にあたる「間宿(あいのしゅく):岩淵」があり、古くより交通の要所として栄えてきました。

旧町域には往時を偲ばせる史跡・文化財も多く、富士市の観光拠点としてSAと併設された道の駅「富士川楽座」は年間を通して多くの観光客に人気です。「町の木:槇」「町の花:芙蓉」「町の鳥:キセキレイ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により榛原郡富士川村、松野村が発足。

1901年、富士川村が町制を施行、榛原郡富士川町となる。

1957年、榛原郡松野村を編入。

2008年、富士市に編入合併されました。

マンホールは市章入りの規格蓋が有るらしいのですが、私の歩いた範囲では発見できず(-"-)

昭和38年 (1963)11月1日制定の町章は「富士山・富士川・ミカンの葉を取り入れ、図案化たもの」

旧富士川町岩淵地区の側溝蓋。「東海道ルネッサンス」の文字と、左上に「弥次さん・喜多さん」が描かれています。

撮影日:2016年12月10日

 

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