慶長8年(1603)頃に設置された「滑津宿」に唯一残る「安藤家(旧本陣)」
「藩政時代、奥羽地方十三大名の参勤交代の要路、御城米の運搬路、出羽三山(山形県鶴岡市)詣りの旅人で賑いをみせた山中七ヶ宿街道の中で、二百八十年の年月を経て残る唯一の建造物です。安藤家は、天保期(1829~1848)以後に、本陣をつとめ諸大名、幕府及び藩役人が宿泊・休息し、また、当時の肝入検断・問屋も兼ねた家柄です。昭和58年に修理を行いましたが、原型造作は以前の姿のままであり、街道に面して平入り、寄棟、茅葺の宿泊専用の1棟があり、この奥にこれと直角に萱葺の住居棟が接続しています。平入りの部分の正面は千鳥破風式の棟飾りをもった玄関が設けられ、内部は田の字型4間取りの座敷などが残されており、屋根軒上に置かれた「くらけ」は、この辺の特徴で、歴史的風格を漂わせ大変に貴重な建造物です。七ヶ宿町教育委員会」
屋根軒上に置かれた「くらけ」
どの位置から見ても美しい佇まい。
安藤家に並ぶ白漆喰の「お蔵」
立ち上がり部分の造作の美しさに思わずウットリ😊
安藤家と向かい合わせに建つ漆喰屋号を掲げた茅葺屋根の建物は「蕎麦の吉野家」。入り口前の道標には「奥州山中七ケ宿街道 滑津宿吉野家」。左面に「もがみ街道出羽領樽下宿へ 五里二十四丁」、右面に「江戸へ 八十三里三十三丁・伊達郡桑折宿へ 六里三十二丁」。
福島県に引き返すための素通り予定であった七ヶ宿町でしたが、思いがけなく美しい景色に出会えて気分は最高。自由に動く事が出来る車中泊の旅ならではの醍醐味です。
訪問日:2015年6月22日
昨日と今日は我が家の町内の排雪です。
車も出せなくなってしまったので今日はまったり家でビデオでもみたいですねエ。