大津市鳥居川に鎮座される「御霊(ごりょう)神社」。御祭神は『弘文天皇(大友皇子)』。
御由緒「創祀年代不詳、社伝によると、壬申の乱後三年目の白鳳四年大友皇子の第二子興多王の指図により隠山に皇子の神霊を奉斎し大友宮または御霊宮と称し、これが当社の創祀とされる。寿永三年の木曽義仲と源範頼の戦斗・承久三年の鳥羽上皇軍と北条時房軍の戦い、建武三年の後醍醐天皇軍と足利尊氏軍の戦い、応仁の乱などの戦いの度に兵火により焼失。徳川時代に膳所藩より格別の崇敬があり、現在その城門が移設されている。」滋賀神社庁HPより
移築された城門の帳には「三ツ割の菊」の御神紋
本殿石段の左右より神域を守護されるのは、明治14年建立の狛犬さん一対。
流れるような美しいたてがみと対照的に鋭い牙を見せる狛犬さんたち。毬を手にして得意げに笑う阿形さん。不気味なくらいの歯並びの良さを見せつける吽形さん。それを見て驚く参拝客を見るのが楽しくて仕方ないと言いたげな吽形さんの上目遣いが、ものすごくツボ😅
入母屋造:間口四間四尺 奥行四間四尺の拝殿
御神木
移築された膳所城址黒門の前に建立された「大友宮」の鳥居
天智天皇崩御の直後の天智天皇10年(672)、天智天皇の弟、大海人皇子と、天智天皇の長子、大友皇子との間で、後に壬申の乱と呼ばれる皇位継承をめぐる争いが起こり、敗れた大友皇子は自害して果てます。長き時を経て明治3年(1870)7月、大友皇子に対し「第三十九代:弘文天皇」の称号が追号されました。
全国各地に鎮座される「御霊神社」ですが、その祭神・性格は様々で、今回のように、ある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたものもあれば、五柱の神(五霊)を祀る(祀っていた)もの。祖神・先祖の霊を「御霊(みたま)」として祀るものなどがあり、その御祭神は実に多岐にわたっています。
何故か御祭神とは一切無縁と思われる😅「二宮金次郎像」
参拝日:2010年6月12日
おはようございます!
今朝は朝から雪かきに追われました。
これからまだまだ
降るみたいです。
ご主人様と十年間、車中泊で旅をなさったのですか?
凄いパワーですね。
お陰様で、懐かしい二宮金次郎様に会えました。
歌を思い出しました。
逆立ちの獅子も珍しく、楽しみました。
有難うございました。
冬の北海道は雪かきなしの生活なんて
きっとお餅の入っていないお雑煮みたいなものでしょうね😅
春まではまだまだ間がありますが
お父さん!!ファイトです😊
2019年4月の島根県まで
北は山形県から南は長崎県まで
島嶼部と関東の都心部以外はみっちりと
今思えば、これ以上ない程の濃密なJ期間を過ごせました
この記憶は私の人生最大の宝物です😊
静岡県の掛川市を訪問した際に「大日本報徳社」を訪問しました。
昔は全国どこにでも見られた二宮金次郎さんの銅像
なぜ撤去しなければならないのか、理由も含めて心底不満です。