山武市成東に門を構える真言宗智山派寺院「成東山・長勝寺」。『不動明王』を本尊とします。
由緒に【天平3年(731)『行基』が東国巡錫の折、不動明王の尊像を刻み海難除けを祈願し開基したとされ、その後平安時代の初め『弘法大師』が関東教化の折、現在の場所に移し建立して民衆救護のため大護摩を催し民福増進の秘法を行ったとされる。】
標高30mの石塚山の中腹、石積みの基壇の上に建つのは、入母屋造瓦葺きに懸崖造りの朱塗りの本堂。 県指定天然記念物の「石塚の森」の深い緑と、目に染み入る鮮やかな朱の対比が際立っています。
朱塗りの「仁王門」から本堂へと至る長い石段の途中には、様々な碑や石仏が建立されています。 手前の穴だらけの岩は「弘法大師の硯石」、全国各地に残る弘法伝説の一つでしょう。
頂上部に結跏趺坐の石仏が座す「弘法大師加持祈祷の巌」。この場所が、由緒に書かれた「民衆救護」の秘法を行った場所でしょうか?
さらに高い岩の上には「弘法大師修行像」と「五重塔」。手前には「南無大師遍照金剛」と刻まれた碑。
この【南無大師遍照金剛】の文字は、お大師様直筆の書物からお選びしたものと説明がありました。「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味があり、大日如来の別名ともされています。 刻まれた文字を指でなぞり、「南無大師遍照金剛」と小さく唱え、旅の無事と安全を願います。
常々、高いところは嫌だといっているのに、気がつけばいつの間にかここま登って来てしまいました😱 これをお大師様のパワーと見るか、「長勝寺」の参道整備の上手と見るべきか・・悩ましい😓
石段の上で待ってくれるご亭主殿、励ましのエールは不要ですから、できれば手を貸して下さい😣
【本堂の創建年代については、改修に当たって発見された棟札に元和4年(1618)と記されていたと伝えられており、現在の本堂の建立時期は少なくとも江戸時代初期にまで遡ると考えられる。その後何度か本堂の改修が行われ、明治以降も明治45年(1912)と昭和30年(1955)に改修が行われている。昭和49年(1974)には基礎石積工事が完成し、懸崖造りの維持保存がされている。】 建物は、本堂内陣まで貫通している通し柱二本を含めた二十六本の柱によって支えられているそうです。
欄干・回廊をめぐらした本堂は下で見るより更に高く、足を踏み出すのも一苦労の有様😱 つくづく、己の無謀さに泣きたいような・・・いや!いっそ褒めちぎって笑いにしましょうか。
本堂内正面には「不動明王・矜羯羅(こんがら):制多迦(せいたか)」の不動三尊が安置。 と言っても御本尊である「不動三尊」は秘仏とされているので、見える訳ではありません。 見えないのに一生懸命覗き込んでいるのは、後ろを振り向くよりも、この小窓から本堂を拝観させて頂く方が気分的に楽なのです。
振り向いた回廊からは、朱塗りの山門と、その向こうに山武市成東の街並みが一望できます。 が、もちろん!!この画像はご亭主殿が写してくれたもので、私はひたすらヤモリの如く壁際に張り付いていました😣
かつてはこの本堂の真下まで海だったと云われていますが、溶岩状の巌もその当時の物でしょうか? その昔、遭難しそうになった船が、常夜灯の灯りで救われたという逸話も残されているとか・・。 こうして本堂を見上げている場所も、かっては海中だったと思うと、とても不思議な気持ちです。
成東山長勝寺「浪切不動」の紹介、まだ終わりそうにないので続きは~其の二で。
参拝日:2019年3月10日