車泊で「ご当地マンホール」

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芝山仁王尊 観音教寺~其の一 in 千葉県芝山町

2019年07月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

芝山町芝山にある天台宗寺院「天応山 観音教寺 福聚院」。上総国薬師如来霊場第28番、新上総国三十三観音霊場第33番の結願寺としても知られ、『十一面観世音菩薩』を本尊とします。

2014年に続いて二度目の参拝となった今回、実はお目当ては「仁王尊」が座す「仁王門」。この寺の別称でもある「芝山仁王尊」は、こちらの仁王様が由来。明治2年(1869)起工、明治15年に完成した総欅造り・お堂形式の建物で、仁王門と呼ぶよりも「仁王堂」の方がしっくりくる外見。

通常「仁王像」は仁王門より仏を守護するとされますが、ここでは「仁王尊」が主役。「お仁王様」と呼ばれる仁王尊は、そのあまりの霊験ゆえに、観音様の化身と考えられるに至りました。 その為、畳敷きの内陣の奥深く、須弥壇の上に安置され、お祀りされるようになったと云います。 この日は早朝だったためか、内陣の扉はしっかりと閉ざされており、拝観は叶いませんでした。この為の再参拝だったのに・・縁が無かったのでしょう。

江戸時代までは、成田山新勝寺と信者を二分するほどの隆盛を誇っていたと云う「芝山仁王尊」。仁王門の内側に奉納されたたくさんの奉納額や周囲の碑が、その隆盛を物語っているようです。

火事・泥棒除けの仁王尊天として、江戸の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられる芝山仁王尊。時代劇や小説等に登場する、有名な『新門辰五郎』率いる「を組」の記念碑が、境内に建っています。

厄除け観音として信仰を集める御本尊をお祀りする本堂は、享保6年(1721)建立の優美な建物。 寺歴には【天応元年(781)、征東大使『藤原継縄』がこの地を訪れ『十一面観世音菩薩』を安置したのが始まりとされ、その後は『千葉氏』の帰依を受け、隆盛を誇ったと伝えられます。】

堂内には『狩野常光』筆の天井画、夏枯れの松の伝説を表わす欄間等、多くの文化財が有ります。 撮影禁止ゆえ、その美しい彫刻や天井画は紹介できませんが、懸魚や貫にも一見の価値ありです。

本堂から続く細い通路には、道なりに沢山の石仏が並び、その向こうに優美な「三重塔」が見えます。

軒廻りは、初重・二重共並行垂木。三重は扇垂木で、屋根を大きく見せる工夫が為されているとありました。

寛政9年(1797)、四十二世秀暁代に再建を発願し、天保7年(1836)四十六世湛定代に九輪完成。 五代の住職の四十年に亘る大事業で完成した「三重塔」は、千葉県の有形文化財に指定されています。

境内にはまだ多くの堂宇や碑等があり、また仁王門には目を見張る彫刻も残されています。それはまた明日のブログで画像を添えて、できるだけ詳細に紹介したいと思います。

参拝日:2014年5月19日&2019年3月11日

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