車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

成田山新勝寺~其の十 in 千葉県成田市

2019年09月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

成田山新勝寺~其の九はこちら

いつの間にか「~其の十」まで来てしまった「成田山新勝寺」も、今回が最終章です😊

「釈迦堂」の西隣の建立されている白いお堂は、2008年に建立された「聖天堂」。 お堂の前の案内には、人法繫昌の為に勧請された秘仏『大聖歓喜天』が祀られているとあります。

真っ白い唐破風屋根の懸魚、向背の龍、左右の貫の彫刻、どれも「歓喜天」に相応しい美しさ。

特にこの貫の獅子彫刻、真っ白い体に金色の目、黒い爪が妖しいほどに際立っています。 悔しい事に吽形の獅子は酷いピンボケ😔、折角ご亭主殿にお願いしたのに・・・・

境内をはさんで「額堂」に向かい合う位置には、昭和13年(1938)に建立された「開山堂」。 成田山を開山した『寛朝大僧正』の御姿を安置する為、開基一千年祭記念事業とし建立されました。

大本堂裏手の築山には、「大日如来(不動明王の本地仏)」他、約50体の露仏を奉安。 画像を見ると良く分かるのですが、この辺まで来るともう駆け足に近い状態、一つ一つ確認して写真を撮る余裕がありません😔

「不動明王の利剣」と呼ばれる銅像、またの名を「倶利伽羅剣(くりからけん)」と称し、不動明王の化身とされます。 利剣の左右には、脇侍の「制多迦(せいたか)童子」「矜羯羅((こんがら))童子」が控えています。

天保4年(1833)奉納の「成田山境内絵図」の石碑、と聞いても、既に絵図の判読は出来ません。 ですが刻まれた絵図には「仁王門の提灯・旧本堂・旧光明堂・三重塔」等が、当時のまま描かれているそうです。

仁王門から石段を上がった先にあるのは、「撫で不動」とも呼ばれる「石摺(いしずり)不動尊」。 文政10年(1827)に奉納されたもので、石碑の中央に「不動明王と両童子」が彫られています。昔は、碑の不動明王像を拓本して頒布していたそうで、そこから「石刷り不動」の名がつけられました。

総門を出る前にもう一ヶ所、境内の水行堂の横に「二宮尊徳開眼の地」と刻まれた碑があります。 「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山新勝寺に参籠した『二宮尊徳』。 断食水行21日の行の後、「一円融合」の境地に達したとされ、今なお語り継がれています。

2019年の二度目の参拝では、隅から隅まで網羅しようと意気込んで、駆け回った筈の「成田山」。 いざ終わって振り返ってみると、あれ・・あそこは?、可笑しいな青銅の狛犬、写して無い?? それでも前回の画像フォルダの枚数から比べれば、格段に充実していたのは間違いありません😄

帰り道の表参道は、朝とは比べ物にならない人の波ですが、それもまた有名社寺らしい光景。

名物のうなぎ料理のお店からは、威勢の良い声にまじって香ばしい蒲焼の匂いが流れてきます。

はるばる千葉の成田山まで・・おそらく三度目の再訪は無いだろうと思うと名残は尽きません。 【一番はじめは一宮~♪・・・・七つ成田の不動様~♪】ついつい口ずさんでしまう私です😄

参拝日:2014年5月20日&2019年3月18日

コメント
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