「大鷲神社」境内から続く石段は、最初に登った石段とは別の場所に続いているようです。
石段の途中に建立されていた碑には長い文字が刻まれていますが、判読不能で詳細は不明。部分的に読めるだけに地味にイラッとします😅
参道の右手には『伊邪那岐・伊邪那美』の姿になぞらえた「縁むすび合体椎の木」が聳えます。 確かに二つの木の根元は互いに絡み合い、まるで神々を生みたもうた二神の姿に重なります。
こちらは「子授け乃大樹」、魂生明神が鎮座してから徐々に出現した自然の神霊の○○です。「「魂生明神」と共々ご参拝ください」と・・すでにその類の話には縁がなくなった二人ですが、子宝を願う人には切なる願掛けなのでしょう。
「子授け乃大樹」の側にも、達筆で刻まれた碑が建立されていますが、もちろん読めません😓 神社関係者の方にお願いです、ぜひ解説版を!!
そしていよいよ大本命😅の「魂生(こんせい)神社」。中に入るまで全く気がつかなかった「魂生」の意味。
それはもう・・・いえね!野島埼の「厳島神社」でも拝見しましたが、桁違いなのです😱
正面に鎮座される御神体は黒御影石の「魂生大明神」。その高さ2.5m・周囲2.3mと巨大。 「子授け」に非常に御利益があるそうで、子宝を望む人にとって「魂生様」はまさに頼みの🔴🔴。
「魂生大明神」の側には大小様々な「魂生様」。そして酉の市の「縁起熊手」。 熊手の購入者は、恵比寿・大国に大量の大判が飾られた「縁起熊手」に、運や福、商売繁盛を願うのです。毎年12月の「安食の酉市」は、関東地方で最も遅い時期の「酉市」として知られています。
「魂生神社」の隣に鎮座される「聖徳太子堂」、太子の碑は嘉永元年(1848)の建立だそうです。
こちらは石段参道の上にあった「境内社:御嶽神社」と「境内社:石上神社」。 「御嶽神社」は江戸時代からこの地に鎮座されていたもの。また「石上神社」は、何と!「旧魂生神社」のお社だったそうです。何がそうさせたのか、「魂生様」の大出世を目の当たりにした感じです。
「麗峰神社」は最近建立されたもので、全ての山々に宿る全ての神々を奉祭。
この松は『日本武尊』が東征の折、当地を御仮所とした際にお手植えした松なんだそうです。 『日本武尊』ですよ😄 古代史における伝承上の英雄が植えた云千年前の松ですよ~😅 一体、何代目なんでしょう???
ラストは境内より出土したという「力石」。なんで埋まっていたんだろう?
参拝日:2019年3月17日