車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

香取神宮:東国三社~其の四 in 千葉県香取市

2019年11月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

香取神宮の記事もこれがラスト。まさに眼福とも言える社殿の数々、二度目の参拝でしっかり目に焼き付けてきました。本殿の真後ろに設けられた拝所には檜皮葺の屋根があり、こちらからも参拝ができます。

そうそう、随分後回しになりましたが、香取神宮の御神紋は「五七の桐」と「三つ巴」。 この極彩色の御神紋は、本殿だったか拝殿だったか・・・いずれにしても社殿の何処かに描かれていたものです。

拝殿前に聳える御神木の大杉は、樹齢1,000年といわれており、社殿を見守るように聳えています。 1,000年と簡単に書いていますが、千年前の日本は平安時代、紫式部によって「源氏物語」が書かれた頃。

だからという訳では有りませんが、「源氏」つながりで『源頼義』の祈願により三又に分かれたと伝える「三本杉」。『源頼義』はこの杉に「天下太平、社頭御栄、子孫長久」を祈ったと伝えられています。残念ながら中央の一本は枯死してしまいました。

もう少し境内を歩き回り、今度こそ心残りの無いように😊。 本殿右手、木造校倉造の「神庫」は、明治42年(1909)の造営、香取市指定文化財となっています。

その「神庫」の近くに設けられた石段の脇に、「香取町道路元標」。昭和26年(1951)3月、香取町が佐原町など2町2村と合併して佐原市となるまで香取郡に存在した町の証です。

「大和心」と大書された碑の題字は、香取神宮賞賛会長を務める『安倍晋三氏』によるもの。 何かと問題のある政治の世界ですが、それでも現状では日本国にとって最も重要な存在である『安倍総理大臣』。何と言っても反日にいそしむ自称文化人とか、左しか見えない不自由な人とか、Kの国に毛嫌いされているという点だけをとってしても、私的には最高の人物😊

境内にはまだ幾つも摂社が鎮座されており、気がついた限りで参拝して廻りました。 三本杉の右手に鎮座される「摂社:匝瑳神社」、御祭神は夫婦紳であられる『磐筒男神、磐筒女神』。日本書紀では、二神は『磐裂根裂神(いわさくねさくのかみ)』の子であり、この二神の御子神が『経津主神(ふつぬしのかみ)』とされます。

神庫後方に鎮座される「鹿島新宮社」、明治10年(1877)、内務所の通達により摂社と定められました。 御祭神は『武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)』と、『天隠山命(あめのかぐやまのみこと)』

本殿後方に鎮座される「末社:櫻大刀自(さくらおおとじ)神社」。御祭神は『木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)』

楼門の内側には「諸国巡礼一ノ宮結願記念」と題された、同じような額が何枚も奉納されています。 木札に書かれた名前を見ているとその時々の時代背景が見えてくるようで、それもまた興味深い。

奉納額が架けられた前には盛り土がされて、四方を注連縄で囲むように結界が張られています。 いわゆる「御神砂(ごしんさ)」と呼ばれるもので、香取神の神徳を頂くと言う意味で使われるようです。

後から分かった事ですが、香取神宮には境内・境外にまだ幾つもの大きな摂社があったようです。 何度も下調べをして参拝に臨んだつもりでしたが、「香取神宮」制覇なんてとんでもない!まだまだ甘かったようです😅

参拝日:2014年5月18日&2019年3月15日

「香取神宮」をラストに、2014年、2019年に訪ねた千葉県車中泊の記事はこれで終了。明日からは同時期に訪ねた茨城県車中泊の記事、まずは東国三社の残る二社から紹介します。

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