深い木立の色に染められた奥参道は、悠久の歴史を包み込んでどこまでもしっとりと静かです。 深呼吸をするたびに、深い緑の空気が肺に染み込むようなそんな不思議な錯覚に何度も立ち止まり、深く息を吸い込んでは吐き出す・・・。
奥宮の前には、「左ハみたらしいけ 右ハかなめいし」と刻まれた「大々御神楽講中」の道標。 「元文五寅甲年(1740) 五月吉祥日」の日付があり、鹿島御師による奉納と思われます。
道標の横、御手洗池参道には、安政2年(1856)春建立の『柿麿』、柿磨の二男『虎杖』の句碑。【月花に 和らぎしや 常陸帯】柿麿。【鶯や 神楽拍子に なれて鳴く】虎杖。
境内に向かう参道右手には、国旗の碑と「さざれ石」が奉納されており、中々に良い景色。「君が代」に歌われる「さざれ石」。詩の内容は優雅で美しく、他国の国歌と比べても非常に秀逸。国歌を強制だのどうのという人たちに、では他の国に住んで、もしくは祖国に戻って、同じ事を言ってごらんと言上したい😩
境内の「鹿園」には、鹿島神宮の神使いである鹿が、「神鹿」として大切にされています。 出雲国譲りの折『武甕槌』の元へ『天照大御神』の命令を伝えに来た神がいました。神の名は『天迦久神(あめのかくのかみ)』。鹿の神霊とされており、以来、鹿島神宮のお使いは鹿とされたそうです。
鹿島神宮の絵馬にも鹿が描かれており、鹿の横には「神鹿」の文字があります。
鹿園横の「観音桜」は「鎌足桜」とも呼ばれており、遅咲きの八重山桜の一種だそうです。 雌しべの先端が、鎌状に曲がっている事から、『藤原鎌足公』誕生伝説の由縁ともなっています。 4月中旬から下旬とされる開花の季節には早すぎて、その美しい花を見る事は叶いませんでした。
鹿園を中心とした一角の土堤内は、元「鹿島山金蓮院神宮寺跡」、「降魔山護国院跡」だったそうです。「親鸞上人旧跡」とされており、「親鸞上人のお経石」が出土した事もあると記されています。
「親鸞上人旧跡」の近くには、元禄元年春、吉野で詠んだとされる芭蕉の句碑。【花盛り 山磐(は)日頃の 朝ぼらけ】(吉野はいま桜花爛漫。こういう日の山の夜明けは特別かと思ったが、いつもと変らないね。)
芭蕉句碑の向かいに鎮座される「末社:熱田社」、『素盞鳴尊・稲田姫命』を祭神とします。 「古くは「田畑社」と呼ばれ、農業守護の社とされていました。「田畑社」がいつの間にか「七夕社」となり、その後「熱田社」となり、祭神を『素盞嗚尊・稲田姫命』としました。」
奥参道の一角に建立されていた碑は、多分句碑だろうと思うのですが説明の類はありません。 文字も磨耗して殆ど判読できませんが、折角建立されている碑なのに、勿体無いですね。
巨木が普通に影を落とす奥宮の参道で、全く異なった二本の木が抱き合うように伸びています。いわゆる夫婦木と呼ばれるものでしょうか?でもそう呼ぶにはあまりにも生々しく見えて、それでも暫くは目が離せませんでした😅
奥の院の入り口に、神職の方と職人さんらしき人が集まって、何か話し合いをしている様子。 入り口を出て振り返ったら、いつの間にか「奥宮・要石・・方面」の札が貼り付けられていました😲
「其の四」まで続いた鹿島神宮、ラストの明日は境内に鎮座される摂・末社などを紹介します。
参拝日:2014年5月17日&2019年3月13日