いつもどおりのブログの順序なら、まずは自治体のマンホールの紹介から始めるのですが、今回は特別。何しろ「東国三社」という事で、わざわざ千葉県の最後に香取神宮を持ってきたのですから、このまま一気に茨城県の鹿島へと続けます。
鮮やかな朱に彩られた「鹿島神宮一之鳥居」は、鹿嶋市大船津の北浦に建つ水上の鳥居。鹿島神宮に通じる東西南北の四ヶ所に設けられた一之鳥居の一つで、ここは西の一之鳥居に当たります。
「鎌倉時代、鹿嶋の土地隆起により御手洗池近くまで入っていた船の往来ができなくなり、船着き場となった大船津に、僧侶の忍性が鳥居を建てたのが最初とされています。 1618年に徳川二代目将軍秀忠が社殿と合わせて奉納した鳥居は水中鳥居で、当時はまさに鹿嶋の玄関口でした。
現在の鳥居は、2013年6月に再建されたもので、水底からの高さ18.5メートル、幅22.5メートルもあり、水上の鳥居としては厳島神社の高さ16メートルを超える国内最大級の大きさです。」 鹿嶋神の道より
鹿島神宮への参拝は二度目ですが、大船津の一之鳥居同様、前回に見損なってしまった鹿島の神域は意外と沢山ありました。 誰が池に入っても、水面が胸の高さまでという「鹿島七不思議の一つ・御手洗池」もその一つ。
2019年の参拝では予定の都合もあって、先に「奥宮」の奥にある「御手洗池」に立ち寄り、お水取りをさせて頂きました。🙏
御手洗池の裏手が、湧き水の源泉になっており、その横に『松露庵雪才』の句碑。【涼しさや 神代のままの 水の色】
1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった美しい神秘の池。その池はどんな旱魃にも枯れた事がなく、昔は参拝をする前にこで禊をしたと云います。
右の大きな碑は、「鹿島神傅直心影流(かしましんでんじきしんかげりゅう)流祖」の碑。 初代は『備前守紀政元』ですが、直心影流の名乗りは「第七代:山田光徳(一風斎)」から。 碑の傍らの切り株の前には「鹿島八景 御手洗の夜雨」と書かれた木札が立てられています。
【みそぎせし 人は帰りてぬばたまの よいにふりくる 御手洗の雨】千枝子
「御手洗池」の少し先に鎮座されるのは「末社:大黒社」。御祭神は『大国主命』。明治以降に鎮座された社で、夏越祓の日、西瓜を供えて参拝する習わしがあるそうです。
公園内に建立されていた「霊剣位 山田次朗吉一徳斎碑」剣術家で、直心影流第十五代の人。『塚原卜伝』ゆかりの鹿島だけに、剣術関係者の碑が多いですね。
裏参道に鳥居は無く、かわりにかつての石鳥居の基壇に土が盛られ、注連縄の結界が施されていました。2011年3月、未曾有の災害をもたらした東日本大震災は、石の鳥居を倒壊させ、さらにその被害は表参道の鳥居にも及びました。
「御手洗池」を後にし、1~2箇所寄り道をして、「鹿島神宮」の駐車場へと向かいます。 鹿島の大鳥居の200mほど手前に鎮座される「龍神社(龍は正式には雨かんむりに龍)」
「この社は、靇神社です。おまつりしているのは高靇神(たかおかみ)、闇靇神(くらおかみ)という龍神です。鹿島神宮の水を守り 火を防ぐ神です。御手洗池に二社、楼門の前後に 四社、参道の両側に二社の八龍神と伝えられていますが参道の二社が合祀されてこの靇神社一社となり、明治以降は当町(大町区)の鎮守の社となっています。」案内より
この日は暖かい春の日差しが一杯で、参道の河津桜が青空の下で見事に咲き誇っていました。 桜の季節にはまだ程遠い東北の友人たちに、この見事な桜の色を見せてあげられたら・・・
参道歩道に作られた「親子鹿像」。鹿島では鹿は神様の使い「神鹿(しんろく)」。 さぁ、大鳥居は目の前、前回見逃したものも含めて「鹿島神宮」の隅から隅まで見てきます。
参拝日:2014年5月17日&2019年3月13日