金沢市(かなざわし)は石川県のほぼ中央の加賀地方に位置する県庁所在地。江戸時代より百二万五千石の加賀藩前田家の城下町として栄え、産業としての加賀友禅、金沢箔、九谷焼などの伝統工芸に加え、能楽や加賀万歳などの伝統芸能が受け継がれてきました。日本国内の都市としては珍しく、第二次大戦において米軍からの空襲を受けなかった為、歴史的な建築物等が今も数多く残されています。「市の木:梅」「市の推奨花:花菖蒲・サルビア・四季咲きベゴニア・インパチェンス・ゼラニウム」を制定。
「金沢」の地名は「昔、山科の地に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ、砂金が出たため、金洗いの沢と呼ばれた」という伝説から。「金洗いの沢」は今も兼六園内にあり「金城霊沢」と呼ばれています。
キャッチフレーズは「世界の「交流拠点都市金沢」をめざして ~市民が創る誇りあるまち~」
明治11年(1878)、郡区町村編制法が施行され金沢城下534町に金沢区が成立。
明治22年(1889)、市町村制の施行により金沢区が市制を施行、金沢市が発足。 石川郡野村・弓取村・富樫村・潟津村・米丸村・鞍月村・粟崎村・下金石町・崎浦村・三馬村・戸板村・金石町・大野村・二塚村・安原村・額村・内川村・犀川村・湯涌谷村が発足。 河北郡小坂村・三谷村・川北村・大場村・八田村・花園村・三谷村・森本村が発足。
1898年、石川郡下金石町が大野町に改称。石川郡大野町となる。
1925年、金沢市が石川郡野村、弓取村を編入。
1935年、金沢市が石川郡富樫村・潟津村・米丸村・鞍月村・粟崎村・大野町を編入。
1936年、金沢市が石川郡崎浦村・三馬村、河北郡小坂村を編入。
1943年、金沢市が石川郡戸板村・金石町・大野村・二塚村を編入。
1947年、金沢市が河北郡三谷村字釣部を編入。
1949年、 金沢市が河北郡川北村を編入。
1954年、 金沢市が石川郡安原村・額村・内川村・犀川村・湯涌谷村を編入。
1954年、河北郡大場村・八田村・花園村・三谷村・森本村が合併、河北郡森本町が発足。
1962年、金沢市が河北郡森本町を編入。現在に至ります
マンホールにはデザイン蓋は無く、一部の地区のみに兼六園の「徽軫灯籠(ことじとうろう)」をデザインしたカラー消火栓が設置されています。
切り絵風にデザインされた「徽軫灯籠」
金沢市内はすべて、市章のみの規格蓋を設置。
1891年(明治24年)3月7日制定の市章は「前田家の梅鉢紋からとった梅の花の形の中に、金沢を意味する「金」の文字を書き入れている。武士の時代が終わり、旧藩主の前田家が東京へ行ってしまったのをきっかけに、金沢の人口が急減。初代市長『稲垣義方』の時代、前田家に再び金沢に戻ってもらう事を願ってこの市章が作られた」公式HPより
金沢市下水道
仕切弁
消火栓
右横書き文字の古い「止水栓」
水道メーター
ガス中圧
ガスバルブ
側溝蓋(下水)
側溝蓋
金澤長町地区の側溝蓋「加賀百万石:梅鉢紋」
兼六園内 辰巳用水専用マンホール
2008年に金沢産材をPRするために生まれた『かなりん』。金沢の「金」と森林「林」をとって命名されました。
建設省国土地理院 基本水準点。土地の高さを精密に求める為の基準となる地点で犀川大橋近くに設置。
「金沢市推奨花:花しょうぶ」
片町地区観光タイル「犀川大橋」
撮影日:2009年8月14日&2011年10月13日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます