第二次大戦による米軍の日本全土への空爆、それは戦争という名を借りた大量虐殺であった事は・・・ここでは触れずにブログを書き進めます。
幸運にも米軍の空爆を免れる事が出来た金沢市内には、往時を物語るいくつもの歴史遺産が残されています。その一つが明治42年から大正3年に建てられた「旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫」。
戦後は金沢美術工芸大学の校舎として使用され、昭和61年(1986)に石川県立歴史博物館として開館。博物館として再活用するにあたり、外観は創建当時の姿を忠実に復元し、内装は建物の文化財としての価値と、展示設備との調和がはかられました。
歴史的建造物の保存と博物館としての再利用が評価され、1990年には国の重要文化財に指定され、翌年には日本建築学会賞を受賞。
第一棟は大正3年、第二棟は大正2年、第三棟は明治42年の建設と説明にありましたが、第一棟に関しては何故か画像が皆無(^^;)。多分建物の大きさに圧倒されて、奥まで進まなかったんだろうと思います。
第三棟と第二棟を繋ぐ渡り廊下
ただし、こうしてバラバラの状態で見直すと、どれが第三でどれが第二なのか皆目??? まぁ、基本「素晴らしい」と思えたならそれで万事良しとしています(笑)
結論として青空に映える赤レンガの建物は非常に美しい(〃∇〃)。戦争が残した負の遺産だのなんだのとケチをつける人もまれにいますが、その手合いの人には決して見えない美しさだろうと思います。
屋根越しに見える搭のようなもの・・・あれは・・
大正11年(1922)に旧陸軍によって建てられた木造平屋建、瓦葺の「第九師団:師団長官舎」。正面のハーフテンバー式の装飾が何ともお洒落な石川県立歴史博物館広坂別館。
根っからの庶民には憧れの対象ともいえる応接室(笑)。壁一面に取られた広い窓も、たっぷりとギャザーの取られたレースのカーテンも、アンティークなシャンデリアも、白い暖炉も・・何もかも別世界です。
石川県立歴史博物館が有る一帯は、旧加賀藩の筆頭家老・本多氏の上屋敷があった地。その所為かどうか、敷地内は手入れされた和風庭園の趣です。
その一画に、文学博士『西田 幾多郎(にしだ きたろう)』顕著碑。生憎と彼の事は良く知りませんが、彼が思索に耽りながら散策した琵琶湖疏水沿いの道が「哲学の道」である事は知っています。
訪問日:2009年8月14日
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