福井県敦賀市金ヶ崎町に鎮座される「金崎宮(かねがさきぐう)」。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社。御祭神は『恒良(つねよし)親王・尊良(たかよし)親王』。
境内迄の九十一の石段は、幸福の階段と名付けられています(^^;)。その理由は「九十二が無い・・・【九(く)・二(に)】つまり苦にならない」・・と言う事で「必ず駆け上がってください」と説明に書かれていますが、たどり着く前に間違いなく病院送りになります σ(^◇^;)
由緒「後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて金ヶ崎城に入城。半年の間、足利勢と戦うも遂に落城、尊良親王、新田義顕以下将兵三百余人も殉じ果てた。皇太子『恒良親王』は何とか逃れられるも、後に幽閉され 翌年京都にて他界される。金崎城落城後五百五十六年を経て明治二十六年、敦賀の人々の熱烈なる請願によって『尊良親王・恒良親王』を祭神に、社号を金崎宮として鎮座されたのが本宮である」
長い石段をやっとの思いで登りきると一の鳥居、その先に舞殿、拝殿が続きます。約1000本のソメイヨシノが境内を彩る金﨑宮は桜の名所としても知られており、毎年4月1日~15日に行われる「神事・花換まつり」が有名です。
舞殿の後方、拝殿には菊の御紋の神社幕が、まるで日章旗のように鮮やか。
拝殿の朱の透かし塀を背にして神域を守護されるのは、明治45年(1912)5月建立の浪花タイプの狛犬さん一対。
境内摂社「絹掛神社」。御祭神は『尊良親王に殉じた総大将・新田義顕以下三百二十一名』
鳥居前左右より神域を守護されるのは、明治45年(1912)5月建立の浪花タイプの狛犬さん一対。
絹掛神社の御社殿前より神域を守護されるのは、大正2年(1913)1月建立の狛犬さん一対。
体は小さくとも、方耳を失おうとも、御祭神が鎮まる聖域を一生懸命守護されています。
拝殿下の境内に建立されていた時計台は、「御鎮座 貮拾年記念」の奉納。
ちょっと風変わりな可愛い絵馬は、織田信長の窮地を知らせる為、妹お市が陣中に届けた小袋が手本だとか。朝倉攻めを見事勝利に導いたこの逸話から、金崎宮は難関突破の宮とも言われています。
「金崎宮」から花換えの小径を辿って更に上に行けば、国の史跡「金ヶ崎城址」に至ります。そこには、共に戦った武将たちと運命を共にする為に自刃した「尊良親王御墓所見込地」もあるとか。もう少し頑健であれば訪ねて見たかった史跡ですが、ここは謙虚にわが身を顧みて自粛(^^;)
城址碑のある場所から見えた敦賀港の風景
帰路の石段途中に鎮座されていた「愛宕神社」、鳥居の前からの拝礼で失礼させていただきました(o_ _)o
参拝日:2012年7月10日
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