馬籠宿から2里、蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する中山道42番目の宿場「妻籠宿(つまごじゅく)」
中山道と飯田街道の追分に位置する交通の要衝であり、木曽路を代表する観光名所として名高い妻籠宿。天保14年(1843)の「中山道宿村大概帳」によれば、宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒で宿内人口は418人。全国で初めて、古い町並みを保存した宿場町として、角館の武家屋敷通り・産寧坂・祇園新地・萩の武家町・白川郷と共に、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地に選ばれました。
妻籠宿を歩き始めて一番最初に感じたのは、ついさっき歩いたばかりの馬籠宿との違い。想像の中では同じ様に見えていた景色は、実際に目にすると全く違って見えます。
馬籠・妻籠の言葉だけで憧れていた二つの宿場町。馬籠は観光資源として住民が作り上げた町並み。妻籠は残された町並みを住民たちが保護し、ありのままを基本として観光資源とした町並み。違っていて当たり前なのだと改めて感じさせられました。
ただそこに立っているだけで「旅をしている」と感じさせられる風景。普段の日常からすっぱりと切り離されて、見知らぬ街の景色の中に立っている。それはあまりにもありきたりな言い方ですが、心に深く刻みこまれ、そうして何時までも忘れ難い「思い出」を作り上げていきます。
いかめしい木戸は、1995年4月に復元された本陣。ここは『島崎藤村』の母の生家で、養子となった次兄の広助が明治に至るまで本陣・庄屋を兼ね勤めました。
妻籠宿脇本陣は屋号を「奥谷」といい、代々林氏が勤めてきました。木曽五木の禁制が解かれた明治10年(1877)、総檜造りで建てられたものです。現在は「南木曽町博物館」として公開され、2001年には国の重要文化財に指定されています。
そうそう、余談ですが、ここは『島崎藤村』の初恋の相手『ゆふ』さんの嫁ぎ先でもあります。
それにしても・・・馬籠・妻籠と重要なポイントでは必ず『島崎藤村』の名前が出てきます。いかに島崎家とこの妻籠・馬籠が深い関わりを持っていたか、改めて感じさせられました。
本陣・脇本陣の並ぶ一画、「木曽駒」の実演販売をしている「ふれあい館」で作業風景を見学させて頂きました。無遠慮な旅人(私です)の質問にも丁寧に答えて頂き、興味深い時間を過す事が出来ました。
「絵馬の古い形態を今に残す縁起物」、大好きな義姉へのお土産にどうだろう。
宿場歩きで目に付く「お六櫛」は、長野県知事指定の伝統工芸品:梳き櫛の登録商標。この梳き櫛が何故お六櫛と呼ばれるかには諸説があるそうなので、代表的なものを一つ。
「元禄年間の頃、持病の頭痛にひどく苦しんでいたお六は、御嶽山に願をかけます。すると、峰棒(みねばり)という木で櫛を作り、髪を梳くようにとの神のお告げを受けました。有難いお告げに喜び、早速その通りにすると、酷い頭痛はピタリと治まったのです。以来、お六の峰棒櫛の名は広まり、この地域一帯で作り続けられ、土産にも珍重されました」
峰棒は非常に目の詰まった硬い木で、叉の名を斧折樺(おのおれかんば)とも言います。斧さえ折れるような硬い木で梳き櫛を作るって・・・・お六さんって何者??😲
馬籠もそうですが、流石は木曽路きっての名所「妻籠宿」。という事で、宿場歩きの続きは明日へ🌸。
訪問日:2010年10月2日&2014年6月19日
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