車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山形村内の道祖神:石仏~Ⅱ~ in 長野県山形村

2022年09月01日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

山形村下竹田・北村に「四良右門兼氏」と名付けられた「握手抱擁双体道祖神」一基。「文字碑」二基。「仏塔」六基。

「嘉永三庚戌年(1850)十二月吉日  本州高遠住石工 四良右門兼氏作」の刻。

若々しく精悍な男神。常に優しい笑みを浮かべて傍らに寄り添う女神。互いの間に流れる空気の暖かさが伝わってくる・・そんな気がします。

名前の分かるものは地蔵菩薩像のみですが、いずれも目に心地良いお姿。

山形村ミラ・フード館前に「水色山路」と名付けられた「握手抱擁道祖神」一基。「水色山路道祖神 ドラマ水色山路制作の中で使われたものを記念に安置した。 平成二年十一月三日 山形村」の刻。

ふっくらと優しいお顔の女神、今時のイケメン顔の男神。さしずめ姉さん女房と言った感じの二人、仲睦まじさは誰にも負けません。

山形村下大池・橋爪東(下大池公民館前)に「筒井筒下大池」と名付けられた「握手肩抱き双体道祖神」。「この道祖神の拓本を無断でとる事を禁ず 下大池区長」の立て札と共に、大切に垣のうちに保護されています。

「寛政七乙卯(1795)十一月吉日  大池村」の刻。柵に鍵は無く、その美しい姿を写真に収める事が出来ました。

それにしても何と雅でたおやかな・・握手という区分が無粋に感じられるほど、繋いだ手には互いを思う心があふれ出し、ふっと涙ぐみたくなるようないじらしささえ感じます。

双体道祖神の後ろに建立されていた句碑?歌碑?

多分、この近くにあったと思われる線刻の双体道祖神。「平成六年(1994)十月 山形村拓本クラブ建立」の刻

線刻という珍しい形で表された「酒器祝言双体道祖神」。上に書かれた文字は誰かの歌でしょうか?説明があったのなら残していると思うのですが、画像フォルダには何もありません。

山形村小坂・下北沖に慈眼堂辻石仏群。祠の横に「酒樽」と名付けられた「跪座:酒器祝言双体道祖神」。他他に「廿三夜塔」「庚申塔」「名号碑」「廻国供養塔」など30基あまりが建立。

烏帽子型の自然石に刻まれた道祖神には「嘉永2年(1849)」の刻。男神の右手と女神の左手は二人の袖の内で握られており、密やかな触れ合いに頬を染める女神の恥じらいが見えるようです。男神の足元には大きな酒樽が置かれており、向かって左側面に「大正12年10月改刻」とあります。

覆屋の内に「馬頭尊」「文政十二年(1829 )巳丑年 小坂村」の刻。この「馬頭尊」は北沖地区の住民が共同で建立したそうです。

山形村の道祖神~Ⅲ~に続きます

撮影日:2016年4月22日

 


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