江戸時代に徳川氏の直轄地となった近江国甲賀郡水口村。東海道の宿場町に指定された水口宿に、江戸幕府3代将軍『徳川家光』が上洛の際の宿館として「水口城」が築城されたのは寛永11年(1634)のこと。その後、城は、水ロ藩2万5千石、加藤氏の居城となりました。
江戸幕府が倒れ明治維新を迎えると、明治政府の発した「廃城令」により、水口城を偲ばせる物は殆ど失われてしまいました。
そのままであれば、歴史書の片隅に痕跡を残すのみであったかもしれない「水口城」。しかし、昭和47年に将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定されたのを契機に、保存整備に向けての関心が高まり始めました。まず石垣の遺構が残る出丸跡(大手外枡形虎口部分)を整備修復。廃城後に民家へ移築されていた本丸乾矢倉を二階造りとして再移築し、水口城資料館として1991年11月に開館しました。
水口城資料館には、水口藩加藤家に関する資料や水口城の模型が展示されているそうですが、閉館日だったのか、私達の他に人影はありません。
大手門湧水を利用した薬研堀に水をたたえていたことから「碧水(へきすい)城」の別名を持つ水口城。歴史が刻まれた建物は失われても、水面に映る石垣は、当時の面影を伝えるように美しく揺らめいています。
水口町八坂にある「甲賀市水口中部コミュニティーセンター」。最初は何の建物なのか全くわからなかったのですが、自宅に帰って地図を確認してやっと判明😅
センターの敷地内にある一段と背の高い建物は、水口祭り:曳山行事に使用される「曳山」が納められた「河内町曳山蔵」。こんな感じで17町内には16基の「ヤマ」が収蔵されているそうです。
現存する二層露天式の曳山16基は、甲賀市の有形民俗文化財に。また水口神社の例大祭は、滋賀県の無形民俗文化財に指定。
水口石橋駅の踏切近く、「三筋の町」の先端部分には「曳山」を模した随分と立派な「からくり時計」が設置され、台座正面には「東海道水口宿」の浮世絵銅版が貼り付けられています。
上部旅人、左から芸者、下部からは女将が登場する宿場まちの旅籠のからくりは、午前9時・正午・午後3時・午後6時に動く仕掛けだそうです。
からくり時計の向かって左横、東海道に面して祀られていた小さな祠。側に「米屋町」の札書があったので、そちらの鎮守様かもしれません。
訪問日:2009年3月21日
こんにちは!
ここ数日色々とばだばたして
忙しかったぁ。
今週もまた始まりましたね!!
寒暖の差が著しい三月
それでも一週間はきちんと巡ってきますね^^;
いや・・・当たり前なんですけど
当たり前なんですけど、変わり映えしないなぁと・・