一か所でこんなに沢山の見所がある町歩きというのも、実はかなり珍しいのではないか・・そんな事を思わせる出石の町並み。今日は、昨日紹介した有子山稲荷とは切っても切れない関係にある出石城址の紹介です。
稲荷郭から望む出石城址と出石の町並み、真下に見えるのは「感応殿」。
復元された本丸西隅櫓、右手の木陰に見える朱は、稲荷の鳥居。
慶長9年(1604)、『小出吉英』により有子山城の山上の丸および天守部分が廃され、有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名し幕府に居城として届けたのが出石城の始まり。それにともない、平地に、堀で囲まれた三の丸が築かれ、下郭、二の丸、本丸、稲荷丸が階段状に築かれると共に、城下町も整備され出石の町並みが出来上がりました。当時の一国一城令によって但馬国唯一の城として小出氏・松平氏・仙石氏の居城となり、やがて迎えた明治の廃城令で城は取り壊され、わずかに堀や石垣を残すのみとなりました。
2011年の春、2014年の秋はお馴染みのJさんが一緒でと、出石には二度訪問。その都度、城址や町歩きを楽しみました。二つの季節を織り交ぜての出石城址の紹介、まずは谷山川に架かる「登城橋」からスタート。
鮮やかな紅葉に彩られた谷山川
登城門を潜っていよいよ本丸に
内側より見る登城門
軒丸瓦には、最後の出石藩主・仙石家の家紋「永楽通宝」が刻まれています。これは、『仙石秀久』が織田の家臣であった時代に『織田信長』から拝領した家紋であると伝えられています。
野面積みの見事な二の丸石垣
「本丸西隅櫓」
二の丸から見上げる「本丸西隅櫓」。桜にはまだ少し時期が早かったようです。
紅葉に彩られた「本丸西隅櫓」。
二の丸跡
二の丸跡にあった池、いつの時代の造営かは不明
有子山稲荷の参道側に設けられた本丸跡入り口
昭和43年に復元された「東隅櫓」
東隅櫓の軒丸瓦には有子山城主でもあった小出氏の家紋「亀甲に小の字」。実際の定紋は「額に二八文字」だったようで、こちらはいわゆる「替紋」と呼ばれる紋です。
本丸跡に建つ「感応殿」には、出石藩仙石氏の祖『権兵衛秀久公』が祀られています。豊臣秀吉の最古参の家臣で少年の頃より仕え、家臣団では最も早く大名に出世した人物。伏見城で『石川五右衛門』を捕らえたとの伝説が残されています。
この画像は2014年の有子山稲荷参拝の帰路に見かけた光景ですが、何らかの工事現場なのか、それとも遺構の発掘現場なのか・・結局分からずじまいでした。
2006年、本丸跡に建立された「出石そば発祥の由来」碑より抜粋
「政明公は大変そば好きで宝永三年(1706)出石の松平忠徳公(のち忠周=老中)とお国替えで出石に入部の際、信州一の蕎麦打ち名人を伴われ入国しそばを当地に広められました。後永年に亘り改良と技術研鑽を重ね、出石焼の小皿に盛り付ける独特の「出石皿そば」を創出し今日に受け継いできました。本年そばは伝来三百年を迎え、科野大宮社三柱の御祭神の依代として、大欅の一部を譲り請け「出石皿そば」の守護神とし、政明公への報恩の念を込め、当祠に奉齋しました。」
出石には、約50軒もの蕎麦屋が建ち並んでいて、関西屈指のそば処として有名。「挽きたて」「打ちたて」「茹がきたて」の“三たて”が、伝統的な信条とされ、出石焼の小皿に小分けした独特のスタイルでいただく「出石皿そば」。御亭主殿の抑えていたお腹の虫が騒ぎ始めたようですが、もう暫く辛抱してもらいましょう(⌒∇⌒)
訪問日:2011年3月31日&2014年11月21日
「ゆり」という名前が多くて間違われたことがありましたので、「うばゆり3」に致しました。
発信用ですので、皆様それぞれに呼んでくださいます。
ということで、初コメントです。
まかろんさんのところでお会いしてましたね。今日ようやく、ブログをあれこれ拝見させていただいてます。
以前、チラ見してますけど(;^_^A
私は古いもの好きです。お城も神社も旧い街並みも!
なかなか旅はできないのですが、少しは行きまして、今後も日帰り程度は歩こうかなと思っております。
フォローありがとうございます。私も楽しみに拝見させていただきます。
>何よりも旦那様が大好きです。
いいですね~~微笑ましいです。私達? 年寄夫婦になりますと、「一日でも長生きしてくれ~~」です。
ご訪問、有難うございます。
まかろんさんのコメントに、いつも優しい素敵なメッセージを残される方だわ・・と、お名前を見た瞬間、すぐにわかりました。
今日、幾つかのブログを読ませて頂き、更に「素敵な方だな」の思いが膨らみ😊コメントはまた明後日にして、足跡を残させていただきました。
趣味のご当地マンホールと旅の記憶。
今は、唯々懐かしく愛おしい過去の思い出を、あれこれと綴る他愛のないブログですが、こちらこそよろしくお願いします🙏。
10年くらい前かな?出石行きました。
出石城址散策しました。
紅葉の頃だったっけ?
シンボル?時計台や古い街並みも。
そこで立派な門構えのお蕎麦屋さん2軒
皿そば頂きましたよ。 小さなお皿に一口二口くらいの量が5皿だったっけ。
たったこれだけ?と思ったんですが食べてみると
意外とお腹一杯になりました。
当時を懐かしく思い出しました。
お元気でいらっしゃいますか?
ブログの母体が変わると応援のアクションも出来ず、いつも読み逃げばかりでごめんなさい。
10年前と言うと私よりも少し後で、
二度目から言うと少し前ですね😊
と・・ややこしい事を書いてますね。
でも、その頃お知り合いでいたら、出石で一緒に皿そばが頂けたのに・・等と思ってしまいました。