2016年12月1日、第3弾として全国46自治体で46種類(累計109自治体120種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「草津市A」のマンホールカードは、「草津宿街道交流館」でいただけます。
2009年に設置開始されたマンホールには「東海道五拾三次之内草津」がデザインされています。
「稀代の浮世絵師・歌川広重の「東海道五拾三次之内草津」を模写したマンホール蓋です。 江戸時代後期の草津川の渡しの様子が江戸側(東側)から見た視点で描かれており、対岸には東海道と中山道の分岐点にあたる草津追分の常夜燈が 確認できます。草津宿は東海道五十三次の五十二番目の宿場町で、東海道と中山道が分岐・合流する交通の要衝として栄えました。 当時の大名や公家などが利用した宿泊施設は本陣と呼ばれ、現存する施設としては全国最大規模で市内に残されており、 有料で一般公開もされています。本マンホール蓋は東海道のわき道にありますので、探してみてください。」
座標軸マンホール
訪問日:2017年5月14日
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2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「草津市B」のマンホールカードは、「くさつ夢本陣」でいただけます。
2007年に設置開始されたマンホールには東海道と中山道の分岐に建てられた「追分道標」がデザインされています。
「東海道と中山道の分岐に建てられた追分道標(市指定文化財)を描いたマンホール蓋です。 「右東海道いせみち左中仙道美のぢ」と刻まれた道標は文化13年(1816年)に街道を往来する諸国定飛脚宰領中から寄進された火袋付の常夜燈です。 江戸時代の草津は、京と江戸を結ぶ2つの大きな街道、東海道と中仙道が分岐・合流する全国で唯一の宿場町でした。 2軒の本陣をはじめ、多くの旅籠や店が軒を連ね、大名行列や巡礼の旅人、飛脚や荷運びの馬など、多くの人とものが行き交う賑やかなまちだったのです。 周辺には、他にも当時の道しるべがいくつかありますので、ぜひ散策してみてください。」
座標軸マンホール
マンホール設置場所の地図
訪問日:2018年12月19日
「東海道五拾三次之内草津」を模写したマンホール蓋ですかぁ。
なんかいいですね。
朝に食べるお茶漬けのカードみたいです。
友人からの頂き物なんです。
座標軸のマンホール、おしゃれですね、すてきです!
お茶漬けのカード😅
ハイ!同じ絵柄がありますよ。
あの東海道五十三次のカード
私、全種類持っていました
あのカード・・・今は何処に行ったんでしょうね
私の初めてのカードは、静岡県の富士市でした
蓋学会に投稿した際に進呈しますと言ったらカードの希望者を教えられて・・・
交換することになって、そこから底なし沼
ご当地マンホールの威力、おそるべしでした
東海道五十三次の絵を描いたのは、安藤広重と習っていましたので、どうなっているのだろうと調べました。
何と安藤広重と歌川広重は、同一人物だったんですね。安藤は武士だった彼の本名で、歌川は絵師の雅号ということで、正しくは歌川広重だと説明してありました。
何で今頃??? 貴方は笑うかもしれませんが、貴方のお陰で、81才にして一つ知識が増えました。
恥ずかしいけれども白状して、感謝します。面白いですね。人生は一生勉強・・・
そこにはいろんな制約もあったのだろうと思います
浄瑠璃作家の近松門左衛門も
武士で無くなった時に杉森の名前を捨てていますね。
武家社会において「武士を捨てる」という選択は
きっと大変な覚悟が必要だったのでしょう