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津山城(鶴山(かくざん)城) in 岡山県津山市山下

2021年12月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

津山市山下に聳える城壁「津山城」。別名「鶴山城(かくざんじょう)」とも称された城郭は、本能寺の変で討死した森蘭丸の弟『森忠政』が、津山盆地の中央部、鶴山(つるやま)に築いた平山城です。

慶長8年(1603)、18万6千石で入封した『森忠政』によって津山藩が立藩。城地は「鶴山」から「津山」に改められ、忠政の入封と同時に築城に着手、元和2年(1616)に五重の天守を持つ津山城が完成しました。

明治の廃城令で建造物は取り壊されましたが、往時は外郭を含めて77棟の櫓が建ち並び、日本三大平山城のひとつに数えられていたといいます。城址に掲示されていた「津山城復元図」は、明治初頭に写された写真を参考として作成されたものです。

鶴山公園として整備された城跡は「さくら名所百選」に選ばれ、西日本有数の桜の名所として津山のシンボル的な場所になっています。その昔、自称ボーイフレンドなる友人😓に誘われて、桜満開の鶴山公園を訪ねた事があります。紙焼きの写真には、満開の桜と石垣を背景に、とっても若い!!私が、そう、丁度この場所に立っていました。

打込接の高石垣と春を待ちわびる桜の木

「忘れ去られた石」

「台風10号の通過後、津山市大谷の石山登山道近くの谷川で、津山城築城時に切り出されたと思われる重さは約2.3トンの石が見つかりました。近くにある「津山城石切場跡」にある矢穴(石を割るためにノミで穿った穴)と同じ大きさものが石の上下に計9か所残っており、何らかの理由で築城現場まで運ばれなかったようです。2004年3月に谷川から引き上げられ、津山城築城400年記念事業「津山歴史時代絵巻~築城大石曳き~」の後、津山城跡近くに約400年ぶりに届けられました。」現地案内より抜粋

築城400年の記念事業として2005年3月に復元された備中櫓。

津山城址は昭和38年(1963)に国の史跡に、2006年には日本城郭協会から「日本100名城」に認定されました。

「江戸時代初期から明治30年頃まで、吉井川の高瀬舟は、美作と備前を結ぶ交通の手段で、米・ 大豆・塩・海産物などの輸送や、各地の文化を取入れる重要な役割を果した。津山市船頭町の吉井川河岸には、舟着場が築かれ、高瀬舟の目標として、また航行 の安全を祈るため、常夜燈が設けられていた。今はその姿はなく、かつて吉井川の河岸であったこの地に、往時を偲び大手前広場として、ここに復原した。なお 高瀬舟は実物の約四分の一の大きさである。」高瀬舟の石碑より

大手前広場入り口近く、古今和歌集:巻第二十「神遊びの歌」1083番より 【 美作や  久米のさら山 さらさらに  我が名は立てじ  万代までに】

訪問日:2008年8月16日&2020年1月2日


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