野島崎に程近い一角にちょっとしたポケットパークがあり、そこに沢山の海鵜が並んでいます。・・といっても、もちろん作り物で、その並びに白浜の歴史が描かれたモニュメントが展示されています。 絵屏風風のモニュメントには「天白 由布津主命(ゆふつぬしのみこと)上陸の地」と刻まれており、海鵜とは全然関係ないお話。
朝廷の命により『天富命(あまのとみのみこと)』は、孫である『由布津主命(ゆふつぬしのみこと)』や他の神々と共に、安房地方の開拓のためにこの浜辺に上陸しました。当時、野山には鹿が多く住民は被害に苦しんでいた為、神々は狩りを行い住民を安堵させました。 この神話に基づいた「下立松原神社の御狩神事」は、市の無形民俗文化財として今も継承されています。
領土が整備された事で住民は安堵してそこに定着し、やがて稲作が始められ集落が築かれてゆきます。
『由布津主命』は、『天太玉命』の娘である『飯長姫』と結婚し、「忌部氏(いんべうじ)」の祖となります。「忌部氏」は、古代よりヤマト王権の宮廷祭祀・祭具製作・宮殿造営を掌(つかさど)った一族です。
最期の絵は『源頼朝』一行が、源氏再興祈願の為に牧田の「下立松原神社」に参拝したときの様子。 石橋山の合戦に破れ安房の国に上陸した頼朝は、丸山町の土豪・『丸五郎信俊(まるごろう・のぶとし)』等とともに、源氏再興の祈願に行き、神社の裏の丘(岡)の上に登り、海上から上る朝日を礼拝しました。それ以後、この丘を旭ヶ岡というようになったと伝えています。
訪問日:2019年3月6日
という事で4年まえに遡って、千倉町牧田に鎮座される「下立松原神社」は、2014年5月の参拝。 御祭神は『天日鷲命(あめのひわしのみこと)・木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・月夜見命(つくよみのみこと)』
後に鎌倉に幕府を開いた頼朝は、「末社・御霊白幡神社」に『源頼義・義家』の木像と『薬師如来』像。それに頼朝自らが書写した大般若経600巻を奉納しました。その後、大般若経は明和九年(1772)に経塚に納められたこと等々の説明が境内にある・・・・とのこと。
長い石段を幾つも幾つも登らなければ辿り着けない拝殿・・ご亭主殿はともかく私にはNGで、残念ながら参拝は此処まで😓
入り口の狛犬さんだけを画像に収めて、あとは参道の入り口で拝礼をして回れ右。 体力的に無理だと分かっていて断念した事でも、こんな風に後からわかる事実が興味深いと、はやっぱり気持ちが折れそうです。
でもね、嘉永4年(1851)9月吉日建立の狛犬さん、中々ユニークなお顔で素敵だと思うでしょう。 『石工・善八』と刻銘があるのも、狛犬好きのご亭主殿には嬉しい事、今回はそれで良しとしましょう。
参拝日:2014年5月24日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます