香取市牧野に境内を構える真言宗豊山派の寺院「妙光山:観福寺(かんぷくじ)」。『聖観世音菩薩』を本尊とします。
江戸時代には、末寺五十三カ寺をもつ「中本山」として、厄除大師信仰の中心的存在にあり、現在は「川崎大師」「西新井大師」とともに「日本厄除三大師」の一つと称されています。
寺伝によれば、開基は寛平2年(890)、『尊海僧正』によるものと伝えられています。 北総の名刹と仰がれる「本堂」は文化8年(1811)に「鐘眞和尚」が再建したと伝えられ、「本堂」内には、国重要文化財に指定されている 「銅造懸仏」4点が安置。 元々は「香取神宮」の本地仏でしたが、神仏分離令に伴う廃仏毀釈により当寺に安置されました。
本堂に向かい合う位置には、元禄年間に「春海和尚」が建立したと伝わる「観音堂」があります。 ここには『平将門』の守護仏とされる平安時代後期作の「聖観世音菩薩像」が安置されています。
「観音堂」の貫彫刻に施された獅子と獏ですが、特に獅子はいろんな意味で一見の価値あり。 これまで色んな獅子彫刻を見ましたが、こんなに楽しそうに大口を開けている獅子は初めて😊。
吽形さん、大口こそ開けていませんが「ニンマリ」😆
文政12年(1829)に『秀珍和尚』が建立した「大師堂」。内陣には「弘法大師像」を安置。
向背の龍、貫の獅子・麒麟の彫刻はいずれも迫力があり、それなりの名工の作と思われます。
文化15年(1818)、『快恵和尚』によって再建された「不動堂」には、身丈5尺の「不動明王像」が安置。
「不動堂」の向かいには、1995年に『量賢和尚』が建立した、この境内では一番新しい「毘沙門堂」があります。
「毘沙門堂」の左側には文化8年(1811)に建立された「袴腰付鐘楼堂」。
その「鐘楼堂」の脇を過ぎると「伊能家代々の墓所」があり、そこに、市指定史跡「伊能忠敬の墓」があります。 画像右側は、江戸後期から明治時代の国学者「伊能穎則(ひでのり)の墓」、こちらは県指定史跡。
「不動堂」の前には『伊能式部』の句碑【暖を ふり敷く物の 朧月】
寛政4年(1792)に佐原下仲町に生まれた『宮沢江月』句碑は、安政5年(1858)の建立。【はつ鶏の 地に下るまで 明けにけり】
参拝日:2019年3月15日
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