松川村緑町、松の木の下に「酒器祝言双体道祖神」「庚申塔」各一基。
「昭和七年(1932)六月 緑町氏子中」の刻 。中区の中に刻まれた女神はあまりに幼く見えて、酒器を持つ手は小さく震えている様にも見えます。それを見守る男神の表情はとても愛おしげで、優しさに満ちています。
「餓鬼岳登山口」の碑
国道147号線沿い、松川村上緑町:JA大北松川農産物直売所アルプス一番の近くに「如意輪観音像」「馬頭観音像」他一基。
松川村椚原、椚原公会堂近くの玉垣内に「大黒天」一基。近くの畦に「双体道祖神」二基。
画像左、「正保元年(1644)甲申年安置 夫與三代之尊神 奉祭人者秦葉氏子中 帯代三十五両 椚原中」の刻。画像右、「天保二卯(1831)十二月日 椚原邑」の刻。
「握手抱きよせ双体道祖神」。はにかんだように固く唇を結ぶ女神。その手を握り締め、肩にまわした手に力を籠める男神。何とも初々しい男女神です。
「酒器祝言双体道祖神」、年長者のように見える男女神ですが、もしかしたらとってもお若いのかも😊 。お二方とも満面の微笑みで善き日を寿いでいます。
松川村中部町屋の一画に「文字碑大黒天」。「握手抱き寄せ双体道祖神」各一基。
「昭和六十三年(1988)三月吉日 町屋中」の刻。ふくよかなお顔は似たもの夫婦の典型でしょうか?。互いの手を握り軽く目を閉じる男女神。お二人が夢見るものはきっと同じ未来でしょう。
「元治」の刻。大黒天文字碑の下に「俵と宝珠・七宝袋」が刻まれています。
松川村鼠穴北海渡に「肩抱き酒器祝言双体道祖神」、「大黒天像」各一基。
「 天保十一庚子(1840)二月 鼠穴北村中」の刻 神聖な儀式を前に緊張で一杯の男女神。女神の結い上げた髪は裾まで届いています。
少し困ったお顔に見える「大黒天像」は「元治元甲(1864)九月日」の刻
松川村板取中部、有明山を背景に一段高い玉垣の内「大黒天像」一基
「大正十三甲子年(1924)十月」の刻。
大黒天像の並びに「双体道祖神」二基。「庚申塔」「青面金剛像」他
「握手肩抱き双体道祖神」「天保十一子年(1814)十月日 □□村中 帯代百両 」の刻。ほんわりと優しいお顔立ちの男女神。つないだ手に愛がにじんでいます。
笠付燈篭に刻まれた「青面金剛と三猿」。「元禄七年(1694)四月二十七日」の刻。
それは間違いなく「双体道祖神」。「帯代百二十両」の刻。・・・どんなに長い年月を過ごされてきたのだろう?そこに在るのは手を取り合い、あるいは肩を抱き合った男女神の姿なのか・・
松川村板取、ガソリンスタンドの近くに「握手双体道祖神」。昭和以降の道祖神を単にモニュメントと切って捨てる人もいますが、この姿を見て微笑む人が一人でもいるなら、それはまさしく路傍の神の所以なのです。
松川村細野大泉寺、三叉路の一画に「双体道祖神」「二十三夜塔」「南無阿弥陀仏:徳本名号碑」「大黒天像」各一基。奥に石仏多数。
「文化十四丑年(1817) 大泉寺中」の刻。かなりお年を召された男女神でしょうか?。様々な出来事をすべて飲み込んで、今は静かに二人だけの時間を過ごされておられます。
宝珠の俵の上に乗り、大きな袋を肩にかけてにこやかに笑う「大黒天像」。 お堂の中には「日・月」を持ち「二鶏」を従え「邪鬼を踏む青面金剛像」。台座には三猿も刻まれています。
「如意輪観音像」「地蔵菩薩」「馬頭観音像」他、多数の石仏群。
松川村細野、国道側の玉垣の中に「大黒天像」一基。「細野邑講中 元治元年(1864)甲子霜月子日」の刻
福耳にまん丸いお顔で大きな鼻と大きな口、好々爺という形容がぴったりの大黒天。両手に持っているのは「七宝袋」でしょうか?
撮影日:2016年4月18日
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