倉敷市児島由加・由加山に鎮座される「由加(ゆが)神社本宮」。御祭神は『手置帆負命(たおきほおひのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)・神直日神(かむなおひのかみ)』。本地仏は『阿弥陀如来、薬師如来』。
由緒「日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。その昔、磐座信仰を唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後天平五年(733)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、拝殿には菊花ご紋章を拝受。江戸時代中期には備前藩主池田侯の祈願所として栄えて来ました。」公式HPより
拝殿の後方、由加山の社叢の一角に巨石を背にして鎮座されるのは、今から約370年前に建立された、県重要文化財指定の本殿。左手の下方には岡山藩主・池田斉政公が奉納された組石灯籠が見えます。
明治27年(1894)、伊部村(現:備前市)の窯元・『大饗千代松』によって焼かれた、高さ約5メートル、幅約5メートルの「日本一備前焼大鳥居」。焼き物でこれだけの規模の鳥居・・パンフレットなどで一応の知識はあった筈ですが、実際に見ると本当に圧倒されます。
その備前焼大鳥居の両脇より神域を守護されるのは、同じく備前焼で造られた子連れ獅子一対。こちらは文政12年に、当時の備前天城(びぜんあまき)池田氏によって奉納されました。
綺麗に崩した足にゆったりと前足を乗せた吽形さん。しっかりと渦巻く尾はまるで炎のように美しい・・そんな備前宮獅子さんの台座に刻まれているのは、岡山藩主:池田家の家紋「備前揚羽」。
ところで、先ほど私は「子連れ獅子」と書きましたが、これで見る限り子獅子の姿は何所にも有りません。おそらくは吽形さんの膝の間に居たであろうと思われるも、空疎な空間があるのみ・・。いつの間にか子獅子が盗まれ、以来吽形さんはずっと膝を開けて、子獅子を待ち続けているのです😥 神を畏れぬ痴れ者に神罰が下っていますように・・
拝殿の向かって左手に建立された朱の鳥居。拝殿額には「天満宮 稲荷宮」。鳥居の傍らに鎮座されるのは「タコ神様」。
「海上安全・航海安全の神『大綿津見命』を祀ります。児島・下津井・鷲羽山は有数の漁地で特にタコが有名。地元の漁業組合・ホテル旅館・魚店・魚を扱う料理店などの方々が海の神をタコになどらえて、海上での安全、豊漁祈願、また魚供養を執り行う為にご奉納されました。」
ちなみにこのタコ神様・・・・ビックリするほど足の数が多いのです😅 便宜上、タコのお姿をされていますが、やっぱり神様だから普通ではないのです。
朱の鳥居の奥、本殿と並ぶ岩場の上に鎮座されるのは「境内社:稲荷宮」。御祭神は『倉稲魂命』。
商売繁盛を願う人たちによって奉納された赤い幟、稲荷の神狐・・参道から拝殿までの数メートル。歩いていると、ちょうど焚き火の温風に当たったみたいな暖かい空気が流れています。
参道守護の神狐さんの中では最古参と思われる、明治26年建立の神狐さん。
稲荷宮と仲良く神域を分けるのは「境内社:由加天満宮」。御祭神は『菅原道真公』。伝承では、道真公が九州太宰府に配流される途中、倉敷市児島唐琴の浦に数日滞在した折に、心を通わせた姫にもう一度の再会を約束。道真公の死後、光明がさし瑞雲が現れたこの地に祀られたとされます。
鎮座される場所に相応しく、道真公のご神域を守護される大小の神牛さんも奉納されています。
由加(ゆが)神社本宮~其の一のラストは、拝殿下に作られた出口の狭い梁。ここを通り抜けると「難関突破」となり、学業成就の願いを叶えてくれる天神様へと続きます。
梁に刻まれた彫刻は羽衣をまとい楽を奏でる天女。西洋なら天使がラッパを吹き鳴らしてくれるようですが、ここでは天女が祝いの舞を披露してくれるのかもしれません。
まだまだ続く由加(ゆが)神社本宮案内、続きはその~其の二で!
参拝日:2010年8月10日
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