鳥取県智頭町智頭宮前、牛臥山の山麓に鎮座される「諏訪神社」。御祭神は『建御名方神』。
街道沿いにある一の鳥居を潜り参道を暫く歩くと、急な石段の先に二の鳥居。
境内、一段高くなった場所に、後に明治神宮宮司となった陸軍大将『一戸 兵衛』揮毫の「忠魂碑」。ご亭主殿曰く、日露戦争の旅順攻囲戦で名を馳せた人物だそうです。
急な石段はさらに続き、流石に座り込みそうになりながらも、気力を振り絞って一段、また一段(^^;)
「蒙古来襲の頃、弘安元年(1278)に信州の諏訪大社の分霊をいただき、「諏訪大明神」と称した。古くから軍神や鎮火の守護神として崇敬され、後醍醐天皇も祈願された神社と伝えられている。江戸時代には、鳥取藩主池田家の祈願所として栄え、慶應4年(1868)に「諏訪神社」に改号。天明2年(1782)より、諏訪大社の御柱祭に倣った「柱祭り」が6年ごとに行われている。現在の本殿は天保3年(1832)の築。」境内由緒より
明治37年(1904)に改築された幣拝殿。御社紋は古より伝えられた「楓紋」。
諏訪といえば「梶葉」と思い込んでいましたが、由緒に「古来境内には当社紋に則り楓を植樹せしが地質調和よく繁茂し数百樹が織りなす秋の紅葉は
実に華麗なり」とあります。
拝殿前より神域を守護されるのは、広島型玉乗りの狛犬さん一対。大きな玉に前足をかける独特の姿、この因幡ではあまり目にしないタイプですが、岡山県の備前地方では時折目にします。吽形さんのギョロ目が・・・(^^;)
下りの石段参道を前に、山側石垣の上に祀られる摂社「荒神社」・「稲荷社」」・「天満宮」に参拝。
名残惜しさについ振り返る境内の風景。
参道途中に見つけた石碑。「一二三」の文字は分かりますが後は・・・(-"-)
明治37年(1904)に改築された幣拝殿と記載がありますが、これはどんなに贔屓目に見ても、木の香も新しいという言葉がしっくり。調べた所では2004年9月の台風18号の影響で本殿が倒壊したとあり、後に復旧工事が成されたそうです。
参拝日:2012年4月14日
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