加西の「五百羅漢さん」の存在を知ったのは、中国自動車道加西上下SAにあったモニュメントの説明から。いつか機会があればと思いつつも、思うだけで実現できずに三年が経過(^^;)
2014年12月、予定していた神楽見学がダメになった為に急遽予定を変更。かねてから気になっていた加西の「五百羅漢さん」に会いに行くことにしました。
加西市北条町北条にある天台宗寺院「北栄山:羅漢寺」。『薬師如来』を本尊とします。
山門の内の左右に立たれるのは仁王様でしょうか?羅漢寺では仁王様も羅漢様の一員のようです。
【もとは酒見寺塔頭の一寺であったと言われるが、戦国時代の兵火に焼かれたあと、北条御旅町にあった薬師堂を移したと伝えられる。播州薬師霊場第十一番札所。境内に四百数十体の石佛を祭祀、通称五百羅漢と呼ばれているところから、昭和十七年の宗教団体法施行時に、寺名を羅漢寺とし、天台宗に復帰した。(酒見寺は、もと天台宗であったが、中途より真言宗に改宗)なお、五百羅漢石佛は加西市の文化財に指定されている。】 公式HPより
お参りを済ませ、さっそく屋根から下界を見下ろす『鬼』の顔にカメラを向けていたご亭主殿。急にこっちへと手招きされて指さす方向を見上げれば・・・留蓋の上にいるのは波に乗る天女!もしかして播磨風土記に登場する「国造許麻の娘:根日女」かな・・・
Wikiさんによると「北条石仏(五百羅漢、兵庫県指定史跡) - 境内北面に459体が鎮座。制作者は不明だが、酒見寺の伽藍内であり当時の住職・隆辨と寺男・高瀬清右衛門などが関わり制作された。また制作年代も不明だが、慶長年間(1596年 - 1615年)ではないかといわれている。材質は流紋岩。技巧的には高度でないが、一体一体の表情に個性があり、その素朴さを好む人も多い。」
四五九体の羅漢さんを見守る釈迦三尊像。『釈迦如来』を中尊に、脇侍に『普賢菩薩』と『文殊菩薩』を配しています。
その昔、「五百羅漢」さんに会いに行けば、自分が会いたいと思う人に必ず会える・・・と、まだ子供だった私に母が何度も話してくれた事・・。大人になって家族を持ち、父を亡くし・・京都愛宕の念仏寺、富山市の長慶寺、島根の大森・・その時々に会いたいと思う人は変わりましたが、物言わぬ石の像に僅かな面影を見つけ、わが身の不信心を棚に上げ、一心に亡くした身内の安らかなる事を願ったものです。
このブログを綴っている今・・母・姉・姪・親友と面影を探したい人の数は増えていきました。無常の定めとは言え・・キーを打つ手がなんども止まり、残された写真の中に無意識のうちに面影を重ね合わせる自分がいます。
お行儀よく並ぶ羅漢さんたち、どのお顔も優しさに満ちてみえるのは、きっとこの時の私がとても満ち足りて幸せだったという証でしょう。このブログを見て下さっている方の会いたい人が、もしもここにおいでになれば、私にとってこんなに嬉しい事はありません。
散り敷く紅の落ち葉の中でひっそりと佇む仏たち。その姿は宗教の枠を超えてみる者の心に優しさと温かさを伝えてくれます。
【北条の 羅漢さんこそ悲しけれ 満月の夜も ひた泣きたもう】阪本勝
加西の医師:児島尚善の母の手紙二百通が納められた「文塚」
「庚申堂」、御本尊は『青面(しょうめん)金剛龍王』
紅葉の中にひっそりと佇む鐘楼
たとえこの先何が有ろうとも、ずっとずっとこうして二人寄り添って生きていけるなら、これ以上の幸せはない・・この日から九年の歳月を経て、今二人の身に起こった様々な事を思うとき、それでも一緒に生きている幸せを心の底から有難いと思うのです。
参拝日:2014年12月5日
暖かい日差しの「ねこ庭」のバードバスに、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、ジョウビタキなどの小鳥が水浴びに来ます。
家内と二人でぼんやりと眺めていますと、ふと会いたい人の顔が浮かんできます。互いに共通する人の名前を挙げ、懐かしみます。亡くなった人の名前もあります。
「そのうち、わたしたちもいなくなるね。」
「やりたいことができたから、いつ行っても満足だ。」
そんな私たちも、貴方のように満ち足りたひとときを味わっているのでしょう。寄り添っている羅漢さんの像を、ありがたく拝見しています。
onecat様のねこ庭は、きっと居心地が良いのでしょうね。
我が家は大きな木を次々に無くしたせいか
鳥さんたちは遊びに来てくれなくなりました。
良いお年頃になってしまうと
懐かしい面影が増えていきます。
私の場合は、そこに沢山の歴代の愛猫たちが加わるので
とても賑やかです😊
できれば可愛い猫たちのいる場所に行きたいなんて
おバカな事を思っています。