七尾市(ななおし)は石川県の北部、能登半島の中央に位置し、北は穴水町、西は志賀町、南は中能登町と富山県氷見市に接っする市です。2004年10月1日、旧七尾市、鹿島郡田鶴浜町・中島町・能登島町が合併し発足しました。市名は日本で最大規模の山岳城「七尾城」が築かれていた城山に七つの尾根(松尾、竹尾、梅尾、鶴尾(菊尾)、亀尾、竜尾、虎尾)があったのが「七尾」の名の由来とされています。「市の木:松」「市の花:菜の花」「市の鳥:カモメ」を制定。
能登半島は珪藻土埋蔵量が日本一と言われ、その珪藻土から作られる「珪藻土切り出し七輪」は保温断熱効果が高く、能登の特産品として知られています。(七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場入り口展示)
キャッチフレーズは「七尾湾と温泉をいかした能登から世界への架け橋」「~人が輝く交流体感都市~」
マンホールは旧七尾市当時のもので、新市章を中心に「旧市の花:ツツジ」が描かれています。
漁業集落排水マンホールも旧七尾市のもので、新市章に「七尾湾とカモメ」、元気に跳ねる「ハチメ(メバル)」がデザインされています。
市章は2004年10月1日に制定、【七尾市の頭文字の「N」を使って、豊かな恵みをもたらす美しい七尾湾の波と温泉の湯けむり、さらに未来、世界へ向けて躍動する市民の姿を表しています。】公式HPより
七尾市観光協会マスコットキャラクター『とうはくん』は、絵師『長谷川 等伯』をモデルに誕生しました。趣味は七尾市内の寿司の食べ歩き 、水墨画を描くこと 、日本全国を旅すること 、温泉に入ること。能登半島のど真ん中「七尾市」をこよなく愛しています。
天文8年(1539)~慶長15年(1610)。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師『長谷川 等伯』。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人として知られています。金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し、晩年には自らを「雪舟五代」と称しました。東京国立博物館に収蔵される代表作『松林図屏風』は日本水墨画の最高傑作として名高く、国宝に指定されています。
撮影日:2011年10月18日&2015年5月20日
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