車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

能登生国玉比古(のといくくにたまひこ)神社 in 石川県七尾市

2017年12月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾市所口町に鎮座される式内社「能登生国玉比古(のといくくにたまひこ)神社」。御祭神は『大己貴命』。配祀『素戔嗚尊・奇稻田姫命』。合祀『事代主神・底筒男神・中筒男神・上筒男神・建御名方命・多遲摩毛理命(たじまもりのみこと)』。

これまで参拝した七尾市の神社では、多分ここが初めてかもしれない石橋。

石橋の先に随神門

随神門の内より神域を守護されるのは、かなりの年代を経た随身様。全体に比して眼光が鋭く見えるのは、金泥を使っているのか?それとも玉なのか・・。御幣がお姿を遮ってハッキリと見る事が出来ません。

由緒に【第8代孝元天皇の治世に創祀されたと伝える。第10代崇神天皇の御代に羽咋の竹津浦に御祭神を分霊し、「気多神社(現 氣多大社)」が創祀された。それから「気多本宮」と称するようになった。天正年間(1573年-1593年)に前田利家が旧社地より現在の所口に奉遷。能登国総鎮守で、上代には能登の大神と仰がれていた。】

拝殿にかかる「気多本宮」の額

千鳥破風、唐破風付きの拝殿

拝殿彫刻は精緻で美しく、寺社彫刻大好きの私にはもうこんなに幸せな事はありません(笑)向背の龍も、満開の牡丹を見上げて満足気。

大きく羽を広げる鳳凰と、貫の獅子

腕木に施された梅の枝にはひっそりと鶯が隠れています。

拝殿の扉に施された欄間風の彫刻は、中央に梅鉢をおいた透かし彫り。

参道途中より神域を守護されるのは、大正12年(1923)4月吉日建立の笏谷石狛犬さん一対。。阿形さんの下顎、吽形さんの右前脚は、まるで何かにそぎ取られたようで、何があったのかわかりませんがいつまでも健在でいて欲しいものです。

ブロンズ製の奉納御神馬、腹掛けの御神紋は鮮やかな金泥で「丸に桜」。

参拝日:2011年10月18日

 

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能登國総社(のとこくそうじゃ) in 石川県七尾市古府町

2017年12月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾市古府町に鎮座される「能登國総社」。御祭神は『能登國式内四十三座神』『建御名方神』

社伝に【往古『大穴持命』を奉祀したのに始まり、『源順(みなもとのしたごう)』が、能登守のとき再建して、能登国中の式内四三座の神を勧請したという。「能登国式内等旧社記」には「惣社矢田郷古府村鎮座称惣社明神或云惣座宮。往古国府神拝之惣社也」とある。明治40年に諏訪神社を合祀した。】

総社という名から、漠然と規模の大きな神社を想像していましたが、意外なくらいこじんまりとしています。 ただ、境内の静謐さはとても心地よく、深く吸い込んだ空気はことのほか澄んで感じられました。

七尾市指定有形文化財の社殿は一間社流造・柿葺。棟札によると寛永14年(1637)の造立で、延宝2年(1673)に南側に建て替えた旨が記されています。覆屋の中なので本殿は見られませんが、拝殿の扉には「丸に桜」の神紋。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和10年(1935)4月建立の狛犬さん一対。丸い団子鼻から口に沿って耳元に流れる曲線が不思議な表情を生み出し、中々にユニークな顔立ち。目が合った瞬間、なんとも微妙な薄笑いを浮かべる阿吽の一対(笑)

注連縄が張られた御神木。

境内右手に置かれた「力石(盤持石)」「幕末次代を最盛期として能登地方農村地域において力比べとして盤持ちや俵担ぎなどが行なわれた。当古府町では大正七年(1918)唐戸山大関となった中の戸は壱石盤(150㎏)を軽々と差し上げたと云い伝えられている。」現地説明より

「靖国英霊鎮魂の碑」。単なる忠魂碑ではなく「靖国英霊」の文字に想いがあふれ出します。 靖国=戦争賛美だと喚く愚者には、命を賭してでも・・と願った彼らの心根は決して理解できないのでしょう。守りたかったものは日本国という自らの故郷。その故郷に生き、愛する者たち、その全てです。彼らの命で贖われた平和は、決して勝者が恵んでくれたものではない事を知るべきです。

「無常観音」

参拝日:2011年10月17日

 

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市杵島姫(いちきしまひめ)神社 in 石川県七尾市松百町

2017年12月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾市松百町に鎮座される「市杵島姫(いちきしまひめ)神社」、御祭神は『市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)』

由緒「当地方は風景絶景なる勝地、松百の半島地たる島端字白崎に産土神として、竹生島明神(市杵嶋姫命)を本斎されるものにして、養老年間以前の古祠であると伝えられるが、鎮座地は山嶽、海崖に近く、風濤によって社殿の損害激しく、また、交通不便が故に現在地へ移転。明治23年現在地で正遷宮される。」石川県神社庁HPより

拝殿後方に、比較的新しく造営されたと思われる本殿鞘堂

拝殿前左右より神域を守護されるのは皇紀2600年(昭和15年(1940))建立の、ややメタボ気味の狛犬さん一対。阿形さんの笑顔は飛びっきり上等。対する吽形さんは真一文字に硬く口を結んで、必死に笑いをこらえているようす。

そりゃぁね・・こんな事されたら・・(^^;) 怒るわけにもいかないし。もう笑うしか無いですね(笑)

参拝日:2011年10月17日

 

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印鑰(いんにゃく)神社 in 石川県七尾市

2017年12月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾市府中町に鎮座される「印鑰(いんにゃく)神社」。御祭神は『市杵嶋姫命』

由緒【養老3年國府を七尾港付近に設け、港の守護神と鎮祭し、能登國國衙の印璽を保管した由来から「印鑰神社」と称す。戦國の爭乱天難を土中にさけ、文緑年中赤間田より『地主・両川市左エ門』『郡奉行・三輪藤兵衛』の夢告により出土し、慶長2年大手町、寛永16年府中町と府中村の入会浜に移転、文政8年現地に遷宮す。】

拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治26年(1893)建立の狛犬さん一対。大きな口を開けて笑う阿形さんの楽しそうな事。わずかに口角を上げて微笑む吽形さんは、ちょっと大人。

本殿左横に鎮座される「西宮神社」。御祭神は『事代主命(恵比寿神)』。かつて印鑰前通りにあった恵比寿堂がこの地に遷座、「西宮神社」と改称されました。

拝殿左側に鎮座される「金毘羅神社」

境内の一角に展示されていた「府中町でか山車輪」

境内の石像2基は七尾の財閥・樋爪家にあったもので、樋爪家が没落した後に奉納されました。

帰り際に見かけた「府中町でか山」の山倉。

参拝日:2011年10月18日

 

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大地主(おおとこぬし)神社 in 石川県七尾市

2017年12月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

七尾市山王町に鎮座される「大地主(おおとこぬし)神社」。御祭神は、『大山咋命、素盞嗚命、伊許保止命(いこほとのみこと)』

由緒【養老二年能登国の守護神として当社を勧請す。天元年間国司『源順(みなもと のしたごう』社殿を再建し、始めて4月申日(5月14日)の祭典(青柏祭)を修行す。文明5年『畠山修理大夫義統』青柏祭に曳山を奉納す。天正10年6月『前田利家』社殿を再建し、古格の祭礼を再興す。当社はもと「能府地主山王宮」と称し、昭和3年「大地主神社」と改称す。】

千鳥破風唐破風付き入母屋造り・銅板葺きの拝殿は、大正二年の建築。拝殿には数多くの彫刻があったのですが、ご亭主殿の怠慢で画像は無し(T^T)。なんでご亭主殿の責任?と思われそうですが、御朱印を頂く間、ずっと玄関内で待っていたので、境内の写真はご亭主殿に一存していたのです。

と言うことで境内社も、私が写した川原町の「登口神社」のみ。予定にせかされると、往々にこういう事があり、結果、後になって後悔するのです。でもしつこいようですが、今回は!ご亭主殿が悪い"(-""-)"

境内入り口の「昭和の碑(大東亜戦争戦没者御芳名)」に深く首を垂れて・・

鳥居の内に「御神木」「青柏祭」の碑

「大地主神社」の御神輿庫。上部には、「丸に三柏」の神紋があり注連縄が張られています。毎年5月3日から5日まで開催される「大地主神社」の祭礼「青柏祭(せいはくさい)」。 神饌を青柏の葉に盛って神前に供え、天下太平五穀豊穣を祈る、山王神社の春の例大祭。七尾四大祭の一つ、北陸三大祭の一つとしても知られ、国重要無形民俗文化財に指定されています。

「青柏祭」に奉納される「でか山」は「府中町」「鍛冶町」「魚町」の三台。 高さ12m 長さ13m 幅4・5mで山車としては日本最大級、体積・重量では日本一といわれます。実物は見た事がありませんが、ネットやポスターなどで見る限りでは、圧倒的な大きさで迫力は満点。

「七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場」内に展示されていた「でか山の開き」。上段に飾られる歌舞伎人形を間近で見る事ができます。

入口に展示されていた「でか山」の車輪。

市内で見かけた郵便ポストの「でか山」モニュメント。

参拝日:2015年5月20日

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御神名一口メモ

『伊許保止命(いこほとのみこと)』、阿波(安房)国造の祖とされる。

 

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ご当地マンホール in 石川県旧七尾市(七尾市)

2017年12月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

旧七尾市(ななおし)は石川県能登半島の中央部に位置し、富山湾、七尾湾に面していた市です。昭和26年(1951)に重要港湾に指定された「七尾港」を擁し、「第九管区海上保安本部」「自衛隊石川地方協力本部」が置かれています。 七尾マリンパーク内【七尾港開港100周年記念絵図】

市域にはいくつかの温泉街があり、中でも七尾湾に面して旅館が並ぶ「和倉温泉」は、全国有数の高級温泉街として知られています。

「市の木:タブノキ」「市の花:ツツジ」「市の鳥:カモメ」「市の魚:タイ」を制定。

明治4年(1871)、廃藩置県により七尾藩領が金沢県に編入。金沢県から分離し七尾県が発足し、県庁所在地が所口村(もろぐちむら)に置かれる。

1872年、七尾県が廃止され、石川県に編入される。

1875年、所口村から七尾町に呼称を統一する。

明治22年(1889)、町村制の施行により、鹿島郡北大呑村・崎山村・南大呑村・高階村・東湊村・矢田郷村・徳田村・西湊村・石崎村が発足。

1939年、鹿島郡七尾町、東湊村、矢田郷村、徳田村、西湊村、石崎村と和倉町奥原・和倉地区が合併、七尾市が発足。

1954年、鹿島郡北大呑村・南大呑村・崎山村・高階村を編入。

2004年、旧七尾市、田鶴浜町、中島町、能登島町が合併、新たに七尾市となりました。

マンホールには七尾市の市章を中心に、「町の花:ツツジ」がデザインされています(カラー蓋は、和倉温泉街近くに設置)

農業集落排水のマンホールには、旧市章を中心に市の花ツツジが大きく描かれています。

漁業集落排水のマンホールには能登湾を跳ねる「市の魚:タイ」と「市の鳥:カモメ」がデザインされています。(七尾市佐々波地区の国道160号線沿いに設置)。

コミュニティプラントは漁業集落排水マンホールと同じデザイン。(国道沿いから一歩中に入った集落内に設置)

昭和15年2月22日制定の旧市章は「クローブを表し、その中に畠山氏の紋章を配したもの」合併協議会資料より

空気弁

仕切弁

七尾市にある和倉温泉の「調整弁」。中央には温の文字がありますが、いわゆる規格蓋です。

北陸電力マンホール。石川県全域の他、富山県全域、福井県、岐阜県の一部に電力を供給しています。

撮影日:2011年10月18日&2015年5月20日

 

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ご当地マンホール in 石川県七尾市

2017年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・石川県

七尾市(ななおし)は石川県の北部、能登半島の中央に位置し、北は穴水町、西は志賀町、南は中能登町と富山県氷見市に接っする市です。2004年10月1日、旧七尾市、鹿島郡田鶴浜町・中島町・能登島町が合併し発足しました。市名は日本で最大規模の山岳城「七尾城」が築かれていた城山に七つの尾根(松尾、竹尾、梅尾、鶴尾(菊尾)、亀尾、竜尾、虎尾)があったのが「七尾」の名の由来とされています。「市の木:松」「市の花:菜の花」「市の鳥:カモメ」を制定。

能登半島は珪藻土埋蔵量が日本一と言われ、その珪藻土から作られる「珪藻土切り出し七輪」は保温断熱効果が高く、能登の特産品として知られています。(七尾フィッシャーマンズ・ワーフ・能登食祭市場入り口展示)

キャッチフレーズは「七尾湾と温泉をいかした能登から世界への架け橋」「~人が輝く交流体感都市~」

マンホールは旧七尾市当時のもので、新市章を中心に「旧市の花:ツツジ」が描かれています。

漁業集落排水マンホールも旧七尾市のもので、新市章に「七尾湾とカモメ」、元気に跳ねる「ハチメ(メバル)」がデザインされています。

市章は2004年10月1日に制定、【七尾市の頭文字の「N」を使って、豊かな恵みをもたらす美しい七尾湾の波と温泉の湯けむり、さらに未来、世界へ向けて躍動する市民の姿を表しています。】公式HPより 

七尾市観光協会マスコットキャラクター『とうはくん』は、絵師『長谷川 等伯』をモデルに誕生しました。趣味は七尾市内の寿司の食べ歩き 、水墨画を描くこと 、日本全国を旅すること 、温泉に入ること。能登半島のど真ん中「七尾市」をこよなく愛しています。

天文8年(1539)~慶長15年(1610)。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師『長谷川 等伯』。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人として知られています。金碧障壁画と水墨画の両方で独自の画風を確立し、晩年には自らを「雪舟五代」と称しました。東京国立博物館に収蔵される代表作『松林図屏風』は日本水墨画の最高傑作として名高く、国宝に指定されています。

撮影日:2011年10月18日&2015年5月20日

 

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穴水大宮(あなみずおおみや) in 石川県穴水町

2017年12月14日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

穴水町大町に鎮座される「穴水大宮(あなみずおおみや)」。御祭神は『宗像三女神』『正一位稲荷大明神、大山咋命、加具頭知命(かぐつちのみこと)、宇迦魂命、少名彦命』。延喜式内社「辺津比咩(へつひめ)神社」とされます。

社伝に【本殿正殿の地中に大概六尺四方の神秘な石棺あり、神代の宝器・旧記等が納められているという。(中略)桜谷と称する洞穴より出ずる清泉を真名井と言い、穴水とも同意なり(中略)。元祿度より亨保度まで徳川家の御領に相成り、代官在住支配の節も、当社は郡中の総社と定められ尊敬の御社にして、即ち、寄附の金幣・金灯籠など今なお現存す。又、北陸最古の絵馬(帆掛船)あり。永治度『西行法師』当社へ参拝の折、奉納詠歌などもあります。文徳天皇仁寿年始正六位に叙位、格天皇文化4年正一位の神位を奉授された。孝徳天皇の御宇より神祗官から祈年の奉幣があった。】

社殿の内には北陸最古の絵馬が奉納されているそうです。

拝殿前より神域を守護されるのは、貴族的風貌が凛々しい顔立ちの狛犬さん一対。吽形さんは角を、阿形さんは鞠に手を置いています。台座の位置が高いので、下から見上げると目と目があって・・なんだか照れ臭い(笑) 

境内の一画に『西行法師』参拝の折に奉納したという詠歌。

【  立ち帰り 辺津の入り江に 舟とめて いくたびも見む 能登の島山  】

所願成就の絵馬は、穴水大宮に残る「北陸最古の帆掛船奉納絵馬」をなぞったもの。

「戦慄記念・主砲」

参拝日:2015年5月22日

 

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長谷部(はせべ)神社 in 石川県穴水町

2017年12月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

穴水町川島に鎮座される「長谷部神社」。御祭神は『長谷部 信連公(はせべのぶつらこう)』

真新しい由緒書きに刻まれた御神紋は『長谷部家】の家紋「九曜」。「九曜」とは、七曜星に「羅睺(らご)・計都(けいと)」の二星を加えたものを言います。

由緒に【能登国大屋荘の地頭で、「平家物語」でも著名な鎌倉武士の『長谷部信連公』を祀る。信連公が建保六年(1218)の逝去に先立ち、自作の肖像を刻んで大町来迎寺の御影堂に安置したのが、当社の起こりという。江戸時代には「武健(ぶけん)大明神」と称し、昭和十年・由縁深い穴水城の麓の現在地に移転した。寛永二十一年(1644)建立の本殿は、神社建築に特異な禅宗様で、殿内の宮殿は漆塗に極彩色を施した唐破風の精緻なものである。】

本殿は雪囲いがされていて、外からでは由緒にある諸々は全く見ることは出来ません。 が、その殿内には御祭神が人であった時代に必要とした、生活用具一色が納められているとか。本殿の中にそんなに沢山のものが?と思いましたが、それらは皆、小さく誂えられた品だそうです。

拝殿前より神域を守護されるのは安政6年(1859)建立の狛犬さん一対。中々に味わいのある顔立ち。普通に「耳まで避けた口」と言うと、獰猛とか怖い!のイメージですが、こちらは全く例外(笑)

本殿の向かって左隣、祠の中に鎮座するのは「子宝石」。いわゆる「陰石・陽石」。子宝などを必要としない年齢になった私たち、すでに宝である者の幸せを願ってきました。

清冽な空気が漂う境内の一画に建立された「彰忠碑」。戦で命を落とされた方々を可哀想と言ってしまうのは、平和に慣れきった愚者の驕り。有史以来、人は我が身を守る為、様々な敵と戦い生き抜いてきました。我が身が家族になり一族になり、地域になり国になり・・その歴史のうえに私達が存在するのです。薄っぺらい「平和」を盾に、国の礎となられた方々を貶める愚者を、私は心底、軽蔑します。

入口近くに建立されていた句碑、【 八重桜 手まりのごとく 風にゆれ 】 

こちらの「長谷部神社」ですが、実は御朱印を頂きたくて2015年に再度参拝しました。何度おとなっても社務所には人の気配が無いようで、残念ながら御朱印は諦めざるを得ません。そうそう、もと護摩堂として建てられていた拝殿、いつの間にか新しくなっていました。

参拝日:2011年10月17日&2015年5月22日

 

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能登さくら駅と曽呂神社 in 石川県穴水町

2017年12月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

桜のトンネルで有名な「のと鉄道七尾線:能登鹿島駅」、別名「能登さくら駅」

生憎と私達が訪れたのは五月も終盤に差し掛かり、桜は既に濃い緑の葉桜。本当に「○○の桜」と名の付く物には縁のない二人(^^;)

波静かな七尾北湾を望む無人駅ですが、季節には大勢の花見客を迎えて賑わうとか・・・ 満開の桜が映えるだろう瀟洒な駅舎は「中部の駅百選」にも選ばれています。

滅多に無い事に丁度電車が入ってくる様子。取り急ぎホームへ。 入ってきたのは可愛らしいというべきか、綺麗というべきか、とてもお洒落なラッピング電車。多分「のと鉄道」に関連したイラストなのでしょうが、葉桜の中に見る姿はとても可愛らしくて素敵。

線路の向こうに小さくなってゆく電車を見送って、ホームの階段から見た葉桜越しの七尾湾。初夏の陽光を受けてキラキラと輝いています。

車に戻りかけて、ふっと駅のすぐ傍に鎮座される「曽呂神社」の鳥居が目に入りました。 予定外ですが目に止まったのも何かの縁、御祭神は不明ですが参拝を。

鳥居から拝殿までの石段はそれほど距離も無く、直ぐ先に拝殿が見えています。 真新しい鳥居だったので狛犬さんは期待していなかったのですが、良い意味で裏切られました。

笏谷石のような色合いと手触り、加賀獅子を思わせる顔立ち。これは絶対に狛犬さんたちに呼ばれたんだとご亭主殿、大喜び(^^;) 

今は凪いでいる七尾湾ですが冬の海風はきつい筈・・こんなに綺麗な狛犬さんに会わせて下さって有難うございます。

訪問日:2015年5月22日

 

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