車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

神明神社 in 千葉県千葉市

2019年10月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉市村田町に鎮座される「神明神社」。御祭神は『天照皇大神・大日要貴命・豊受皇太神・月夜見命』

境内記念碑:由緒より【村田の守護神新明神社は、治承4年(1180)源頼朝が日本武尊の故事にならい創建を命じられたものと傳えられている。永祿年中(1558~70)大津波ありて村田一円の建物悉く流失したが、本社の祠だけが泰然と残った。従って村民の崇敬を更に深め直ちに小さな社屋が再建された。その後我々の祖先が弘化元年(1844)より嘉永5年(1852)の九年間僅かの戸数で一致協力して現在の総欅神明作りの社殿を建立したものである。狛犬もその時(嘉永5年)のものが現在に至っています。】

拝殿前左右より神域を守護されるのは、嘉永5年(1852)壬子2月吉日建立の、奥目の江戸流れさん一対。 どちらも軽く右手を上げているのが、まるで「お手!」と言われて素直に応じる子犬のよう😊

台座には「行徳川原の石工『治兵エ』」の名が刻まれていますが、この狛犬さん、前にも拝見したような・・ ああ確か、「前髪が目に入るから切りなさい」と言った母を思い出させてくれた・・あの狛犬さんにそっくり!

「境内社:稲荷大明神」、言わずもながですがご祭神は『稲荷神』。 さらにもう一社「稲荷大明神」の祠があり、石碑に朱の文字で『稲荷大明神』と刻まれています。

「境内末社:子安大明神と痘神」「痘神(ほうしん)」とは、疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神。 その昔は、死に至る事もあった恐ろしい病。人知では抗う事の出来ない厄災を神として祀り上げる事で、難を逃れようとしたのかもしれません。

水難から人々を救うとされる「水天神」「弁財天神」と共に、町民の祖として敬信されています

「道祖神」は厄災の侵入防止を祈願するための村の守り神、集落の境や村の中心に祀られます。

境内には他にも沢山の境内社や石碑が建立されており、「身延登山記念碑」「関西 四国 中国観光記念」・・・

「伊勢〇〇記念碑」。右に至っては解読不能😓

並んだ碑二基、多分写真に残した時は分かっていたと思うのに、今となっては画像からは読み解けません😓

参拝日:2019年3月19日

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千葉神社~其の二 in 千葉県千葉市

2019年10月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

昨日に続いての「千葉神社」。生憎と駐車場が満車で車の置き場所が無く、ご亭主殿は何時でも移動できるように離れた場所の車内で待機。それもあって時間に急かれての撮影。画像としては今一つなものが多いと後で見直せば出てくる不満。ともあれ、妙見池に架かる「ねがい橋・かない橋」の奥に鎮座される「末社12社」からスタート。

橋の先には岩屋風の「御嶽神社」。頂上に『国常立尊、大山祇神、瓊瓊杵尊』、御三方の銅像が祀られています。

左から「神明社」・「三峯神社」・「日枝神社」・「天神社」・「八幡神社」が鎮座。 「八幡神社」が養和元年(1181)と最も古い勧請。「日枝神社、天神社」が寿永元年(1182)、「三峯神社」が文政5年(1822)、旧・横町より移転した「神明社」が明治15年(1882)と記されています。

天明2年(1782)、兵庫県の西宮神社の御本社より勧請した「西之宮」、御祭神は『恵比寿神』。 天保11年(1840)勧請の「金刀比羅宮」には、『金山彦神、大物主命』の二神。

「金刀比羅宮」の前より神域を守護されるのは、例の、桃鉄に登場する○○神に似た狛犬さん。 阿形さんの傍らには、将来絶対に親狛と同じ顔になること間違い無しの仔狛も大人しく控えていました。

吽形さんは、仔狛の為の鞠を手にして得意満面な顔。「この毬をGetするのに、ものすご~~~くガンバッタんだぞ!!」みたいな😊

治承3年(1179)勧請の「稲荷神社」には、『稲倉魂命、保倉神、稚産霊神』。 寿永元年(1182)勧請の「星神社」には、『星香々背男 (あめのかがせお)神』

御本社の妙見様と同時期の勧請とされる「姥神社」には、『妙見様の姥(乳母)』。 寿永元年(1182)勧請の「厳島神社」には、『市杵嶋姫命(別名:弁財天)』が祀られます。

姥神さまの前より神域を守護されるのは、阿吽それぞれが別の石工の作と思われる一対。

鋭くとがった牙など、どことなく「狼」を思わせる風貌は、間違いなく見覚えのある顔立ち。どこだったかな・・・

ラストは「千葉神社」の目的だった芭蕉の句碑(見つけられず、巫女さんにお聞きしました)。碑には元禄5年に金沢の門人『句空』に贈った『芭蕉』の句と、江戸後期の俳人で伊勢津藩士であった『完来』の句が刻まれています

【うらやまし 浮世の北の 山櫻】『芭蕉』
【海はれて 動かぬ星や 秋の空】『完来』

参拝日:2019年3月19日

今回の「千葉神社」ですが、先にも書いたように珍しく一人で参拝しています。 いずこも同じですが、駐車場が不便な場所はよほどでない限り避けることにしています。ここへの目的は、鳥居前のマンホール撮影と、境内の奥にある「芭蕉の句碑」だけ。多分、ものの数分も有れば済むだろうという事でご亭主殿は車で待機。気持ちは焦るし、画像に残したいものは「獅子児鍛錬像」を筆頭に枚挙にいとまがないほど。この神社に関しては調査不足でした。

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千葉神社~其の一 in 千葉県千葉市

2019年10月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉市中央区院内に鎮座される「千葉神社」。御祭神は『天之御中主大神・経津主命・日本武尊』。 北辰妙見尊星王の本宮を意味する「妙見本宮(みょうけんほんぐう)」とも呼ばれます。

1990年に竣工した社殿は、上下に二つの拝殿を有する日本初の重層社殿。一般的な神社の拝殿とは異なり、様々な人たちが気軽に参拝できる設備が整えられています。余談ですが、2018年には「ミキハウス子育て総研」によって、「ウェルカムベビーの神社」に認定されたそうです。

縁起に【千葉氏の守護神である北辰妙見尊星王(妙見菩薩)を本尊とする寺院(千葉妙見宮)として建立。覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝えられる。江戸時代には「北斗山金剛授寺尊光院」と称する真言宗の寺院であったが、明治の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は、神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、今日でも同社が日本有数の「妙見信仰」の中心とされてきている。】

「尊星殿(そんじょうでん)」は神社建築では類例のない楼門と社殿の複合建築物。中央を「福徳殿」、東を「日天楼」、西を「月天楼」、上階を「開運殿」とし、北辰妙見尊星王が掌握する日・月・星の御力を個別に授かれるようになっています。

表鳥居の内には、昭和天皇即位御大礼記念として、昭和4年(1930)5月建立「獅子児鍛錬像」。獅子が我が子を千尋の谷に突き落として鍛錬したと伝わる故実を題材とした、写実味豊かな逸品です。

鍛錬されるというより、機嫌よく遊んでいたら置いていかれた・・といった表情の仔狛😅 思わずヒョイと抱き上げて拉致りたくなる。

一方、お約束通りに谷底に仔狛を落とした吽形さん。本当は不安でたまらないのか、つんのめりそうな姿勢で仔狛を見ています。

でも仔狛も負けていません。一歩、また一歩と必死に崖をよじ登っている姿が胸を打ちます。

ところがもう一匹は、何でこんな理不尽な目にあわなければいけないのか納得できない様子。 仰向けになってじたばたと抗議の真っ最中😅。こんな格好の子供・・たまに見かけます。

社殿の右手に鎮座されるのは、寿永元年(1182)に千葉神社に勧請された「摂社:千葉天神」。御祭神は『菅原道真公』。県内最大の天神社とされます。社殿は昭和29年に再建された千葉神社の旧社殿だったもので、その後、境内西側に移築し「千葉天神」の祈祷殿とされています。

ご祭神である『妙見様』は「水神」でもあり、古くから妙見の霊泉などとされる場所が各地に存在します。 「霊泉・延寿の井」の側に鎮座する「美寿之宮」。御祭神は『水御祖(みずのみおや)大神』

「美寿之宮」の近くには『妙見様』の神使いである「玄武」を象った「亀岩」が鎮座。 多分見る位置によって違うのでしょうが、どうしても「亀」の姿が見えてきません😥

予想外に見どころが沢山の「千葉神社」、明日は妙見池の向こうに鎮座する摂社群を紹介します。

参拝日:2019年3月19日

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稲荷神社 in 千葉県千葉市稲荷町

2019年10月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉市稲荷町に鎮座される「稲荷神社」。御祭神は『豊宇気比売命、久久能知命(くくのちのみこと)』

由緒に【往昔、『日本武尊』が東夷征伐のため上総国へ赴く際、当地に「御駒(馬)」を放ち、この「地主神」に夷賊退治の無事達成を祈り誓いを立てた事から、此の地は「駒ヶ原」と呼ばれ、『豊宇受大神』を祀り「駒原神社」とした。その後、大治元年(1126)千葉常重が猪鼻に館を構えて以来、千葉氏の守護神として「御達報 稲荷」と称した。】

拝殿の懸魚には白雲の中を飛ぶ鶴、逆巻く波間から顔を覗かせる向背の龍の彫刻も見事。

拝殿前左右より神域を守護される神狐さん。阿形さんは自由に遊びたいと駄々をこねる小狐を押さえ、吽形さんは作法どおりに「宝珠」に手を置き、まじめくさった顔で、その様子を見ています。

拝殿の屋根の上から感じる視線に思わず見上げると、何とそこにも可愛らしい狐さんが・・!! きっと、さっき阿形さんが抱いていた子狐は、あそこまで行きたくて、駄々をこねていたのかもしれませんね。

境内の一画の一段高く築かれた場所に「忠霊碑」「八紘一宇」の碑。「八紘一宇」とは、日本書紀の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を現したもの。きちんと出典を学びもせず、愚かな自虐史観のみで「悪しき言葉」と言い募る愚者には、億万分の一も理解できない美しい言葉です。

もう一つの碑は、『花沢紋十』が製造を創めたと記録に伝えられる「甘藷澱粉製造発祥之地記念碑」。『青木昆陽』が幕府の命によって下総国馬加村(千葉市幕張町)に甘藷を試作したのが享保二十年(1735)。 それから百年の後、この地において「甘藷澱粉」の製造が創められた旨が詳しく記されています。

参拝日:2014年5月21日

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登渡(とわたり)神社 in 千葉県千葉市登戸

2019年10月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉市中央区登戸に鎮座される「登渡(とわたり)神社」。西千葉の総鎮守で、通称「登戸神社」と称され、御祭神は造化三神『天御中主命・高皇産霊命・神皇産霊命』『天日鷲命(あめのひわしのみこと)』を配祀。

由緒に【千葉氏の末裔『登戸権介平定胤』が祖先を供養するため、正保元年(1644)に地区の最高点である遠望台に「千葉妙見宮」の末寺を勧請、「白蛇山真光院定胤寺」を起縁とする。慶応3年(1867)に「登渡神社」と改め、祭神を「妙見菩薩」と同一視される「造化三神」に定める。明治41年(1908)に「鷲神社」を合祀し、『天日鷲命』を加えて4柱となった。】

拝殿前左右より神域を守護されるのは、 宝暦9年(1759)建立、口中に朱の跡が残る狛犬さん一対。 阿吽のどちらも、歯科学会から表彰されそうな美しい歯並び、かなり羨ましい😅。

 

何が原因だったのか社殿の画像が他に無い・・ので、代りに絵馬。総欅造の本殿は、入母屋造平入で屋根は銅板瓦葺。元は寺院であったために伽藍構造をしているとあります。

本殿の小壁嵌板彫刻は、信州上諏訪・立川流の彫刻師『立川内匠正(和四郎富昌)』。細部まで躍動感にとんだ素晴らしい仕上がりで、こんな時はつくづく上等のデジカメが欲しいと思います😓 左右の貫から見下ろす獅子と獏、折り曲げられた爪の先、足の裏にまで、彫り師の技が冴えます。

何と言っても圧巻なのは、本殿扉の上部に施された彫刻。題材としては「箏(そう)を奏でる君子」。その昔、宋や唐の時代においては「箏」を奏でることは君子のたしなみであったと云われます。

扉には、好き勝手に戯れる「唐獅子牡丹」が彫られており、わずかに彩色の跡も見られます。 立川流の彫刻としては最も東にあるこれらの彫刻は、昭和43年(1968)に千葉市文化財に指定されました。

神社の裏参道に並ぶ庚申塔や青面金剛などの石塔群。それはかってここが、妙見宮の末寺であった時代を物語っています。

最期の一枚は、やはり境内の一画で見つけた句碑ですが、残念ながら一部分が読めたのみ。「拍子木」の文字が見える事から、おそらく祭礼の様子を詠んだ物と思われますが、わかりません。もしもご存知の方がいましたら、ぜひコメントください🙏

参拝日:2014年5月21日

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千葉県千葉市のマンホールカード&ご当地キャラ

2019年10月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(累計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「千葉市」のマンホールカードは、「千葉市観光情報センター」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「市章とコアジサシ・大賀蓮」がデザインされています。

【千葉市は1126年(大治元年)、当時の武将・千葉常重が中央区亥鼻付近に本拠を移し、武士団を形成したことを端緒に、今日の繁栄に至ったと言われています。 本デザインの製作にあたっては、中央に千葉氏の家紋「月星紋」と千葉の「千」を配した市章を据え、周囲に水の広がりと波紋のイメージをあしらい、そこに市の鳥「コアジサシ」、市の木「ケヤキ」を描いて安らぎと暖かさを表現しました。 フチに沿って配置されているのは市の花「オオガハス」。 この花は、故大賀一郎博士が千葉市検見川で発掘した実をもとに発芽・育成に成功した古代のハスで、千葉県の天然記念物にも指定されています。】

訪問日:2019年3月19日

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「花のあふれるまちづくり」シンボルキャラクター『ちはなちゃん』。千葉公園のハス池に住んでいる大賀ハスの妖精で、背中には緑の葉っぱの羽があります。

加曽利貝塚PR大使『かそりーぬ』、加曽利貝塚の魅力や重要性をみんなにPRするのがお仕事。 縄文時代中期の「加曽利E式土器」を頭にかぶり、「イボキサゴ貝」の首飾りをつけています。

ジェフユナイテッド市原・千葉のホームスタジアム、「フクダ電子アリーナ(略称「フクアリ」)」。千葉市の条例では「千葉市蘇我(そが)球技場」が正式な名称です。

黄色と緑と赤のクラブカラーに、秋田犬をモチーフにしたエンブレムの自動販売機もあります。

撮影日:2019年3月19日

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ご当地マンホール:デザイン編 in 千葉県千葉市

2019年10月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

千葉市(ちばし)は千葉県の中央部に位置する市です。佐倉市、四街道市、習志野市、八千代市、八街市、東金市、大網白里市、市原市、茂原市に隣接。市域は臨海部および各河川下流域に広がる関東平野の平地と、その周辺部は下総台地の台地・谷津で構成。千葉県の県庁所在地及び人口最多の市であり、政令指定都市の一つ。中央区・花見川区・稲毛区・若葉区・緑区・美浜区の行政区があり、国際拠点港・日本三大貿易港である千葉港を有します。また市内にはアジア地域有数の国際見本市である幕張メッセがあり、首都圏の中でも多種業務機能が集積した首都機能の一翼を担い、中心業務地区 (CBD) の千葉都心・幕張新都心を中心に世界に開かれた国際都市の役割を担っています。「市の木:ケヤキ」「市の花:大賀蓮」「市の花木:夾竹桃」「市の鳥:コアジサシ」を制定。

キャッチフレーズは「人とまち いきいきと幸せに輝く都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により千葉郡千葉町・蘇我野村・検見川村・都賀村・都村・千城村・犢橋村・幕張村・生浜町・椎名村・誉田村・白井村・更科村が発足。山辺郡土気本郷町が発足。

1890年、蘇我野村が町制を施行、千葉郡蘇我町と改称。

1891年、検見川村が町制を施行、千葉郡検見川町となる。

1896年、幕張村が町制を施行、千葉郡幕張町となる。

1921年、千葉郡千葉町が県内初の市制を施行、千葉市となる。

1937年、千葉郡蘇我町、検見川町、都賀村、都村を編入。

1939年、土気本郷町が山辺郡土気町に改称。

1944年、千葉郡千城村を編入。

1954年、千葉郡犢橋村、幕張町を編入。

1955年、千葉郡生浜町、椎名村、誉田村を編入。白井村、更科村が合併、千葉郡泉町が発足。

1959年、印旛郡四街道町大日の飛地を編入。

1963年、千葉郡泉町を編入。

1969年、山武郡土気町を編入。

1985年、佐倉市下志津原、上志津原、上志津、下志津を編入。

マンホールには「市の木:ケヤキの上に市章」下に「市の鳥:コアジサシ」、さらに周囲に「市の花:大賀ハス」がデザインされいます。

一見同じに見えますが、中央の「市章」が「コミュニケーションマーク」に変わっています。マークは1991年12月1日に制定されたもので、市内六つの区を、弧を描く円で表しています。

雨水カラーマンホール。

上記と同じデザインのモノクロタイプの「合流マンホール」。

中央に「コミュニケーションマーク」上に「コアジサシ」、下に「大賀ハスとケヤキ」。カラータイプ、ホワイトタイプ、モノクロタイプ、いずれも汚水マンホール。

大網街道沿いに点在する平山地区の集排マンホールは、下に「コミュニケーションマークと大賀ハス」、上に「コアジサシとケヤキ」。

千葉公園のハス池には、約2000年前の古蓮と推定され世界最古の花とされる「大賀(おおが)ハス」、別名「古代ハス」が咲きます。

ジェフユナイテッド市原・千葉のキャラクター「ジェフィとユニティのサッカーシーン」がデザインされたプリントシールマンホール。シールタイプのマンホールは取り替えも手軽ですが、汚れが目立ちやすいのが残念です。

大正10年(1921)5月8日制定の市章は「千葉市の開祖、千葉氏の月星の紋章からとったものです。千葉氏の紋章は月星・九曜星の併用ですが、この月星に千葉の「千」を入れて、大正10年に市制施行を記念して本市の市章としました。」公式HPより

ちょっと変り種で「JFEスチール東日本製鉄所(株)」の通信用マンホール、中央に社章があります。千葉市中央区川崎には「JFEスチール株式会社 東日本製鉄所」の広大な工場群が展開されています。

上水道関連の蓋は「消火栓」「排水栓」「排泥枡」、いずれも旧:千葉県水道局章があります。

撮影日:2014年5月日&2019年3月19日

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香取神社 in 千葉県八千代市

2019年10月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

八千代市保品に鎮座される「香取神社」。御祭神は『経津主(ふつぬし)命』

2014年前後の参拝ではよくあるケースですが、本殿やそのほか境内社の画像が殆ど残されていません。 理由は単純明快! 折角千葉まで来たんだから、一箇所でも多くの神社に参拝して色んな狛犬さんを・・ご亭主殿の目的はほぼそれだけ😓 さて、余談はともかく、御由緒の類は不詳ですが、保品地区の鎮守様として、地域の方々に崇敬されているそうです。

拝殿前より神域を守護されるのは、天保15年(1844)甲辰9月吉日建立の、江戸流れの狛犬さん一対。

どうです、中々の美形でしょう😊

とは言え、それだけでは幾らなんでも記事にするのはあんまり・・・色々と言い訳も考えてみましたが、無いものは仕方ないので手元にある画像から視点を変えて、狛犬さんたちの後ろ姿を。

こうして顔のない角度から見る狛犬さんも中々に捨てがたい味わいがあります。 強いて言うなら江戸流れと呼ばれる所以の「尾」が小さいのが、ちょっと残念かな。

 後姿に漂う哀愁が・・・・・。

参拝日:2014年5月20日

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ご当地マンホール in 千葉県八千代市

2019年10月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

八千代市(やちよし)は千葉県の北西部、葛南地域に位置する市です。千葉市、佐倉市、船橋市、印西市、白井市、習志野市に隣接。市の北側は、下総台地の緑豊かな自然。南側は、森を残し、緑の景観に配慮した市街地が形成。市の中央には「新川」が南北に悠々と流れ、また、1万株のバラが咲き誇る京成バラ園、新川の両岸に咲く千本桜や20万株以上の彼岸花など四季折々の花が楽しめるまちです。市域には旧石器時代の遺跡が残されており、約3万年前からこの地に人が住んでいたとされます。また菅原道真のたたりを恐れた藤原時平の妻と娘が関東に逃れ、高津地区に住み着いたともいわれています。「市の木:ツツジ」「市の花:バラ」を制定。

昭和30年に日本住宅公団により、日本初の大規模住宅団地「八千代台団地」が建設された事から「住宅団地発祥の地」として知られ、その後も、大規模団地の建設が相次ぎました。京成電鉄八千代台駅西口ロータリーには、「住宅団地発祥の地」と題する記念碑が建立されています。

キャッチフレーズは「快適な生活環境とやすらぎに満ちた都市 八千代」

明治22年(1889)、町村制の施行により、千葉郡大和田村・睦村・印旛郡阿蘇村が発足。

1891年、大和田村が町制を施行、千葉郡大和田町となる。 <p>1954年、大和田町と睦村が合併、千葉郡八千代町が発足。同年、印旛郡阿蘇村を編入。

1967年、千葉郡八千代町が市制を施行、八千代市となりました。

マンホールには「新川と村上橋」・昭和56年に設置された「ブロンズ像」・「新川沿いの千本桜」、それに「市の花:バラ」が描かれています。

昭和34年(1959)10月1日制定の市章は「八千代の「や」の字をデザイン化したもので、八千代の発展を象徴しています。」公式HPより

上下水道関連の蓋は「防火貯水槽」「消火栓」「空気弁」「仕切弁」「排泥弁」、いずれも市章付き。

撮影日:2014年5月20日&2019年3月17日

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千葉県八千代市のマンホールカード&ご当地キャラ

2019年10月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・千葉県

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「八千代」のマンホールカードは、「八千代市上下水道局・下水道課」休日は「株式会社八千代市水道サービス」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「新川と千本桜」、「ブロンズ像」がデザインされています。

【八千代市の下水道事業着手50周年を記念して製作したカラーマンホール蓋です。 八千代市を縦断する「新川」の景観を主題にしたデザインで、沿岸に植栽された「千本桜」の花、新川にかかる「村上橋」と同橋に設置された「ブロンズ像」、八千代市の花「バラ」が描かれています。 2体のブロンズ像は、日本を代表する彫刻家・佐藤忠良氏が手掛けたもの。 それぞれ「大洋」(右手前)と「緑」(左奥)の作品名が付けられています。 本市にお越しの際は村上橋にお立ち寄りいただき、そこからの眺めを堪能しつつ、ブロンズ像と一緒に記念撮影をしてみてはいかがでしょうか。】

市制施行45周年を記念して誕生した八千代市イメージキャラクター『やっち』。体の色はシンボルマークと同じ「ブルーグリーン」。正面からでは分かりませんが、横顔は市章がモチーフなんです。

訪問日:2019年3月17日

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二度の千葉の旅で車泊をさせて頂いた「道の駅やちよ」。購入した果物&お野菜はどれも美味しく頂きました。 スタンプの可愛い牛さんは、「やちよ・ふるさとステーション」のイメージキャラクター『ミルチー』です。

車で旅をする私達にとって、こうした施設は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

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