車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

見能林(みのばやし)八幡神社 in 徳島県阿南市

2020年09月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

阿南市見能林町に鎮座される「見能林(みのばやし)八幡神社」。御祭神は『譽田別命、素盞嗚命、市杵嶋姫命』。社殿等はまだ新しいものの歴史のある神社と思われます。が、境内に案内等がなく創建・由緒などは不明。

「境内社:子安神社」は安産子育ての神として各地に祀られています。御祭神はおそらく『木花開耶姫神』と思われます。

社殿の前より神域を守護されるのは、天保5年(1834)9月建立の出雲丹後狛犬さん。大きな玉を咥えた阿形さんの嬉しそうな顔と、不満そうな吽形さんの顔が対照的で楽しい一対。

小さいのぞき窓が設けられたこの建物が「境内社」なのか、それとも祭礼山車を納めたものなのか、今更では調べようも無く不明。

その建物の両脇より神域を守護されるのは、明治37年(1904)建立の狛犬さん一対。 何があったのか、吽形さんのお顔は少し削ぎ取られており、何とも痛ましく見えます。

参拝を終えて帰りかけたとき、参道の石垣に不思議な形の何かを見つけました・・一瞬狛犬さん?と思いましたがまさかねぇ😅・・・まさかでした😲

最初は何かの冗談か、それとも奇をてらったオブジェかと思ったのですがどうやら本物の狛犬さん。先代さんとして片隅にひっそり置かれるのが普通かもしれませんが、この場所から参拝者を見守るのも有かなと思うと、驚きは別にして、奇妙に優しい気持ちになりました。

参拝日:2013年3月17日

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大宮八幡神社 in 徳島県阿南市

2020年09月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

阿南市福井町大宮に鎮座される「大宮八幡神社」。御祭神は『品陀和気命(応神天皇)』。社殿が鎮座される石垣と比例してあまりにも新しい鳥居が二基あり、いずれも最近の奉納と思われます。

石段参道を上りきった場所より神域を守護されるのは、明治41年(1908)建立の狛犬さん。白い前垂れと足にくくり付けられた賽銭箱がとっても迷惑だと言いたげなお顔😅

境内に案内等の類もない為、創建由緒等は不明。周囲の様子や御神木などからも、それ相応の歴史を経た神社であろうと思われます。

拝殿挙鼻に施された彫刻は「龍虎の戦い」。竹林からうっそりと姿を表すのは二匹の虎。

迎え撃つ龍は逆巻く波を身にまとい、低く唸りを上げて睨みつけ、戦いの始まりを待っています。

何度見ても見飽きない木鼻の獅子・・・う~~ん、もう少し離れて写せば良かったかな。

拝殿前より神域を守護されるのは、これ以上は無理と思えるほど低く身構えた明治20年代建之の狛犬さん。

あまりにも低く身構えているので、白い前垂れで足元がまったく見えません😓

拝殿屋根の鬼瓦さんは、大江山辺りに出没しそうな、変に人間くさい顔立ちで下界を見下ろしています。

神馬舎から除き見た御神馬・・・偶然なのか意図的なのか、しっかりと目が合う位置に居られる様で、度肝を抜かれてビックリ😲

推定樹齢:2000年と伝えられる、阿南市天然記念物「大宮八幡神社の大クス」。 複雑に絡み合っているのが、根なのか幹なのか・・。地上に近い部分は大きな空洞なのに、見上げた先には濃い緑の葉が生い茂っているのです。

参拝を終え改めて見上げた石垣。朽ちて又新たに芽吹く楠の様をずっと見続けてきたのかと思うと、この瞬間がとても愛おしく感じられてなりません。

参拝日:2013年3月17日

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ご当地マンホール in 徳島県阿南市

2020年09月18日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

阿南市(あなんし)は四国最東端、徳島県東部の中央海岸線に位置する市です。小松島市、勝浦郡勝浦町、那賀郡那賀町、海部郡美波町に隣接。東は紀伊水道、南は太平洋に臨み、西は四国山系の東端に連なる山地と沖積平野からなっています。古くから城下町であった富岡町周辺には中心市街地が、 また、阿波3港のひとつとして栄えてきた橘港を擁する橘町には、副都心的市街地がそれぞれ形成。さらに臨海部は、古代から漁業の根拠地でしたが、今日では工業開発の拠点として、 また海洋レクリエーション地帯として脚光を浴びるようになっています。「市の木:梅」「市の花:ヒマワリ」「市の鳥:ツバメ」を制定。

四国で最初に太陽が昇る町である事から、キャッチフレーズは「四国最東端 光のまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、那賀郡富岡村・橘浦村・新野村・桑野村・椿村・中野島村・宝田村・長生村・大野村・加茂谷村・見能林村・福井村が発足。

1905年、富岡村が町制を施行、那賀郡富岡町となる。

1912年、橘浦村が町制を施行、改称し那賀郡橘町となる。

1915年、新野村が町制を施行、那賀郡新野町となる。

1940年、桑野村、椿村が町制施を施行、那賀郡桑野町、椿町が発足。

1954年、富岡町、中野島村、宝田村、長生村、大野村の一部が合併、那賀郡富岡町が発足。

1955年、加茂谷村・見能林村・桑野町が富岡町に編入。橘町、新野町、椿町、福井村が合併、那賀郡橘町が発足。

1958年、那賀郡富岡町と橘町が合併、市制を施行、阿南市が発足。

2006年、那賀郡那賀川町、羽ノ浦町を編入。

マンホールには市章を中心に「市の花:ヒマワリ」と「市の木:ウメ」がデザインされています。

雨水用のデザインマンホールには、「市の花:ヒマワリ」を中心に、「市の木:ウメ」がデザインされています。

昭和33年(1958)9月制定の市章は「市の歴史と伝統を背景として創造・飛躍・発展を期し、理想に向って前進しようとする阿南市を「あ南」として、合体図案化しています。 」公式HPより

阿南市イメージアップキャラクター『あななん』は、いちばん最初に太陽が昇る”光のまち阿南”に咲くひまわりから生まれました。花と光のたてがみを持った百獣の王ライオンのような不思議な生物です。

撮影日:2013年3月17日

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坂野八幡宮&八坂神社と地蔵寺の宝寿水 in 徳島県小松島市

2020年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

小松島市坂野町大場に鎮座される「坂野八幡宮」。御祭神は『誉田別尊・多岐津姫命・多岐理姫命・市杵嶋姫命・息長帯姫命

神社新築記念碑に「元禄元年(1688) 8月15日に宇佐八幡宮の分霊を勧請して奉祀し、以来農漁民の守護神として崇敬してきましたが、宝暦4年(1754)に崇厳な社殿を建立し、大場、目佐、坂野、田北、刈屋、和田屹の6村により奉燈祭事を行っていた・・」

拝殿前より神域を守護されるのは、建立年代不明の狛犬さん一対。この顔立ち、とっても可愛いと言ったら、ご亭主殿に笑われました😅 それにしても、首に下げられているのはどうみても、お正月飾りのウラジロとミカン・・・・もう三月も半ばだと言うのに、徳島県の風習なのでしょうか。

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小松島市松島に鎮座される「八坂神社」。御祭神はおそらく『素戔嗚尊』と思われます。たまたま目的地の側に鎮座されていたので、参拝させて頂きました🙏🙏。

目的地は、小松島市松島町に門を構える、真言宗大覚寺派寺院「國伝山:地蔵寺」・・・の、境内にある、名水「宝寿水」を頂くこと😄
かって、阿波藩主:足利公方が来訪した際にこの水を所望し、賞賛されたと伝えられる名水。 車中泊の旅では、こうした地元の名水に巡り合えるのも、楽しみの一つ。

 

「地蔵寺」の境内に祀られていた「三宝荒神社」、小さな狛犬さんが神域を守護されています。

参拝日:2013年3月17日

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金長神社&建島女祖命神社&旗山八幡神社 in 徳島県小松島市

2020年09月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

たぬき一色だった小松島の「たぬき広場」。主役の「金長親分」は阿波狸合戦で落命しましたが、染物屋の茂右衛門が『金長大明神』として手厚く弔い、江戸時代後期の弘化5年(1848)には正一位を与えられ、屋敷神社として祀られてました。

中田町脇谷にひっそりと鎮座される「金長(きんちょう)神社」。主祭神は『金長大明神』

昭和31年(1956)、商売繁盛、開運の神としてこの地に勧請され、今も市民の方々に大切に守られています。

奉納絵馬の『金長大明神』、現代的手法で作られる陶器の狸さんと違って、とても凛々しく、流石に貫禄も威厳もたっぷり。

石像の『金長大明神』も負けてはいないのですが・・・”タヌキとはこうあるべき”的な発想からか、滋賀の某所あたりでは至るところでお見掛けするお姿😅

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小松島市中田町広見に鎮座される「式内社:建島女祖命(たつしまめおやのみこと)神社」。この社名を持つ神社は全国でも唯一、此処のみです。

御祭神は『建嶋女祖命』、合祀『應神天皇』。創祀年代は不詳「諸誌によると、883年従五位上の「埴生女屋神」とあり『建島女祖下照姫命』を祭るとある」と案内に記されています。

参道石段の脇より神域を守護されるのは、建立年代不詳の狛犬さん一対。このスタイルと顔貌は岡山県の備前地方に多く見かけます。

社殿近くより神域を守護されるのは、慶応3年(1867)建立の出雲構え型狛犬さん。阿形さんは大きな玉を咥えて得意げにこちらを見つめ返してくれます。

拝殿の画像は有りませんが、破風の鳳凰と木鼻の獅子はしっかりと捉えています。 こういう素敵な宮彫刻に出会えると辛い石段参道も頑張ろうと思える😄

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小松島市芝生町に鎮座される「旗山八幡神社」。御祭神は『誉田別命』と思われますが、由緒等は不明。

境内入口より神域を守護されるのは、嘉永6年(1853)8月建立の狛犬さん一対。こぶりながらも中々の面構えですが、見る角度の所為か、泣いているような目で参拝者を見上げます。

「境内社・王子神社」。こちらも由緒や案内は無くご祭神等の詳細も不明。

社殿前より神域を守護されるのは、慶応4年(1868)5月建立の、さらに小ぶりな狛犬さん。いわゆる「団子鼻」が特徴で、親近感を持たせる一対😅

参拝日:2013年3月17日

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小松島ステーションパーク:たぬき広場 in 徳島県小松島市

2020年09月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

マンホールのデザインにも使われた「タヌキ」。ここ小松島市には江戸時代末期に阿波国で起きたというタヌキたちの大合戦の伝説が残されています。「阿波の狸合戦」とも、また「金長(きんちょう)狸合戦」とも呼ばれ、四国に数あるタヌキ伝説の中でも特によく知られ、徳島のタヌキ伝説の中では、最も名高いものといわれています。

小松島ステーションパークの前には「金長だぬき郵便局」管内の郵便ポストがあるのですが、その上にとても恰幅の良いタヌキ様が、郵便配達のバッグを首に提げて立っています。

さて、それでは金長タヌキ一家が勢ぞろいしているという「たぬき広場」の探検。私たちを出迎えてくれるのは、阿波踊りの連を組んだ狸の一団。

阿波踊りと言えば徳島県の代表的な祭り、決して徳島市だけの専売特許では有りません😄 小松島のタヌキだって陽気な阿波踊りは大好きなのです。 鳴り物鳴らし、高張り提灯掲げて「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ~♪」

「踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々~~~♪」

「ヤットサー~ヤットサー~」「ヤットサー~ヤットサー~」

狸囃子に乗って賑やかに踊っていても、さすがに狸のまんまじゃ「連(れん)」に入れない・・かくなる上はと、可愛く化けた「こまぽん君」

映画にもなった「阿波狸合戦」。もちろんリアルタイムで見た事はありません😅。伝説の詳細は「阿波狸合戦/小松島」で検索していただくと、詳しく出てきます。それではいよいよ、狸合戦で活躍した狸たちとご対面!屏風の前、床机に座って指揮を取るのは「小松島の金長親分」

続いては、金長の一番の子分で、親分の命を助ける為に合戦で討ち死にした「藤ノ木寺の鷹」

幼さが残る「藤ノ木寺の小鷹と熊鷹」は、先の藤ノ木寺の鷹の子供たちかな?

こちらはくノ一「一本松のおたけ」、化けるのが得意の狸さんが、更に忍術を会得して忍者になると、どんな事になるのやら・・

戦上手と噂に高い「田浦太左衛門」、今度の戦の相手は中々に手ごわいですよ。

少々お年を召していますが金長親分の片腕として頑張る家老の「衛門三郎」・・と、おやおや、飛び入り参加は・・狸に見えなくも・・いやいや、どうひいき目に見ても、青い目が綺麗な猫ちゃんです😄

ばれてしまっては仕方がないと木陰に隠れてこっちを伺う姿の可愛らしいこと。思わず顔中がとろけてしまいそうですよ😍

たぬき広場には、手をたたくと水が流れる「高さ5m・胴まわり5m・重さ5トン」の世界一大きなたぬき像があります。市内にも沢山のタヌキさんたちがいますが、これほど巨大なタヌキさん、何所を探したっていやしません。

沢山の狸さんに出会ってすっかり楽しんでしまった二人。おやおや~?広場にあるこの水飲み場・・・はてさて、どの狸が化けたものやら😲

訪問日:2013年3月17日

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ご当地マンホール in 徳島県小松島市

2020年09月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

小松島市(こまつしまし)は徳島県のおよそ東部中央、紀伊水道沿岸に位置する市です。徳島市、阿南市、勝浦郡勝浦町に。また海上を隔てて和歌山県和歌山市に隣接。勝浦川の流域に開けた平野に位置し、市の中心地は徳島小松島港付近で、東に紀伊水道の海をのぞみ、 西には遍路修行の四国の聖なる山々を擁しています。古くは屋島に逃れた平氏を討つために源義経が小松島より上陸したという「義経伝説」や、「阿波狸合戦」「金長狸民話」などが知られています。「市の木:ヤマモモ」「市の花:花水木」を制定。

キャッチフレーズは「優 (YOU)・愛 (I) タウン・小松島 -風と光のハーモニーが聞こえる未来(あした)へ-」
南小松島駅では「ぽんぽこ一家 希望の像」が、家族揃ってお出迎えしてくれます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、 勝浦郡小松島村、那賀郡立江村が発足。

1908年、立江村が町制を施行、那賀郡立江町となる。小松島村が町制を施行、勝浦郡小松島町となる。

1951年、小松島町が那賀郡立江町を編入。同年6月、市制を施行し小松島市となりました。

マンホールには市章を挟むように「タヌキの親子」が向かい合って笑っています。

市章は昭和9年5月に町章として制定されたもので「小松島市の頭文字「小」を錨でかこみ、港都小松島市をシンボライズしています。」公式HPより

「小松島ステーションパーク」で見つけたプレートには、機関車の車輪がデザインされています。

小松島市のマスコットキャラクター『こまポン』は、みなとまち小松島市生まれの勇敢で可愛い招きたぬき。お気に入りの「ちっか(ちくわ)ソード」は小松島の竹ちくわを、特別に剣にしてもらったものです。

元根川に架かる「彌生橋」の親柱には「市の花:花みずき」が、可れんな花を咲かせています。

南小松島駅に建立されていた『折口信夫』歌碑。

【小松島の 停車場降りて ひたぐもる この夕暮も 見覚のある】

冒頭で紹介した「源義経の騎馬像」は、とくしま88景の一つ、標高約20mの旗山の山頂に建立されています。 平家討伐に訪れた義経軍は小松島より上陸し、自軍の士気高揚のために旗山へ源氏の白旗を立て軍陣の標記としたと云われています。

旗山へは八幡神社の石段参道を登って行くのですが、入口にはこんな顔出し😊 市内には義経ゆかりの地を結ぶ「義経ドリームロード」等と言うのもあるそうです。

撮影日:2013年3月17日&2014年3月23日
  

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ご当地マンホール in 徳島県北島町

2020年09月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡北島町(きたじまちょう)は徳島県の北東部に位置する町です。南は徳島市、北は鳴門市、東は板野郡松茂町、西は藍住町に隣接。東部海岸の北半分に位置し、吉野川が紀伊水道に注ぐ河口に生じた三角州性平野のほぼ中央を占めています。地形は西高東低で山はなく、周囲を旧吉野川、今切川に挟まれた「ひょうたん形」の島になっており、徳島県内の自治体では最も面積が小さく、四国地方では最も人口密度の高い町です。「町の木:モクセイ」「町の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは「花と緑と水にめぐまれた街」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡北島村が発足。

1940年、北島村が町制を施行、板野郡北島町が発足しました。

マンホールは自治体章のある規格蓋のみで、デザイン物はありません。

昭和47年(1972)1月1日制定の町章は「北島町の頭文字「北」を図案化し、かたどる飛鳥で町の飛躍向上を表し、円形は町民の団結と友愛と限りない発展を表現しています。」公式HPより

幸せの花咲くひょうたん島”北島町を体現したキャラクターたち。北島町のチューリップが大好きなチョウチョの女の子「チュリ子」。「チュリ子」のお姉さんで町の花「キク」をモチーフにしたチョウチョの女の子「きく」。町を上から見た“ひょうたん”の形がモチーフの「ひょうたん丸」。藍染めの着物を着て普段は畑を耕して過ごしています。

撮影日:2018年6月19日

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ご当地マンホールとマンホールカード in 徳島県松茂町

2020年09月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡松茂町(まつしげちょう)は徳島県の北東部に位置する町です。徳島市、鳴門市、板野郡北島町に隣接。町内を旧吉野川と今切川が流れ、町の大部分は肥沃な三角州に占められています。その昔、町域は吉野川河口の三角州として形成された低地で、干拓によって新田開発がなされ土地が造成。その際、堤を築き多くの松が植栽されまた事から「松茂村」と命名され、町制後に引き継がれました。町内には徳島県の空の玄関:徳島空港や、陸の玄関:高速バスターミナルを擁し、徳島県の交通の要所として、人の往来も盛んです。「町の木:黒松」「町の花:マツバギク」を制定。

キャッチフレーズは「夢フライト21・松茂・空と海が輝く緑の臨空都市をめざして」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡松茂村が発足。

1961年、松茂村が町制を施行、板野郡松茂町となりました。

マンホールには、シンボルマーク の「マッピー」を中心に「松葉菊」がデザインされています。

集排マンホールには、「町の木:黒松」「町の花:松葉菊」と、下に町章がデザインされています。(松茂町役場内に展示)

昭和36年(1961)8月1日制定の町章は「松茂町の松にちなみ、松葉を図案化したものです。将来(松葉の先)に向かって大きく飛躍発展する松葉を象ったものです。」公式HPより

松茂町のマスコットキャラクター『松茂係長』。体はサツマイモ、耳はダイコン、鞄はレンコンと、全身が町の特産品で出来ています。こう見えて公務員です。

撮影日:2018年6月20日&2018年12月16日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「松茂町」のマンホールカードは、「【平日】松茂町役場 下水道課【休日】松茂町役場 日直室」でいただけます。

2002年に設置開始されたマンホールには「マッピー」を中心に「松葉菊」がデザインされています。

「松茂町のシンボルマーク「マッピー」と町の花「松葉菊」のデザイン蓋です。 マッピーは、松茂町制施行40周年を記念して図案化されました。 顔の輪郭は松茂のイニシャル「M」をベースに描出されており、曲線を使ってあたたかく元気なイメージを表すとともに、環状に交差した部分が、空港や国道を擁する交通の要衝であることを意味しています。 襟元の緑の線は、重なり合う「松葉」をモチーフに「手をつなぐ様子」を表現したもの。 愛称の「マッピー」は、松茂の「マッ」、ハッピーの「ピー」を組み合わせて生まれました。 本カラー蓋は役場内に展示中ですが、まちの中のモノクロ版もかわいいと評判です。」

訪問日:2018年6月19日

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ご当地マンホール in 徳島県藍住町

2020年09月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

板野郡藍住町(あいずみちょう)は徳島県北東部、吉野川の下流北岸に位置する町です。徳島市、鳴門市、板野郡板野町・北島町・上板町、名西郡石井町に隣接。町名は藍園村と住吉村が合併した際にそれぞれの頭文字から制定されました。旧吉野川と吉野川に囲まれたデルタ地帯で、板野郡のほぼ中央にあり、海抜はわずか5.17m。山がまったくない珍しい町です。かつては藍の栽培が隆盛を極め、全国的に広まりましたが、近年では肥沃な地味と温暖多湿で水利の便に恵まれた条件を生かし、全国有数の春ニンジンの産地となっています。「町の木:クスノキ」「町の花:菊」を制定。

キャッチフレーズは、「花と緑と太陽の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡藍園村・住吉村が発足。

1955年、藍園村、住吉村が合併、町制を施行し板野郡藍住町が発足。

マンホールには「花と緑と太陽の町」の文字と「町章」、「藍の木と花」がデザインされています。

昭和32年1月1日制定の町章は「藍の色は澄みきった大空と肥沃なみどりの平野、そして吉野川の清流をあらわす。円は人の 和と無限の発展を象徴し、平和で住みよい理想郷実現の願いがあらわれている。」公式HPより

 

藍住町マスコットキャラクター「あいのすけ」。心優しい藍商人の彼の使命は、 町の特産品「藍染品」や、甘い「春ニンジン」のPRです。

撮影日:2014年3月24日&2018年6月19日

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