車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

胴の鳥居八幡神社&桑原神社 in 徳島県徳島市

2020年09月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

徳島市八万町宮ノ谷に鎮座される「八幡神社」。一の鳥居は、慶長9年(1604)に『蜂須賀至鎮(はちすか よししげ)公』が寄進したもので、鳥居に銅版が巻かれていることから、「胴の鳥居神社」とも呼ばれます。

有名な胴の鳥居のうちより神域を守護されるのは、明治31年(1898)9月吉日建立の出雲構えの狛犬さん一対。 遠く海を隔てた阿波の地で健気に頑張っておられます。

御祭神は『誉田別大神・大己貴大神』。目の前には軽く眩暈のしそうな石段😣

石段を登った先、二の鳥居より神域を守護されるのは、昭和13年10月建立の、ちょっと体格の良い狛犬さん。

吽形さんの気難しげな顔に、阿形さんの雄叫び。反り返った胸が何とも力強い一対。

阿形さんの背後にある建物は絵馬堂の様で、かなりの大作と思える「龍」の奉納額。 絵馬堂からさらに上に続く石段・・・ここで二人とも心折れて、スゴスゴと回れ右😓

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徳島市南島田町に鎮座される「桑原神社」。境内にも神社庁にも由緒・案内が無く、御祭神も不明。

三月も半ばですが、拝殿には注連飾り。

ゆったりとした田園風景の中に鎮座される狛犬さんは、あまり緊迫感を感じることが無いのか、とても大らかな顔で神域を守護されています。お首の注連縄と裏白って、もしかしてこれもお正月の名残?

参拝日:2013年3月17日

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国府八幡神社&徳島天神社 in 徳島県徳島市

2020年09月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

徳島市国府町に鎮座される「国府八幡神社」。御祭神は『応神天皇』と思われますが、定かではありません。

ここは「阿波木偶館」を探していた時、たまたま見かけた為、参拝だけして引き上げた神社。その為画像は「社殿」と「亀趺(キフ)を守護する狛犬さんだけです。

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眉山ロープウェイ山麓駅の隣に鎮座される「徳島天神社」。御祭神は『菅原道真公』。

「もと潮音寺の鎮守として、瑞巌寺一顎和尚が甲州景恵時寺から携えてきた高さ6寸の渡唐天神木象を祀ったのが起源とされる。文化6年(1809)現社地に1社を創建、潮音寺の神像を祀り、旧藩主蜂須賀公代々代々保護し、文教の神として尊崇した由緒ある社である。毎年7月25日の「天神祭」には神輿の新町川都魚神事が行われ、盛んに花火を打ち上げて夏の夜の一大風物詩を繰り広げてきたが、近年川都魚がなく、その復活を望む声が高い。戦災で消失した社殿は。昭和49年、氏子崇敬者の寄進により耐火建設で見事に復興した。」徳島県神社庁より

参道石段の途中より神域を守護されるのは、昭和17年建立の狛犬さん一対。良いお顔立ちの狛犬さんなのに、阿形さんピント外れてる???

拝殿前に鎮座する「知恵の牛」「菅原道真公」

「境内社・姫宮さん」「境内には古来から「姫宮さん」と呼ばれ、親しまれてきた巨大な陰石があります。「日本有数の奇巌として絶妙にして幽玄なる秘物」とされ、縁結び、安産祈願、病気平癒祈願などに特にご利益があります。」神社HPより

ところでご亭主殿、何故狛犬さんの画像がこの二枚だけなんでしょう? ここの狛犬さんがお気に召さなかったわけではないですよね? ことの真相はいまだ不明。本人いわく「さぁ?何でやろ?」

参拝日:2013年3月16日

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ふらり徳島~町歩き in 徳島県徳島市

2020年09月08日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

徳島市国府町西矢野、阿波史跡公園の中核施設として誕生した「徳島市立考古資料館」。節約の神を自称する私にはかなり嬉しい「入館無料」の施設。

「見て、触れて、体験できる、古代ロマンのあふれる館」 芝生の緑が目に優しい敷地内の街灯は、いかにもそれらしい、古代を髣髴させる銅鐸のデザイン。

古墳とか考古学とか、もの凄~~~~~く興味があるわけではありませんが、だからといって全く興味が無いわけでもない(どっちやねん!)二人。店内の展示物、特に「神獣鏡」の種類に関しては、とても興味深く見学することが出来ました。

「この考古資料館の西に隣接する「気延(きのべ)山」は弥生時代末期から古墳時代の終わりにかけて、有力者の墓が数多く設けられていたと考えられており、気延山古墳群と総称されています。このうち矢野古墳は気延山に築かれた最終末の古墳と考えられています。 埋蔵施設の横穴式石室は、石室の入り口付近が壊されているものの、遺体を安置した玄室は良好な状態で残っており、徳島県内では横穴式石室に入ることができる数少ない古墳です」公式HPより

はるかな昔、権力者の遺体が埋葬された横穴式石室に、何と😲!入って見学することができるのです。 まさに「見て、触れて、体験できる」の言葉に偽りはありません。

どちらかというと人一倍臆病で怖がりの私。墓地に足を踏み入れるのさえ一人では嫌なくせに、何故か古墳とかだと、さして躊躇もせず覗き込んだり出来ます😄 今回は完全に中に入るのですが、石室内は暗いからと懐中電灯まで貸してくださる心配り、とても感激でした。

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徳島市南矢三町にある「国登録有形文化財:高橋家住宅」。徳島藩士であった高橋家が、明治維新の後に現在地に土地と家屋を購入。ここで藍の製造を行ったと伝えられています。寛政11年(1799)建築の主屋は、茅葺の主体部四方に瓦葺の庇を設けた「四方蓋(しほうぶた)造り」。正面右に見える瓦葺の長大な建物は、藍製造に用いられたものだと案内にありました。

また、表門左右に連なる練塀(ねりべい)は、小規模な石を多数積み上げ、上部を漆喰塗りとした特徴ある構法が用いられており、建物同様に文化財の指定を受けています。 個人様のお宅ですので、遠くから写真だけ撮らせて頂きました。

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眉山の麓、徳島市南佐古にも、国登録有形文化財に指定された「佐古の浄水場」と呼ばれる煉瓦造のポンプ場が残されています。

大正15年(1926)に建設されたポンプ場は、イギリス積みの煉瓦壁で四周を囲み、内部は一室で漆喰仕上げとなっています。明治時代の徳島では、赤痢や腸チフスなどの伝染病が毎年発生し、全国平均を上回る死亡者を記録していたといいます。明治42年(1909)、徳島市は、市を近代都市に近づける為の事業として水道敷設の方針を発表。17年の歳月を経て佐古ポンプ場が完成させました。当時の費用で260万円。徳島市の年間予算の3倍の巨費を投じた一大事業でした。

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徳島市八万町、文化の森総合公園にある「徳島県立文書館(もんじょかん)」。昭和5年(1930)竣工の「旧徳島県庁舎」の一部が使用されているそうです。

この公園には沢山の地域猫がおり、ボランティアの方々によって管理されています。人間の勝手で野良になった猫たちを、殺処分ではなく自然に減らしていこうと言う試み。 避妊、去勢を徹底させることで、新たな野良猫の誕生を防ぐと言う市の方針は、猫だい好きの私には涙が出るほど嬉しく、この一事だけで徳島市の大ファンになりました。

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折角徳島まで来たのだから、徳島藩25万石の居城「徳島城」に行かねば!と言っても明治6年に発布された廃城令により、残されたのは三の丸石垣などごく僅か。現在は徳島中央公園として一般開放されており、市民の憩いの場になっています。

【阿波の殿様 蜂須賀さまの 今にのこせし 阿波踊り 踊らにゃ損々!で有名な阿波踊り「よしこの」の一節が刻まれた碑。

そしてこの方が、その有名な阿波踊りを広めたと言われる『蜂須賀家政公』。

公園内にある「竜王さんのクス」は、城山原生林にある樹齢推定600年の楠でしたが、昭和6年(1934)の室戸台風で倒壊。かつて竜王神社の近くにあったことからこの名称がつけられました。

大正12年(1923)に造られた「8620形式・蒸気機関車」。昭和44年まで県内で活躍していましたが、今はこの公園で静かに余生を楽しんでいます。

雨露がしのげ、真冬の冷たい風も防ぐ機関車の隙間は、地域猫たちの安住のねぐら。人の姿に恐れることも無く、ゆったりと身づくろいをする姿に、地域の方たちの人柄がしのばれ、目頭が熱く🙏。

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どの方向から眺めても眉の姿に見える事からその名がついたという「眉山(びざん)」。徳島市のシンボル的存在で「とくしま88景」にも選定されています。ふらり徳島ラストは、この日の車中泊地にさせて頂いた、眉山からの夜景です。

山頂の無料駐車場と言うことで、車泊は・・と気後れする部分もありましたが、以外にもお仲間さんの車が何台も居て、小心者の私も安心して眠ることが出来ました。 市内の近くでこのような場所を利用できる事に、心から感謝いたします🙏🙏

訪問日:2013年3月16日~17日

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阿波人形師:木偶(でこ)~其の二 in 徳島県徳島市

2020年09月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

阿波国の人形師として名を馳せた「天狗 久(てんぐ ひさ)」。明治から昭和にかけて活躍し、 阿波木偶を芸術の域にまで高め「天狗 久」の異名で呼ばれた人形師『吉岡 久吉 』。二軒目は、同じく徳島市国府町和田にある「天狗久資料館」

こちらの資料館では、初代及び三代目・天狗久の旧工房の公開がなされており、国重要有形民俗文化財である天狗久関係の資料の保管。さらに、昭和16年(1941)に制作された天狗久の記録映画「阿波の木偶」も視聴させていただけます。

館内に収蔵されているのは、「国指定重要有形民俗文化財:阿波人形師の製作用具及び製品」 。さらに「県指定重要有形民俗文化財:天狗久旧工房及び製作用具及び製品」

資料館を管理されていらしゃるのは『南さん』。彼女のお話を伺っていると、本当に心のそこから「天狗久」という人物に魅了されている様子が感じられます。南さんの年齢から考えれば、決して交じり合うことなど無かった筈の人物なのに、終始、まるでつい昨日の事のように記憶の中の思い出を語ってくださるのです。

工房の向かいにあった不思議な生き物の頭(かしら)。「あれはね、天狗久さんがお小遣い稼ぎに作ったんですよ」と、楽しそうに教えてくれました。

自ら世界一と名乗った「天狗久」、それは決して高慢からではなく、彼が生み出した「木偶(でこ)」たちへの深い愛着の証。 「技入神」。まさに神の手を持ちその技でもって生きるが如くの「木偶(でこ)」を生み出し、阿波人形浄瑠璃の隆盛を支えた人形師「天狗久」。

工房にあったのは彼の名の由来とした「鼻高天狗」「烏天狗」。その穏やかな顔は、記録映画の中の「天狗久」さんに、とってもよく似ています。

工房の塀にさり気なく施された扇面の天狗彫刻。これもきっと、彼の遊び心が生み出した「こだわり」なのかもしれません。

下の二つの頭はこの後に立ち寄った「松茂町人形浄瑠璃芝居資料館」で目にしたもの。美しい姫木偶は「八重垣姫」。凛々しい顔立ちの頭は「広瀬中佐」。いずれも作者名に「天狗久」の名があり、時間を忘れて見惚れてしまいました。

「天狗久資料館」からさほど遠くない鮎喰川の堤防沿いに、小さな祠だけの「地蔵堂」と「野神神社」が鎮座。傍らに「初代天狗久史碑」があり、「天狗屋久吉心願の言葉」が刻まれています。

作家『宇野千代』は「傾城阿波の鳴門」のお弓の「木偶」に魅せられて天狗久を訪ね、処女作となった「人形師天狗屋久吉」を著わしました。この碑は彼の死を惜しんだ『宇野千代』によって建立されたものです。

「心願かける心は別でござりますが、しかし神様の方から私を助けてつかわされるような事はないものと私は思うております。神仏というものは、考えつまった「くふ(空)」なところで、わがが行けんと言うところがそこが神様じゃと思うております。」

昭和18年(1943)12月20日、『天狗久こと吉岡 久吉』永眠 享年・86歳

訪問日:2013年3月16日

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阿波人形師:木偶(でこ)~其の一 in 徳島県徳島市

2020年09月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

徳島市内国府町に「こくふ街角博物館」なるものがあると聞き、早速巡ってみる事に。博物館と言うと、たいそうな建物があって、何だかよく分からないたいそうな展示物があって・・と思いがちですが、ここは「みて、さわって、つくらんで」をテーマにした、国府町の街角にある、個人の施設。 ネットで調べたところ、そうした施設は七箇所ほどあり、某所で見かけた絵をきっかけに興味を惹かれた「人形浄瑠璃」関連の二ヶ所を選択。

最初は「阿波木偶(でこ)館」。木偶人形に関する施設で、「天狗久」の流れを受け継ぐ人形師『田村恒夫氏』の自宅兼工房です。ところが・・人づてに尋ねてやっと見つけた工房の玄関は固く閉ざされており、とてもそんな雰囲気では有りません。でも確かに「こくふ街角博物館」の看板もあるし・・一旦は諦めかけたものの、座敷のほうに人の気配を感じ、思い切って声を掛けてみました。

応対してくださったのは年配のご婦人。何と、ご主人は三年半前に亡くなられ、今は工房は閉めたままになっているとの事。申し訳なさそうに「そう言う訳ですから」と言われ、逆にこちらが恐縮してしまいました。 挨拶をして帰りかけたとき「どちらから?」と尋ねられ、「京都からです」と答えると、暫く思案され「片付けもしていないし、亡くなった当時のままですが、宜しかったら中にどうぞ」と・・
まさかの有りがたいお申し出、厚かましいとは思いつつも、ご厚意に甘えさせて頂いたのです🙏🙏。

前置きが長くなりましたが、等身大の「木偶人形」に出迎えられて、早速工房の中に。正直、「木偶人形」がこんなに大きいとは予想外。

通された作業部屋には大きなガラスケースが壁一面に並び、その中には様々な人形の頭(かしら)が、思い思いの表情を見せて静かに並んでいます。「あそこにぶら下がっとる手は、多分俺様のものだ。ーーおや、わしの足はあんなところにあるぞ・・・」

ケースと作業台との間には座布団が置かれ、人が一人座って一杯の間隔。そして壁一杯の作業台の前には、まだ胡粉が塗られただけの白面が何体も、主の手を待ち続けています。眉を書き、目をいれ、髪が整えられるのを・・もう半年以上も待っているのです。

阿波人形浄瑠璃の隆盛を支えたとされる「天狗久」、その流れを受け継ぐ、「人形恒」こと『田村恒夫氏』。 田村氏によって生み出された老・若、二つの頭は、事情を知って見るからか・・深く悲しみに耐えているように思えて。

「娘」も「女房」も「奴」も、もはや二度と主の手に抱かれる事など無いと、知っているのでしょう。 玄関で私たちを見送ってくれた姫御前の眼差しが、七年以上が過ぎた今も心に残って離れません。

「阿波木偶館の田村様、何も知らずに不躾に訪問した私たちに、本当に優しいお声がけ頂き、有難うございました。拝見させて頂いた木偶の優しい眼差しと共に、終生忘れ難い思い出となりました。ブログの片隅ではございますが、改めて心から感謝申し上げます」🙏🙏

訪問日:2013年3月16日

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ご当地マンホール in 徳島県徳島市

2020年09月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

徳島市(とくしまし)は四国北東部、徳島県の東部に位置する市です。小松島市、勝浦郡勝浦町、板野郡松茂町・北島町・藍住町、名西郡石井町・神山町、名東郡佐那河内村に。また紀伊水道を隔てて和歌山県和歌山市に隣接。吉野川とその支流がつくり育てた三角州に位置し、徳島県の県庁所在地及び最大の都市であり、地方の中核的都市として、産業をはじめ、政治、経済、文化等、さまざまな面において高い集積があります。歴史は古く、天正年間に蜂須賀家政が阿波に入国し、城郭を築いたのが始まりで、蜂須賀14代の治世のもと、阿波の政治・経済の中心として栄えて来ました。また、徳島を代表する「阿波踊り」は、日本三大盆踊りや四国三大祭りの代表的な存在として知られています。「市の木:ホルトノキ」「市の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「わくわく実感! 水都とくしま。」

明治22年(1889)、市町村制の施行により、徳島城下を中心とした名東郡徳島町他、29町8村を市域として徳島市が発足。
 名東郡加茂名(かもみょう)村・斎津村・沖洲村・八万村・加茂村・新居村・国府村・北井上村・南井上村が発足。
 名西郡入田村・上八万村。勝浦郡多家良村・勝占村、板野郡川内村・応神村が発足。

1908年、国府村が町制を施行、名東郡国府町となる。

1915年、加茂名村が町制を施行、名東郡加茂名(かもな)町となる。

1926年、徳島市が名東郡斎津村、沖洲村を編入。

1933年、加茂村が町制を施行、名東郡加茂町となる。

1937年、徳島市が名東郡加茂名町、八万村、加茂町を編入。

1951年、徳島市が勝浦郡多家良村、勝占村を編入。

1952年 - 新居村が町制を施行、名東郡新居町となる。

1955年、徳島市が名東郡新居町、名西郡入田村、上八万村、板野郡川内村を編入。

1955年、国府町、北井上村、南井上村が合併、名東郡国府町(第二次)が発足。

1966年、徳島市が板野郡応神村を編入。

1967年、徳島市が名東郡国府町を編入。

市域にはデザインマンホールはなく、市章のある規格蓋のみ。

明治42年(1909)10月29日制定の市章は「徳島藩の徽章(きしょう)であった子持筋の下に市の文字を配して円形にしたもので、本市が徳島県の中枢であることを表徴しています。」公式HPより

日本地図が描かれた 「国土地理院」「三角点」「基本」と書かれています。「国土地理院」は、国土交通省設置法及び測量法に基づいて測量行政を行う、国土交通省に置かれる特別の機関の名称です。

マンホールは少ないですが、路上絵は意外と沢山の種類が見つかりました。流石は阿波踊りで有名な徳島市、見つけた路上絵は全て阿波踊りで、大まかに「男踊り」と「女踊り」に大別されます。

「男踊り」は、半天を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣をしりからげに着て踊る浴衣踊り。所作は大きく、時には勇猛に、時には滑稽に、うちわや手ぬぐいなどを使う事もあります。 

「女踊り」は浴衣に下駄履き、網笠を深く被り、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされます。一般的な浴衣と違い、襦袢に裾除け、手甲を付け、黒繻子の半幅帯をお太鼓に結びます。

ご当地マンホールならぬ、ご当地ポスト。こういうのって、実はとっても好き😄

市内の随所に設けられた、歩き遍路さんの為の休憩スポット。もちろん、誰でも利用できます。

撮影日:2013年3月16日

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大麻比古(おおあさひこ)神社 in 徳島県鳴門市大麻町

2020年09月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

鳴門市大麻町板東に鎮座される、阿波国一宮「大麻比古(おおあさひこ)神社」。 御祭神は『大麻比古神・猿田彦大神』。式内大社で、阿波・淡路両国の総産土神とされます。

社伝に、「神武天皇の御代、『大麻比古神』の御孫『天富命(あめのとみのみこと)』が、阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮(こうぞ)の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の『大麻比古神』を阿波国の守護神として祀ったのが当社の始まりだと言う。」

境内入り口にて神域を守護されるのは、慶応4年(1868)3月吉日建立の狛犬さん一対。台座の銘に「石工・竹生島 浅之助」と刻まれており、石碑を前足で押さえるという珍しい姿をしています。

拝殿前の柵内より神域を守護されるのは、宝暦12年(1762)9月12日建立の狛犬さん一対。体に比例して極端に細い前脚が何とも頼りなさげで、思わず添え木を探してこようかと・・・💦

境内を覆うのは樹齢千年の御神木・楠の大樹。その凄まじいとも思える生命力の前では、日常の些細なことなど、まぁ良いかと思える程。

神社の境内を奥に進むと、敷地内を流れる板東谷川のほとりに出ます。川には大正8年に造られた「独逸(ドイツ)橋」と呼ばれる、石のアーチ橋。この橋は、捕虜達が帰国する際に、記念として築造を提案したものですが、その一事をもってしても、収容所における捕虜たちの待遇が、どれほど人道的で友好的だったかを示すものと言えるでしょう。

捕虜たちの散策地でもあった「大麻比古神社」の境内には、彼らが故郷を想い造成した池があり、その池にメガネ橋を配しました。後に「心願の鏡池」と名づけられた神池は、今も尚、日独友好の証として存在しています。

参拝日:2013年3月16日

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ふらり~鳴門の町歩き in 徳島県鳴門市

2020年09月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

鳴門山展望台の側にある「エスカヒル鳴門」には、高低差34mのエスカレーターがあります。 近畿9府県では最長の68m、高所恐怖症の私には、身に覚えのない罰ゲーム😭

腑抜け状態で玄関を出たら、「おどらにゃそんそん」と賑やかな阿波踊りの自動販売機。ああ、徳島県に来たんだと、こんな処で改めて感心する自分にちょっと笑えます。

怖い思いはしたけれどそこから見る鳴門海峡の眺めはさらに雄大。青い空と青い海の間に横たわる山々、まるで一幅の絵のように美しく広がっています。

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「道の駅・第九の里」。徳島に来るたびに車中泊をさせていただく、とても有り難い場所🙏🙏。ちなみに「里むすめ」と「徳島ラーメン」はお土産にお勧め。

木造の細長い建物は道の駅の物産館ですが、実は登録有形文化財の指定を受けた歴史的建造物。説明には「板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所」の兵舎(バラッケ)として利用されていた建物」とありました。

道の駅に隣接した王宮のような建物は「鳴門市立ドイツ館」。板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵たちの活動の様子や、地域の人々との交流の様子が展示された史料館です。

冒頭から『ベートーヴェン』とか「ドイツ館」とか、あまつさえ「俘虜収容所」・・・気になると、とことん調べなければ気がすまない私、広大なネットの海を泳ぎ回る・・・こともなく😅、真相はあっという間に知れました。それほど普通に有名な話で、物語は第一次世界大戦の頃まで遡ります。

戦争の経過の中で、日本軍はドイツ兵4715名を捕虜とし、そのうちの1000名あまりが、板野郡板東町(現在の鳴門市大麻町桧)に収容される事となりました。「板東俘虜収容所」においては、彼らの人権は最大限に尊重され、収容所の運営までも捕虜たちの自主性に任されていました。生活全般の多くの分野で自由に活動が許され、中でも盛んだった音楽活動においては、ベートーヴェンの「交響曲第九番」が、コンサートとしてアジアで初めて演奏されています。

2006年に公開された映画「バルトの楽園」は、その当時の実話を基にして作られ、撮影が行われた一帯は「阿波大正浪漫 バルトの庭」として一般公開されています。映画の撮影に際して、復元された当時の営門や管理棟、衛兵詰所等々・・ 敷地内には、現存する実際のバラッケ1棟も移築され、往時の様子を垣間見る事が出来ます。 

こうしてドイツ兵たちは地域の住民とも交流を深め、親しみを込めて「ドイツさん」と呼ばれるようになるほど打ち解けていました。さぁ、やっと冒頭で提示した「何でドイツ?何でベートーヴェン?」に繋がりました😊

「第九が日本で初めて演奏された地」、目を閉じれば、年末恒例の「歓喜の歌」が聞こえてくる・・かもしれませんよ♪

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「鳴門市賀川豊彦記念館」。大正・昭和期のキリスト教社会運動家『賀川豊彦』の思想を後世に伝えるため、資料の公開、展示が行われています。

訪問日:2013年3月15日&2018年6月18日

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美の殿堂・大塚国際美術館 in 徳島県鳴戸市

2020年09月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・徳島県

フィレンツェにある「ウフィツィ美術館」所蔵の『ボッティチェリ』作、「春(ラ・プリマベーラ)」。「愛と美の女神:ヴィーナス」を中心に、左に「ヘルメス・三美神」、右に「春の女神:プリマヴェーラ」、「花の女神:フローラ」・「西風:ゼフェロス」が描かれています。あまりにも有名なこの作品、きっと多くの方が何らかの形で目にしたのではないでしょうか。かく言う私も、昔、所蔵していた「ビバルディの四季」のレコードジャケットがこの「春」でした。

冒頭からいきなり国外の著名な絵画を紹介したのは、実は・・この絵を実際に見てきたからです。 と言っても、もちろんフィレンツェなどと言う、遠い異国に行った訳ではありません😊(飛行機乗れないし)

2013年3月、二つの橋を渡り徳島県に入って一番最初に訪れた「大塚国際美術館」。大塚製薬グループが創業75周年事業として1998年に開館した美術館には、西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製した、陶板名画:1,000余点が展示されています。

この美術館、瀬戸内海国立公園内に立地する為、一旦山を削り取り、地下5階分の構造物を含めた巨大な建物を造ったうえで、また埋め戻すという仰天モノの難工事の末に完成。そのため、足が引きつりそうになるのを耐えて、長い、長いエスカレーターを降りて行く事になります。

最初に目にするのは、美術館のメインともいえる「システィーナ・ホール」。ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂の祭壇を模したもので、壁一面に展開されるのは『ミケランジェロ』「最後の審判」

中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下し、向かって左側には天国へと昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されています。

「システィーナ礼拝堂」と同じ階に展示されている「スクロヴェーニ礼拝堂」。ここに描かれているのは「キリストの生涯」「聖母マリアの生涯」

注目すべきは、キリストを処刑に追いやる裏切りの第一歩となった「ユダの接吻」の描写・・・・キリストの支持者とその敵達に囲まれた中での衝撃的な一場面です。

古代遺跡や教会等の壁画が丸ごと再現された展示もあり、その奥行きの広さはとても言葉にできない凄さ、むしろ、凄まじさといっても過言ではありません。

ちなみに館内の陶板画の写真撮影は“人物を入れた構図” という条件付で許可されており、そのため天井画以外の全ての画像には目障り😅な、二人のいずれかが付帯しています💦

だからこんなに緻密なモザイク画に、極限まで近づいて目を皿にしても、あまつさえ手を触れても、警報はなりません。これが、大塚グループのオーミ陶業株式会社の特殊技術によって作られた、陶板複製画の凄さなのです。

見苦しくなるので、できれば私たち抜きの画像の方が良いのですが、事情が事情なので😓部分的に・・「受胎告知をされるマリア」。このテーマはキリスト教にとっては非常に重要らしく、実に多くの作品が展示されていました。

何かのホラー映画の一場面??とビックリされそうですが、実はこれ絵画を収めた額の一部分。さしずめ外国版「貞子」・・・・😱

古代~中世は地下三階。地下二階と一階にはルネサンス~バロック~近代。地上一階から二階には現代に区分される作品が展示されており、その数、実に1074点。そこには、今は現存しない修復前の「レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』」もあり、とても一日で全部見て周るなど不可能。

地下、地上あわせて5階建ての館内を全て鑑賞すると、その距離は何と4kにも及ぶそうです。いくら、見飽きないとは言え、流石にお腹も空いてきました。 別館1Fまで行き、レストラン「Garden」で、揃って「鯛めしとうどんセット」を注文。鳴門の鯛とわかめが使われた定食は、好き嫌いの多すぎる私でも何とかセーフ!美味しくいただく事ができました。

腹ごしらえがすんだら、再び、あの素晴らしい作品の渦の中に突撃。まだまだ見たい作品は山のように残っているのに、時間は刻々と進みます。一度はどこかで目にした作品、それは美術の教科書であったり、何かのカタログの挿絵だったり・・未知の作品とは又違った親しさが感じられて、足を止めさせます。

初めて目にする作品は更に興味を引き、魔法にかかったようにその前から動けなくなってしまいます。

最後の方は駆け足状態でしたが、気がつくと館内からは「蛍の光」が・・・時計は閉館の5時にわずか数分前・・・残念ですが引き上げるしかありません。出口へのエスカレーターは順番待ちだったので、その時間を利用して、ミュージアムショップを覗いてみました。このぬいぐるみたち、誰が誰かわかります?😃

種々雑多なお土産品の中で一番ツボったのは、何と言ってもこの不気味な「ムンクのスクリームドール」。この「ムンクの叫び人形」、押すと叫ぶんですよ😱。

訪問日:2013年3月15日

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ご当地マンホール in 徳島県鳴門市

2020年09月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

鳴門市(なるとし)は四国の東端、徳島県の北東端に位置する市です。
板野郡松茂町・北島町・藍住町・板野町、さらに県を跨いで香川県東かがわ市。また鳴門海峡を挟んで兵庫県南あわじ市に隣接。神戸淡路鳴門自動車道の四国側玄関口に位置し、淡路島との間には市名の由来となった鳴門海峡があり、鳴門の渦潮で知られています。市域は四国本島と大毛島、高島、島田島から成り、市の南側の市町境付近には旧吉野川が流れ、市の北西地域が阿讃山脈の最東部に位置している事から全体的に山地の比率が高くなっています。

室町時代には細川氏が、戦国時代には三好氏が阿波を支配。市内には林崎城・木津城・土佐泊城などが築かれました。天正13年(1585)には、蜂須賀家政が領主となり妙見山上に撫養城(岡崎城)を築き、林崎浦はその城下町として発展しました。「市の木:モチ」「市の花:ハマボウ」を制定。

キャッチフレーズは「いきいき 未来に輝く 交流拠点都市 なると」

明治22年(1889)、町村制の施行により、板野郡鳴門村・撫養町・瀬戸村・里浦村・板東村・堀江村 ・大津村・北灘村・板東町・堀江町が発足。

1915年、板東村が町制を施行、板野郡板東町が発足。

1928年、 瀬戸村が町制を施行、板野郡瀬戸町が発足。

1940年、鳴門村が町制を施行、板野郡鳴門町が発足。

1947年、板野郡撫養町、鳴門町、瀬戸町、里浦村が合併、鳴南市が発足。二ヵ月後に鳴戸市と改称。

1955年、板野郡大津村を編入。

1956年、板野郡北灘村を編入。

1959年、板東町・堀江町が合併、板野郡大麻町が発足。

1967年、板野郡大麻町を編入。

汚水マンホールには「大鳴門橋」と、「鯛」「ゆず」「鳴門の渦潮」がデザインされています。

雨水用マンホールには、「大鳴門橋」と、「鳴門海峡の渦潮」がデザインされています。(鳴門市役所下水道課)

昭和22年(1947)11月7日制定の市章は、「鳴門市を代表する「鳴門の渦潮」をかたどったものです。円の中は、各単位の町を表し、それぞれが特性を生かして渦のように力強く躍進し、限りない発展をとげるとともに、図全体は鳴門市が円滑に繁栄することを象徴しています。」公式HPより

お茶園展望台と鳴門山展望台を結ぶ歩道橋の路上絵は、大鳴門橋、鳴門の渦潮、阿波踊。

鳴門市制施行50周年を記念して誕生した鳴戸市マスコットキャラクター『うずしおくん・うずひめちゃん』。胸に渦のマーク、頭に大鳴門橋の冠をかぶり、鳴門の町をPRしています。

撮影日:2013年3月15日&2018年6月19日

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