車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

新見市内~あちこちウォッチ in 岡山県新見市

2022年03月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

新見の街歩きは新見の玄関口「新見駅前」から。ロータリーには新見藩初代藩主:関長治のお国入りを伝える 「新見大名行列」のモニュメントが来訪者を出迎えてくれます。

船川八幡宮秋季大祭に合わせて行われる無形民俗文化絵巻「御神幸武器行列」。300年の歴史をもつ新見藩初代藩主:関長治のお国入りを伝える神事。行列が通る沿道の氏子は、清めの盛り砂を作り腰を低くして敬虔に出迎えをするならわしから、「土下座まつり」とも呼ばれています。

この大名行列を題材にしたもの、市内各所で散見されますが、やっぱり梵天を持った奴さんが一番絵になるみたいですね。

「高梁川:新河合橋」親柱の奴さん

新見駅前には室町時代の中期、新見庄に実在した「祐清(ゆうせい)」と「たまがき」の像が建立されています。「京都の東寺から新見庄へ赴任した「代官:祐清」の身の回りの世話をし、祐清を慕っていたのが「たまがき」です。祐清は、年貢の取り立てを厳しく行った為、農民の反感を買い、領内見回りの途中で殺害されました。たまがきは、祐清の死を悲しみ形見分けを請う書状を東寺に送りました。この書状は、現存する中世の農村女性の書いた手紙として貴重な資料であるとして、1997年に「たまがき書状」として国宝に指定されました。」現地案内より抜粋

高梁川の土手にも書状をしたためる「たまがき」の絵があります。

新見御殿町の散策マップと睨めっこでのそぞろ歩き・・とは言え、どこに行くという確たる目的も無いままなので、訊ねた先が何処かなんて全然わかっていません😓

ここは三味線横丁と呼ばれる細い路地。

耳をすませて立ち止まれば、ほら、粋な姐さんが三味に合わせて口ずさむ小唄が聞こえてくるかも・・

御殿町通でなまこ壁の美しい建物を見て

昔の武家屋敷と思われる長屋門を見て・・

由緒ありそうな佇まいのお屋敷を見て・・

ラストは「御殿町センター」。ここで新見市の御殿町について一通りのおさらいをしたら、市内を離れ次の目的地へと向かいます。

訪問日:2013年4月23日

------------------------00----------------------

高梁川の流域のカルスト台地である阿哲台(あてつだい)を中心とする「井倉峡」。あの有名な「井倉洞」や「満奇洞」はこの先にあります。

高さ60mの断崖から落ちる「絹掛の滝」。文字通り白絹を掛けたような神秘的で清浄な美しさにしばし時を忘れ・・上流には高さ12mの「中の滝」、高さ28mの「奥の院」と呼ばれる滝もあるそうです。

絹掛の滝から高梁川沿いを進むと、岡山県指定天然記念物「井倉洞」が見えてきます。

高さ240mの石灰岩の壁面に入口があり、全長1200メートル、内部の高低差90m。1958年に初めて発見され、翌1959年には新見市によって観光地として開発が進められました。

井倉洞のすぐ横の断崖を落ちる、高さおよそ70mの「井倉の滝」。実は井倉洞内の地下水を洞外へ排水するために作られた人工滝なんだそうです。

訪問日:2012年8月8日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 岡山県新見市&旧新見市

2022年03月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

新見市(にいみし)は岡山県の北西端部に位置する市です。2005年3月31日 、新見市、阿哲郡大佐町・神郷町・哲多町・哲西町が合併、新たに新見市となりました。真庭市、高梁市、真庭郡新庄村に。また県を跨いで鳥取県日野郡日野町・日南町に。さらに県を跨いで広島県庄原市に隣接。北部は中国山地、南部は吉備高原のそれぞれ一部を成し、面積の85パーセント以上を山地が占め、1000 m前後の山々が複数存在。市域の北側の中国山地を分水嶺にした高梁川の上流域に位置し、井倉峡、阿哲峡、御洞渓谷など、河川による侵食で形成されたV字谷が多数見られます。市内の大半がカルスト台地上に位置し、市の北部と南部の山地には「満奇洞」「井倉洞」に代表される複数の鍾乳洞が見られこの地質を活かして、石灰石の採掘も行われてきました。「市の木:ヒノキ」「市の花:ツツジ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「豊かさの実感 安全・快適・情報文化都市 にいみ」

2021年4月25日、第14弾として新見市のマンホールカードが配布され、それに伴いマンホールも設置されたようです。でも未収集なので見本です😅

「千屋牛」のモニュメント

------------------------00----------------------

旧新見市(にいみし)は岡山県の北西部に位置した市です。高梁市、阿哲郡大佐町・神郷町・哲多町、上房郡北房町に。また県を跨いで鳥取県日野郡日野町、日南町に隣接。市街地は高梁川上流の新見盆地に開け、鎌倉時代には京都の東寺の荘園があり、川をはさんで上市・下市の市場が所在。姫新線、伯備線の開通で、上市に駅前集落が発達。盆地から下流は石灰岩地帯で石灰石工業が盛ん。また、北部の千屋は千屋牛の産地として知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、阿賀郡新見村・美穀村・草間村・豊永村・菅生村・熊谷村、哲多郡上市村・石蟹郷村 が発足。

1896年、新見村が町制を施行、阿賀郡新見町が発足。

1900年、郡制の施行により、阿賀郡と哲多郡が合併、阿哲郡となる。

1946年、上市村が町制を施行、阿哲郡上市町が発足。

1954年、阿哲郡新見町、上市町、美穀(みよし)村、草間村、豊永村、熊谷村、菅生村、石蟹郷(いしがさと)村が合併、市制を施行し新見市が成立。

草間地区集落排水のマンホールには「井倉峡」と「絹掛の滝」。「市の花:ツツジ」と「特産のピオーネ」「高梁川の鮎」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

市内は市章のみの規格蓋。

昭和29年(1954)12月25日制定の市章は「新見の頭文字を平仮名で意匠し、工業都市新見の道感を盛り込み拡大発展する都市として印象付けている。」旧・新見市制時に制定され、新制後も継承される」公式HPより

鬼伝説が多数残る「鬼だらけの里新見」の鬼のキャラクターがデザインされた仕切弁。

鬼のキャラクターと赤鬼、満奇洞がデザインされた消火栓。

新見市千屋地区の農協施設には『千屋牛娘』なる萌えキャラがいます。

撮影日:2013年4月23日&2015年4月23日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 岡山県西粟倉村

2022年03月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

英田郡西粟倉村(にしあわくらそん)は岡山県の最北東端に位置する村です。美作市に。また県を跨いで兵庫県宍粟市。さらに県を跨いで鳥取県八頭郡智頭町・若桜町に隣接。中国山脈の南斜面に開かれた谷あいの山里で、面積の約95%が山林、その内の約85%を杉や檜などの人工林が占める傍ら、貴重な自然が残る若杉天然林(若林原生林)があります。また私有林を村で一括して管理・活用する「百年の森林」事業のほか、家具など森林資源を活用した起業や移住者誘致による地域おこしでも知られます。「村の木:杉」「村の花:サツキ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「湯の里・木の村・雪の国・にしあわくら」「上質な田舎へ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、筏津村、大茅村、影石村、坂根村、知社村、長尾村が合併し、吉野郡西粟倉村が発足。

1900年、郡制の施行により、吉野郡と英田郡が合併、英田郡西粟倉村となりました。

マンホールには、「中国地方随一のラジウム温泉につかってご機嫌なタヌキ君」を中心に、「村の花:さつき」「村の鳥 :うぐいす」がデザインされています(国民宿舎あわくら荘の駐車場内)

その昔、この地の洞窟に住む傷を負ったタヌキが、塩谷川のほとりで傷を癒しているところを地元の狩人が見つけ、その場に湯が湧き出ているのを発見したという伝説が残る「あわくら温泉」。時代は下り、今では駅前の露天風呂に浸かってご機嫌なタヌキさん一家。

大正13年(1924)10月制定の村章は「西粟倉村内にある駒の尾山、ダルガ峰などの山々を象徴したもの」

ウエルカムボードには、西粟倉村イメージキャラクター『ラブちゃん』の春夏秋冬が描かれています。

西粟倉村影石にある「智頭急行:あわくら温泉駅」

撮影日:2012年4月14日&2016年10月19日

------------------------00----------------------

国道373号の「道の駅・あわくらんど」。いつも新鮮な野菜や果物が豊富に販売されていて、鳥取方面に行く折には、必ず立ち寄りついつい買い込んでしまう、お気に入りの道の駅。

ここでの車中泊はまだ経験ありませんが、駐車場の一画にこんな張り紙を見つけました。「駐車場での食事、自炊、火の使用は禁止いたします」。車旅をする者にとって大切な場所を、自ら失う愚を犯す人たちの事、心から残念に思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村社:天神社 in 岡山県吉備中央町

2022年03月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

吉備中央町竹部に鎮座される「天神社」。御祭神は『菅原道真公』

由緒「応永元年九月、備中竹部郷の鎮守として創建した。加持家一統が代々尊崇し、社殿を造営し社領として山林数十町歩を寄進するなどの至誠を捧げている。江戸期には備中芦守の藩主豊臣公定公の祈願所として崇敬が篤く、享保二年には公自署の桑華蒙求を献じ社領を奉っている。安永九年、社殿を造営した。昭和二年十月神饌幣帛料供進神社に指定せられた。」岡山神社庁HPより

石段参道の先に隋神門、その先にさらに石段が続き、拝殿が見えています。

隋神門の前左右より神域を守護されるのは、岡山県内では時折見かけるヒキガエル風味の狛犬さん一対。獅子にカエル顔とは無礼な奴!と叱られそうですが、どうしてもこのお顔を見ると、門柱の上で踏ん張る我が家のカエルさんを想像してしまうんですよ。

石段参道の先に開放的な拝殿が見えてきました。

石段下、左右より神域を守護されるのは瓦材なのか、それとも石材に釉薬を塗ったものなのか・・赤光する狛犬さん一対。色合いの所為なのか、沖縄のシーサーを想像させるお顔。

拝殿彫刻は龍と鶴。目一杯コントラストを上げてみましたが、龍の顔の上前方に鶴の顔が見えています。この構図はこれまであまり目にした事がなく、それと気が付いたときはちょっと感動。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、構えタイプの狛犬さん一対。阿形さんは口中に大きな球を含んでいます。このあたりの少し古い狛犬さんに共通する、びっくりしたように見開いた大きな目・・これがが特徴なのでしょうか?

参拝日:2015年4月25日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎮守提婆宮(だいばぐう) in 岡山県吉備中央町(旧加茂川町)

2022年03月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

吉備中央町円城、昨日紹介した円城寺の向かって左に鎮座される「鎮守:提婆宮(だいばぐう)」。御祭神は、鎌倉中期に創祀された円城寺の鎮守『提婆天(だいばてん)』

案内には「芸能の神」とありますが、屋根の上には狐の留め蓋瓦・・稲荷神でも無いのに何故に?と調べていくと古くから「加茂の提婆は人をとる」と言われており、呪詛の社としてよく知られている。深夜、提婆宮に参り、境内の古木に呪釘を打つと、この提婆宮の狐が相手に取り付いて殺してしまうという言い伝え。」とあります。それなのに芸能の神・・・・????

???の二人を見て、笑っておいでの鬼瓦😅

木にしがみついているのは猿?・・何で猿??😔❓

拝殿の後ろに続く本殿。予想外の華麗さに思わず感嘆😍。何というかこれだけのものを見てしまうと、お寺と鎮守社、どっちが本家なのか判断に迷います。

芸能であったり呪詛であったりと、色々な性格を持たれる祭神をお祀りしている「提婆宮」。境内の左右より神域を守護されるのは、平たい頭と大きな口が特徴の狛犬さん一対。

吽形さんのギョロ目は、まるで仕掛けた悪戯の成果を待っているように。阿形さんの耳元まで届く口元は、さらなら悪戯を企んでいるかのようで、とても印象に残った一対。

絶対に何か悪戯を相談している!!

境内の一隅に『岸田吟香(岸田劉生の父)』が円城寺に参詣した時、鎮守提婆宮の護摩堂の白壁に、「深山大沢必出龍蛇・垪和住人」と、落書きしたといわれており、その落書きが「岸田吟行落書壁」として残されています。・・・でも落書きですよね・・・

参拝を終えて境内を辞するときに見かけた鳥の巣箱らしきもの・・ああ、きっとあれは「ブッポウソウ」の巣箱。鳥の姿を見る事は出来なかったけれど本当にこの境内の森に棲んでいるんだね。

参拝日:2015年4月25日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円城寺(えんじょうじ) in 岡山県吉備中央町(旧加茂川町)

2022年03月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

吉備中央町円城に門を構える天台宗寺院「本宮山:円城寺」報恩大師が建立した備前四十八ヵ寺の一つ、院号を観音院とし『千手観音菩薩』を本尊とします。

「霊亀元年(715)、東大寺創建の勧進にかかわった『行基』が本宮山山頂付近に開基した正法寺が起源。鎌倉中期の弘安五年(1282)に大火災に遭い、山上の全堂宇を焼失。 大火の翌年現在の地に移して再建され、円城寺と改称。現本堂は弘化三年(1846)の再建。内、中、外陣とも格子天井で一格子間ごとに極彩色の絵がはめてあり、一枚ごとに奉納寄進者の名が記されている。」公式HPより

徳川末期の再建と伝えられる、鎌倉中期の様式を深くとどめた二階造りの楼門。

本堂の向かって右手に建つ「阿弥陀堂」。旧阿弥陀堂は天保五年の再建と記され、十年余り仮りの本堂とされていました。本堂落慶の後そのまま新たに他所から弥陀三尊を迎えて本尊とし、阿弥陀堂として伝えられてきましたが、昭和48年に総桧造り:寄せ棟銅板葺に改築されました。

正面御拝の桁の上にある彫刻は雲龍に松と仙人の構図で精巧なノミ跡は大工棟梁「邑久郡宿毛村、田淵栄造源勝永」の作。

内陣入り口の彫刻

本堂外陣の格子天井。

格子に描かれた極彩色の天井画はどれも美しく繊細で、出来ればすべてを画像におさめたいほどですが自粛😅。

鐘堂は、楼造り二間四面、瓦葺。焚鐘は昭和35年に再鋳されたもので、重さは、百八貫(405k)。

宝篋印塔と石仏

参拝日:2015年4月25日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 岡山県旧加茂川町・旧賀陽町(吉備中央町)

2022年03月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧御津郡加茂川町(かもがわちょう)は岡山県の中央に位置した町です。岡山市、御津郡御津町・建部町、久米郡旭町、真庭郡落合町、上房郡有漢町・賀陽町に隣接。吉備高原に位置し、町域は高原と山林で占められ、町の南西部には吉備高原都市があり、産業・福祉・居住の調和が計られた都市計画がなされています。また県の中央に位置していたことから「心を大切にした町づくりに取り組む」という意味から、「ハ〜トオブおかやま」をキャッチフレーズにした町づくりを進めていました。「町の木:スギ」「町の花:モモ」「町の鳥:ブッポウソウ」を制定。

「岡山県中心標」

明治22年(1889)、町村制の施行により、津高郡加茂村・福山村・江与味村・上田村・富津村・新山村、賀陽郡菅谷村が発足。

1900年、郡制の施行により御野郡と津高郡が合併、御津郡となる。下道郡と賀陽郡が合併、吉備郡となる。

1904年、上田村、富津村が合併、御津郡円城村が発足。

1932年、加茂村、福山村、吉備郡菅谷村が合併、御津郡津賀村が発足。

1953年、新山村が江与味村大字杉谷・粟井谷地区を編入。

1955年、津賀村、円城村、長田村、豊岡村、新山村が合併、町制を施行し、御津郡加茂川町が発足。

2004年、上房郡賀陽町との新設合併により加賀郡吉備中央町となりました。

マンホールには『岡山のまんなか :せんたろう』とHEART OF OKAYAMAの文字がデザインされています。

旧加茂川町のキャラクター 『岡山のまんなか :せんたろう』。岡山県の地形をモチーフとした「せんたろう」が指さしている部分が、加茂川町の位置になります。

昭和30年(1955)6月2日制定の町章は、全体で「カモ川」を図案化したものです。

------------------------00----------------------

旧上房郡賀陽町(かようちょう)は岡山県の中央に位置した町です。岡山市、総社市、高梁市、上房郡有漢町、御津郡加茂川町に隣接。町域の大部分は吉備高原で占められ、町の南部の吉備高原都市では産業・福祉・居住の調和が計られた都市計画がなされています。また北部の竹荘盆地では、米作のほかタバコ栽培、畜産などが行われます。南の総社市にまたがる名勝:豪渓は絶壁、石柱の奇景で知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、上房郡上竹荘村・豊野村・下竹荘村・吉川村 、吉備郡大和村が発足。

1955年、上房郡上竹荘村、豊野村、下竹荘村、吉川村、吉備郡大和村が合併、町制を施行し上房郡賀陽町が発足。

1970年、町域西部の佐与谷地区(大字上竹・西の各一部、旧上竹荘村・大和村域)が高梁市に編入される。

2004年、御津郡加茂川町との新設合併により加賀郡吉備中央町となりました。

かなり探し回りましたが、マンホールはなく、町名が記された仕切弁が一枚のみです。

昭和32年(1957)2月1日制定の町章は、「か」を力強く表し、図案化したものです。

撮影日:2014年5月24日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード in 岡山県吉備中央町

2022年03月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

加賀郡吉備中央町(きびちゅうおうちょう)は岡山県のほぼ中央に位置する町です。2004年10月1日、御津郡加茂川町と上房郡賀陽町が合併して発足しました。岡山市、総社市、高梁市、真庭市、久米郡美咲町に隣接。町名は町域が旧国名「吉備の国」の大部分を占める岡山県の「中央」に位置する事に由来。標高200~500メートルの吉備高原の一角にあり、水稲を中心に高原野菜、果物、花き、酪農、肉用牛肥育が盛ん。また、岡山空港に隣接し、中国横断自動車道岡山米子線賀陽インターチェンジを有する特性を生かし、吉備高原都市への産業集積を推進しています。「町の木:アカマツ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:ブッポウソウ」を制定。

キャッチフレーズは「ともに挑戦、ともに感動、ともに笑顔。自然と夢のあるまち、ビッグハートタウン吉備中央町」

2004年10月制定の町章は「吉備中央町の「き」と「中」の文字を飛翔する鳥のイメージ でデザインしています。赤のだ円は町民の情熱を表し、鳥の羽 ばたく様子には町の発展と飛躍への願いを込めています。」公式HPより

町域には、旧自治体のマンホール以外は、町名も自治体章も無いマンホールのみ。

道の駅かもがわ円城で見かけた「町の鳥:ブッポウソウ」の標本剥製。ブッポウソウは漢字で書くと「仏法僧」。由来は夜間に「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くからと言われていましたが、実はこの鳴き声の主は「コノハズク」だったそうです。でも今更真相がわかっても・・ねぇ😅

吉備中央町マスコットキャラクター『ブッポウソウのへそっぴー』。はずかしがりやで人前ではホッペが赤い。素直で呼ばれたらどこにでも飛んでいく。好物はカナブンやセミ、トンボなどの昆虫だそうで・・ちょっと太り気味?

折角なので同じ館内に展示されていたコノハズク・・いやもしかしたらミミズク、それとも無難にフクロウ?何にしてもこの一帯が本当に自然豊かな土地であることがわかります。

撮影日:2015年4月25日

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました。

20219年12月17日、第13弾として全国50自治体で50種類(累計557自治体717種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「吉備中央町」のマンホールカードは、「平日:吉備中央町吉川支所(きびプラザ内)土日:ロマン高原かよう総合会館」でいただけます。

1985年に設置開始されたマンホールには「せんたろう」と「HEART OF OKAYAMA」の文字がデザインされています。

「吉備中央町は、標高200~500mのなだらかな高原地帯にあります。 賀陽町と加茂川町の合併により平成16年に発足しました。 岡山県の中心(おへそ)に位置する地理的特性を生かした産業集積を推進しています。 マンホール蓋には、旧加茂川町のキャラクター「せんたろう」が描かれています。 岡山県の地形をモチーフとしたデザインです。 せんたろうが鼻(顔の中心)を指さすポーズと、HEART OF OKAYAMA の文字は、岡山県のど真ん中に位置することを表現しており、合併した今現在、おへそをイメージさせるデザインとしてマンホール蓋に活用されています。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大浦(おおうら)神社 in 岡山県浅口市寄島

2022年03月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

浅口市寄島町に鎮座される「大浦(おおうら)神社」。御祭神は『応神天皇・仲哀天皇・神功皇后』。通称「八幡様」と称されます。1927年建立の花崗石製明神鳥居は、2019年9月に登録有形文化財に指定。

社号標の文字は、岡山県出身の『犬養毅』元首相の揮毫による鳥居額の文字を、社号標ように拡大して刻んだもの。

由緒「その昔、神功皇后が三韓遠征凱旋の帰途、備中の国の沖合いに来ると景色の良い島々があったので、お立ち寄りになりました。この後、皇后が立ち寄られたこの小島を「寄島」と呼ぶようになりました。 そして、いつの頃からか不思議なことに、この島の西南の海中にひょっこり三つの小島ができました。里人は「この島は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三柱の神のお姿である」と敬い、「三ツ山」ととなえ、小さい祠(ほこら)を建てました。これが、大浦神社の起源であるといわれています。明治2年、八幡宮から大浦神社に改め、寄島町・笠岡市大島・里庄町の氏神様として現在に至っています。」公式HPより

「『神宮皇后』が三韓征伐から還御の時(250)、御舟を寄せられて天神地祇を奉祀された「三ツ山(三郎島)」。その後(997)、安部晴明がその霊地に応神・仲哀・神功の三神をまつり地方の氏神としたと伝える。永祿年間(1558~1569)、細川下野守通董(鴨山城主)が地頭・領家をして三郎島から現在地に遷祠。」岡山神社庁HPより

高さ10m、長さ15m、相互に約6mの間隔をおいて規則正しく並ぶ三郎島、干潮時には三つの島へ本土側から歩いて渡る事が出来ます。

表参道鳥居の内より神域を守護されるのは、私好みのびり口が可愛い浪花系狛犬さん一対。いつも思うのですが、阿形さんのこの口元、本当に可愛い!

拝殿

本殿の左右より神域を守護されるのは、昭和2年(1928)10月1日建立の、広島型玉乗り狛犬さん一対。鋭い眼光と親父っぽい顔、手にした玉とのギャップがまた良い😁

本殿彫刻・渦巻く波に鯉・・漁村だと鯔(ボラ)かも。

「祭典は往時、細川家・池田家より役人が立会し、神馬40頭を勤めさせ、当日は茶場を設けて領主が参詣の時、古式により献茶さ碗で接待した。現在は地頭・領家より各1頭を神馬として選び神幸還幸の際、往時に従い奴・御舟・千歳楽と共に神輿を奉迎し、宮入り神事の後、地頭・領家の馬宰領のもと競馬十二懸神事(町無形文化財)等諸種の神事の盛観は地方まれにみる特殊神事として知られている。」岡山神社庁HPより

参拝日:2014年4月2日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 岡山県旧寄島町(浅口市)

2022年03月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧浅口郡寄島町(よりしまちょう)は岡山県の南西部に位置した町です。倉敷市・笠岡市・浅口郡鴨方町・里庄町に隣接。地内の大半が山林で、南部は瀬戸内海に面し、寄島港は鴨方藩の外港として栄えてきました。地名の由来となった寄島は、かって沖合にあった有人島でしたが昭和期の干拓により陸繋島(りくけいとう)になり寄島半島となりました。11~1月が旬で5番目の脚で泳ぎ渡ることからワタリガニと呼ばれる「ガザミ」が有名で、特に冬の時期のガザミは、内子も含めて濃厚な甘さから人気を博しています。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ヤマツツジ」「町の魚:ガザミ」を制定。

明治9年(1876)、 東大島村・六条院西村の飛地・安倉地区が合併、寄島村が発足。

明治22年(1889)、町村制の施行により、浅口郡寄島村が発足。

1901年、寄島村が町制を施行、浅口郡寄島町が発足。

1955年、浅口郡大島村柴木地区を編入。

1983年、県営農業干拓が竣工。

2006年、浅口郡鴨方町・金光町と合併。市制を施行し浅口市となりました。

マンホールには、瀬戸大橋と三ツ島、「町の魚:ガザミ」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

制定年月日不詳。町章は、全体で「よりしま」を図案化したものです

寄島漁港の案内板で見つけた『カニ丸』。寄島町の特産品「ガザミ」のキャラクターだと思いますが、調べても詳細は分かりません。

寄島:三郎地区に住む学童は、昭和50年頃に島が陸地化されるまで、小舟で通学していました。上級生らしい子供が櫓を漕ぐ「通学船」のモニュメント。何だか鼻の奥がツン・・

尾焼川:御門橋の親柱、もう一方は寄島の特産品「ガザミ」。同じ瀬戸内海に面した小さな漁村の子供だった私にとって、子供の頃によく食べた懐かしいおやつですが、今はとても手が出せない高級品になりました。

撮影日:2014年4月2日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする