
3/10-11の旅行シリーズも最終回です。
3/11の朝、田切駅で定例掃除を済ませた我々は、駒ヶ根まで119系に乗車した後、北に行くメンバーと南に行くメンバーに分かれます。私は南に行くメンバーで、私以外にK谷さん親子、火事さん、Y村さんの5人で115系1000番台信州色の電車に乗り、飯田まで南下しました。飯田では、伊那松島から回送されてくる119系を出迎え撮影しようと言うことだったんですが、これをやってしまうと田切駅に戻れないことに気づいておらず、田切駅に戻っての撮影は出来ないことが判明。とは言っても、戻る電車の発車した後に気づいたので、あきらめて「ありがとう119記念号」の出迎え後は外に出て昼食を取りました。

駒ヶ根から飯田まで乗車した115系1000番台信州色

飯田駅に到着。まだ人がいなかったので、伊那市寄りのホーム端に陣取る。駅員さんから黄色い線の先に出ないようにというお達しでしたので、もちろん厳守しました

こちらは撮影用に用意されていた119系5100番台。平日の増結用でして、土日はいつも飯田駅の留置線で寝ています

南側から313系3000番台がやってきました。で、これに乗らないと田切では撮影できなかったわけで

やがて時間が過ぎて、119系E4編成の天竜色が姿を現しました

飯田駅へ接近する119系

黄色い線が柵よりも少し手前にあるのと、停止位置表示の標識があるので、接近時はこんな感じになっちゃいます

飯田駅に到着し、長年親しんだJR東海色と、デビュー時の塗装である天竜色が並びました。どうせなら、するがシャトル色も欲しかったですね

前面を斜めから撮影。飯田と言うこともあって、都会のこの手のイベントほど混んでいません。また、飯田線は沿線に撮影ポイントが多いことも有り、撮り鉄の大半は撮影ポイントへ行ったようです

跨線橋から

1番線側に降りて撮影

E4編成は分散冷却式クーラーを搭載した5000番台です。119系はデビュー当時は非冷房でした(後期車を除き)

119系には号車番号札を指す場所が無いので、窓に2号車と貼り付けていました。団体、指定席対応ですね

1番線の5100番台は撮影用ですので中には入れません

駅前の台湾料理屋「楽楽鮮」で昼食。119系撮影時に「駅前の中華料理屋で昼食を取りましょう」と仲間と話していたら、駅員さんに「駅前より、駅出て右の楽楽鮮の方がいいですよ」と言われ、「その楽楽鮮に行くつもりですよ」「あそこ量多いですよねえ」とか普通に会話が出来るくらい、飯田線に通っている。20年近くも田切ネットワークとして活動してきたからねえ。ちなみに写真はエビマヨ定食。880円だったかな
食事をした後は、駅前のお土産屋さんでお土産を買い、駅に戻ります。すると373系「伊那路」が到着していて、「ありがとう119記念号」の出発式として太鼓の演奏が行われていました。太鼓と笛の音、鉄道ファンに見送られ、「ありがとう119記念号」は伊那市に向けて発車していきました。1組の、団体客だった老夫婦を除いて、ですが。

飯田駅の駅舎

119系は先ほどとあまり変わらないが、すでに団体客は乗り込んでいる。横に373系の姿も見える

ホーム上では太鼓の演奏が始まっていた。見物客が群がる

位置関係はこんな感じ

太鼓の勢いのある演奏がいい感じでした

ちなみにこんなゆるキャラもいました。りんご並木の妖精「ぽぉ」だそうです

途中で演奏形態が変わり、一人の女性は笛になりました。太鼓の担当も変更

演奏に見送られ、「ありがとう119記念号」が発車していきました
さて、団体臨時列車に乗り遅れた老夫婦ですが、どうも太鼓の演奏を見ていて、発車案内の放送を聞いてなかったようで、団体列車のメイン部分である119系の団臨に乗り損ねたようです(乗り遅れたということはない。なぜなら、373系到着後10分以上もあり、向かいのホームだったからだ)。男性の方が、駅員にたいして怒りながら相談していましたが、まあ乗ってない方が悪いですよね。だって車両に乗りながら見てりゃよかったんだから。ツアー客を確かめなかった添乗員もそれはそれで問題ですけどね。それに駅員はJR東海の職員で、ツアーはJR東海ツアーズの開催ですから、駅員自体は関連会社であってもツアーの詳細は知らんわけで、駅員に詰め寄ってもなーんにも意味はありません。結局、この老夫婦は、私とK谷さん親子が乗車した後続の213系5000番台の普通列車で伊那市に向かい、伊那市で降りるなり添乗員に激怒して叫んでました。8割方は自業自得だと思いますけどね。ちなみに213系車内でも車掌さんに怒ってたんですけど、完全に八つ当たりです。私には申し込んでも定員オーバーで参加できなかったツアーでしたので、正直同情する気にもなれません。

団体列車の去った後、1両だけの119系がぽつんとホームに取り残される

後続の213系5000番台で岡谷方面へ向かう。途中の駒ヶ根で長時間停車だったので、119系と最後のセット撮影。新旧交代だ

伊奈市駅に着くと、ちょうど折り返しの全車指定席「ありがとう119記念号」の出発式をやっていた。こちらには「アルクマ」がいた

伊那市駅を後にして213系5000番台は北へ

列車は茅野行きであったが、岡谷駅で下車。ここから中央本線の115系1000番台へ乗り換え、小淵沢へ

小淵沢での乗り換えは115系300番台のスカ色だった

最後に甲府からはE351系「スーパーあずさ」で八王子までショートカット
確か16歳か17歳の頃からだったと思うので、ほぼ20年近く飯田線に通ってきました。汎用の形式(113系、115系、211系等)を除けば単独路線の専用形式車両としては119系は最も多く乗車した車両だと思います。通勤、通学に使っていたわけでは無いですけど、非常になじみ深い電車でした。3/31まで引退運転はありますけど、さすがに乗車することはもう無いでしょう(動態保存車が出なければ)。飯田線専用形式として活躍した119系は、性質的に「リニア・鉄道館」に保存されることも無いでしょうし、このまま全車解体なのかなとも思います。せめて、佐久間レールパークが無くなった中部天竜にでも、保存展示してもらえると良いのですけどね。今まで旅の思い出をありがとう、119系。昨日、300系や100系、371系、いろいろな車両や列車が引退しましたけど、私にとっては一番の思い出は119系でした。
3/11の朝、田切駅で定例掃除を済ませた我々は、駒ヶ根まで119系に乗車した後、北に行くメンバーと南に行くメンバーに分かれます。私は南に行くメンバーで、私以外にK谷さん親子、火事さん、Y村さんの5人で115系1000番台信州色の電車に乗り、飯田まで南下しました。飯田では、伊那松島から回送されてくる119系を出迎え撮影しようと言うことだったんですが、これをやってしまうと田切駅に戻れないことに気づいておらず、田切駅に戻っての撮影は出来ないことが判明。とは言っても、戻る電車の発車した後に気づいたので、あきらめて「ありがとう119記念号」の出迎え後は外に出て昼食を取りました。

駒ヶ根から飯田まで乗車した115系1000番台信州色

飯田駅に到着。まだ人がいなかったので、伊那市寄りのホーム端に陣取る。駅員さんから黄色い線の先に出ないようにというお達しでしたので、もちろん厳守しました

こちらは撮影用に用意されていた119系5100番台。平日の増結用でして、土日はいつも飯田駅の留置線で寝ています

南側から313系3000番台がやってきました。で、これに乗らないと田切では撮影できなかったわけで

やがて時間が過ぎて、119系E4編成の天竜色が姿を現しました

飯田駅へ接近する119系

黄色い線が柵よりも少し手前にあるのと、停止位置表示の標識があるので、接近時はこんな感じになっちゃいます

飯田駅に到着し、長年親しんだJR東海色と、デビュー時の塗装である天竜色が並びました。どうせなら、するがシャトル色も欲しかったですね

前面を斜めから撮影。飯田と言うこともあって、都会のこの手のイベントほど混んでいません。また、飯田線は沿線に撮影ポイントが多いことも有り、撮り鉄の大半は撮影ポイントへ行ったようです

跨線橋から

1番線側に降りて撮影

E4編成は分散冷却式クーラーを搭載した5000番台です。119系はデビュー当時は非冷房でした(後期車を除き)

119系には号車番号札を指す場所が無いので、窓に2号車と貼り付けていました。団体、指定席対応ですね

1番線の5100番台は撮影用ですので中には入れません

駅前の台湾料理屋「楽楽鮮」で昼食。119系撮影時に「駅前の中華料理屋で昼食を取りましょう」と仲間と話していたら、駅員さんに「駅前より、駅出て右の楽楽鮮の方がいいですよ」と言われ、「その楽楽鮮に行くつもりですよ」「あそこ量多いですよねえ」とか普通に会話が出来るくらい、飯田線に通っている。20年近くも田切ネットワークとして活動してきたからねえ。ちなみに写真はエビマヨ定食。880円だったかな
食事をした後は、駅前のお土産屋さんでお土産を買い、駅に戻ります。すると373系「伊那路」が到着していて、「ありがとう119記念号」の出発式として太鼓の演奏が行われていました。太鼓と笛の音、鉄道ファンに見送られ、「ありがとう119記念号」は伊那市に向けて発車していきました。1組の、団体客だった老夫婦を除いて、ですが。

飯田駅の駅舎

119系は先ほどとあまり変わらないが、すでに団体客は乗り込んでいる。横に373系の姿も見える

ホーム上では太鼓の演奏が始まっていた。見物客が群がる

位置関係はこんな感じ

太鼓の勢いのある演奏がいい感じでした

ちなみにこんなゆるキャラもいました。りんご並木の妖精「ぽぉ」だそうです

途中で演奏形態が変わり、一人の女性は笛になりました。太鼓の担当も変更

演奏に見送られ、「ありがとう119記念号」が発車していきました
さて、団体臨時列車に乗り遅れた老夫婦ですが、どうも太鼓の演奏を見ていて、発車案内の放送を聞いてなかったようで、団体列車のメイン部分である119系の団臨に乗り損ねたようです(乗り遅れたということはない。なぜなら、373系到着後10分以上もあり、向かいのホームだったからだ)。男性の方が、駅員にたいして怒りながら相談していましたが、まあ乗ってない方が悪いですよね。だって車両に乗りながら見てりゃよかったんだから。ツアー客を確かめなかった添乗員もそれはそれで問題ですけどね。それに駅員はJR東海の職員で、ツアーはJR東海ツアーズの開催ですから、駅員自体は関連会社であってもツアーの詳細は知らんわけで、駅員に詰め寄ってもなーんにも意味はありません。結局、この老夫婦は、私とK谷さん親子が乗車した後続の213系5000番台の普通列車で伊那市に向かい、伊那市で降りるなり添乗員に激怒して叫んでました。8割方は自業自得だと思いますけどね。ちなみに213系車内でも車掌さんに怒ってたんですけど、完全に八つ当たりです。私には申し込んでも定員オーバーで参加できなかったツアーでしたので、正直同情する気にもなれません。

団体列車の去った後、1両だけの119系がぽつんとホームに取り残される

後続の213系5000番台で岡谷方面へ向かう。途中の駒ヶ根で長時間停車だったので、119系と最後のセット撮影。新旧交代だ

伊奈市駅に着くと、ちょうど折り返しの全車指定席「ありがとう119記念号」の出発式をやっていた。こちらには「アルクマ」がいた

伊那市駅を後にして213系5000番台は北へ

列車は茅野行きであったが、岡谷駅で下車。ここから中央本線の115系1000番台へ乗り換え、小淵沢へ

小淵沢での乗り換えは115系300番台のスカ色だった

最後に甲府からはE351系「スーパーあずさ」で八王子までショートカット
確か16歳か17歳の頃からだったと思うので、ほぼ20年近く飯田線に通ってきました。汎用の形式(113系、115系、211系等)を除けば単独路線の専用形式車両としては119系は最も多く乗車した車両だと思います。通勤、通学に使っていたわけでは無いですけど、非常になじみ深い電車でした。3/31まで引退運転はありますけど、さすがに乗車することはもう無いでしょう(動態保存車が出なければ)。飯田線専用形式として活躍した119系は、性質的に「リニア・鉄道館」に保存されることも無いでしょうし、このまま全車解体なのかなとも思います。せめて、佐久間レールパークが無くなった中部天竜にでも、保存展示してもらえると良いのですけどね。今まで旅の思い出をありがとう、119系。昨日、300系や100系、371系、いろいろな車両や列車が引退しましたけど、私にとっては一番の思い出は119系でした。
119系が引退してしまいますが、飯田線は永久に不滅です。
わが故郷、伊那谷と飯田線を愛してくれる方々いることをうれしく思います。
これからも飯田線をよろしくお願いいたします。
119系の引退というのは飯田線にとって一つの転換点でしょうね。ワンマン化が進行し、ここ数年のサービス低下から、余計に乗客が減るだろうという処は心配なところなんですが。車両の座席は改善されたのが救いでしょうか。
田切駅へはまだまだ行き続けると思いますので、これからは213系5000番台、313系での度を楽しむようにしたいと思います。