震災より1年、復興しないこの1年間を過ごしてきたこと、生涯忘れられない1年間になるでしょう。
1年前の今日、金曜日で平日だった私は、いつもどおり会社で仕事をしていました。遠隔地故に14:46よりやや遅れていたかも知れませんが、本震があった時に激しい揺れに、「ついに東海大地震が来たのか?」と一瞬思ったのですが、揺れの続く中で携帯電話のワンセグを見たところ、福島沖での大地震でした。うちの会社のビルは古く、揺れで私のいる7階のフロアは天井が落ちたり、机の上の液晶モニタが倒れ、棚の上のCDやソフトウェアの入った箱、備品類が落下しました。私の机の上には20kgくらいの据え置き型のサーバが置いてあるのですが、これすらも揺れで落下しそうになったのを一度手で戻しました。
1年後のその時刻、私は飯田線大田切駅で213系5000番台の車内にいました。119系のお別れをしてきたんですが、その記事はまた次回以降に書きます。
この1年、地震と津波、原発によって壊滅的な被害を受けた鉄道。あえてですが、震災前の写真を掲載しておきたいと思います。いつの日か、この姿がまた見られるように。
三陸鉄道北リアス線 島越駅にて。津波によって高架線と駅は大破。北リアス線で、復旧が進まない最後の場所です。2005年7月3日撮影
三陸鉄道北リアス線の車内から見た美しい入り江。2011年1月31日撮影
常磐線 富岡駅にて。福島第二原発最寄りの駅。もうこの駅に来られることは無いだろうか。2010年4月10日撮影
常磐線 原ノ町駅にて。今は701系が相馬との間を往復しているようです。2010年4月10日撮影
石巻線 女川駅にて。もう写真右のキハ40形は存在しないでしょう。津波によって、流されて大破しました。2010年4月11日撮影
石巻線 女川駅。もう2度と見ることの無い姿。チリ地震の津波跡を駅の階段に記していたが、それを遥かに超える津波がこの駅を飲み込んだ。2010年4月11日撮影
大船渡線 盛駅にて。気仙沼線と大船渡線はもうずっと通っていなくて、そろそろもう一度乗りに行こうと思っていたら、乗れなくなってしまった。2002年7月29日撮影
気仙沼線 気仙沼駅にて。小牛田のキハ40系も津波を受けて大破した車両が存在する。2002年7月29日撮影
仙石線 陸前小野駅にて。3/17に1年ぶりに再開しますが、石巻側からの再開であるため、今のところ非電化としての再開。写真の仙台からの快速列車が走るまではまだ数年かかることでしょう。2010年4月11日撮影
八戸線 久慈駅にて。3/17に1年ぶりに再開します。今年中に、こちらの方まで行きたいと思います。2011年1月31日撮影
山田線 宮古駅にて。写真は釜石行きの普通列車。津波で消えたこの区間、再開することはあるのか・・・過疎地域だけに不安が残る。2011年1月31日撮影
2010年まで、夏の間は仙台~八戸を東北本線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、三陸鉄道南リアス線、山田線、三陸鉄道北リアス線、八戸線で結ぶ快速「リアスシーライナー」が走っていました。もう二度と見られないかも知れませんけど、いつの日か、この列車を復活運転できる日を祈って。
気仙沼線/大船渡線 気仙沼駅にて。三陸鉄道36-1100形、36-1200形で運行されていました
1年前の今日、金曜日で平日だった私は、いつもどおり会社で仕事をしていました。遠隔地故に14:46よりやや遅れていたかも知れませんが、本震があった時に激しい揺れに、「ついに東海大地震が来たのか?」と一瞬思ったのですが、揺れの続く中で携帯電話のワンセグを見たところ、福島沖での大地震でした。うちの会社のビルは古く、揺れで私のいる7階のフロアは天井が落ちたり、机の上の液晶モニタが倒れ、棚の上のCDやソフトウェアの入った箱、備品類が落下しました。私の机の上には20kgくらいの据え置き型のサーバが置いてあるのですが、これすらも揺れで落下しそうになったのを一度手で戻しました。
1年後のその時刻、私は飯田線大田切駅で213系5000番台の車内にいました。119系のお別れをしてきたんですが、その記事はまた次回以降に書きます。
この1年、地震と津波、原発によって壊滅的な被害を受けた鉄道。あえてですが、震災前の写真を掲載しておきたいと思います。いつの日か、この姿がまた見られるように。
三陸鉄道北リアス線 島越駅にて。津波によって高架線と駅は大破。北リアス線で、復旧が進まない最後の場所です。2005年7月3日撮影
三陸鉄道北リアス線の車内から見た美しい入り江。2011年1月31日撮影
常磐線 富岡駅にて。福島第二原発最寄りの駅。もうこの駅に来られることは無いだろうか。2010年4月10日撮影
常磐線 原ノ町駅にて。今は701系が相馬との間を往復しているようです。2010年4月10日撮影
石巻線 女川駅にて。もう写真右のキハ40形は存在しないでしょう。津波によって、流されて大破しました。2010年4月11日撮影
石巻線 女川駅。もう2度と見ることの無い姿。チリ地震の津波跡を駅の階段に記していたが、それを遥かに超える津波がこの駅を飲み込んだ。2010年4月11日撮影
大船渡線 盛駅にて。気仙沼線と大船渡線はもうずっと通っていなくて、そろそろもう一度乗りに行こうと思っていたら、乗れなくなってしまった。2002年7月29日撮影
気仙沼線 気仙沼駅にて。小牛田のキハ40系も津波を受けて大破した車両が存在する。2002年7月29日撮影
仙石線 陸前小野駅にて。3/17に1年ぶりに再開しますが、石巻側からの再開であるため、今のところ非電化としての再開。写真の仙台からの快速列車が走るまではまだ数年かかることでしょう。2010年4月11日撮影
八戸線 久慈駅にて。3/17に1年ぶりに再開します。今年中に、こちらの方まで行きたいと思います。2011年1月31日撮影
山田線 宮古駅にて。写真は釜石行きの普通列車。津波で消えたこの区間、再開することはあるのか・・・過疎地域だけに不安が残る。2011年1月31日撮影
2010年まで、夏の間は仙台~八戸を東北本線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、三陸鉄道南リアス線、山田線、三陸鉄道北リアス線、八戸線で結ぶ快速「リアスシーライナー」が走っていました。もう二度と見られないかも知れませんけど、いつの日か、この列車を復活運転できる日を祈って。
気仙沼線/大船渡線 気仙沼駅にて。三陸鉄道36-1100形、36-1200形で運行されていました