今日はイタリア・ミラノへ戻る日。
ミラノから一日で友人宅まで戻れるか?朝、フリーWi-Fiが繋がるというバス停の脇で青空パソコン。
その後準備をして3人で飛行場まで。
あっという間の三日間だった。
日本の親友とマルタ共和国で再会して一緒に観光した。
一生忘れたくないと思う経験だった。
チェックインを済ませた後喫茶店で3人で時間を潰す。
次に二人と再会するのは遠い未来の出来事のようにぼんやりと思っていた。
そして二人に別れを告げて飛行機に乗り込んだ。
やっぱり涙してしまった。
イタリア行きのの飛行機。
久々にイタリア語を聞いた気分だった。
イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、英語、オランダ語、ドイツ語。
以上の言葉はそれぞれ量は違えど現地で使われてる言葉で挨拶程度はしていた。
イタリア語は一番覚えた言葉だけどイタリア以外では使われておらず、イタリア人とコミュニケーション取ることも無かったので本当に久々に聞いた。
飛行機の搭乗員、隣の席の客にグラーツィエ、プレーゴを久々に言ってドキドキした。
何かとても懐かしい響だったし、故郷の言葉を久々に言ったような妙な気分だった。
旅の中で最も過酷な印象があったイタリア放浪。
人は冷たいし、車の運転は荒いし、ぼったくろうとしてくるし。
しかし、きっと初の海外がイタリアだったから自分に問題があったのだと、ただただ自分が勝手に海外にビビっていただけなんだと。
成長した姿でイタリアに降り立ってやろうと思う。
しかし到着したミラノの空港で早速心を折られる。
市街地行きのバスのチケットを飛行機と一緒に買っていたのに、どれがそのチケットか分からず、バス停の係員に尋ねるが冷たくあしらわれるだけ。
仕方なく諦めて再度チケットを購入した。
久々にやってきたミラノ中央駅。
この旅で初めての再訪を経験した。
ふた月弱の時間だが大分長い時間を経てミラノに戻ったような気分だった。
遂に旅は収束を始めたのだ。
何もかもが泣けそうな全てだった。
電車を待っている間、空腹だったので駅のバーガーキングに入る。
自分から見ると何人か分からないヨーロッパの人々。
イタリアとはいえ日常における人種ミックスが半端じゃないヨーロッパ。
ファストフード店のカウンターでイタリア語でやり取りしてるのを見ると
「ああお客はイタリア人なんだな」
英語でやり取りしてるのを見ると
「ああ客はイタリア人以外の人なんだな」
と思う。
因みに僕はファストフード店のやり取りくらいならオールイタリア語で出来た。
この点でイタリアは他の国より相当スペシャルな居心地を持った国である。
この種の快感は人生初であった。
とても嬉しかった。
そして長いこと電車に揺られて、ヴェローナで乗り換えボルツァーノで乗り換え。
最後の乗り換えはもう最終電車。
21時過ぎにメラーノに到着。
何かこういう乗り換えもふた月前じゃ考えられないくらいスムーズに行えた。
友人宅を目指す。
散々過ごしたメラーノにふた月ぶりにやってきた。
懐かしかった。
もうキャリーケースもボロボロで汗だくで歩いた。
友人宅のインターホンを押した。
本当に過酷な放浪をしてきた僕を友人夫婦が親切に迎えてくれた。
もう感謝しきれない恩を感じて仕方が無かった。
思えば
「せっかくイタリアに来たからヴェネチアくらいには行ってみます、もし可能ならそこからフィレンツェに行くかもしれません」
そう言って友人宅を出発したふた月前。
旅は自分のコントロールを離れ、自分でも想像できなかった心が次々と生まれた。
あと一歩だけ、あと一歩だけ先に行ってみよう!本当にあと一日、あとひとつの街まで頑張って行ってみよう!
そうしてふた月以上の期間、15カ国を巡り色んな人々と出会い、それまでの人生の全てに匹敵するくらいの喜怒哀楽をした。
本当に色々なモノを観た。
こんなに感慨深い経験はもう人生の中では起こらない気もする。
とても優しい友人は念の為におにぎりを用意していてくれた。
千と千尋の神隠しくらいに泣けるおにぎりだった。
そして僕の旅をおさらいしましょう!と友人とお酒を飲んで遅くまで話をした。
話したいことは沢山あった。
旅の話を聞いてもらえるほど嬉しい事はなかった。
ここに僕の放浪は完結したのです。
人生最大の冒険は終わったのです。
ミラノから一日で友人宅まで戻れるか?朝、フリーWi-Fiが繋がるというバス停の脇で青空パソコン。
その後準備をして3人で飛行場まで。
あっという間の三日間だった。
日本の親友とマルタ共和国で再会して一緒に観光した。
一生忘れたくないと思う経験だった。
チェックインを済ませた後喫茶店で3人で時間を潰す。
次に二人と再会するのは遠い未来の出来事のようにぼんやりと思っていた。
そして二人に別れを告げて飛行機に乗り込んだ。
やっぱり涙してしまった。
イタリア行きのの飛行機。
久々にイタリア語を聞いた気分だった。
イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、英語、オランダ語、ドイツ語。
以上の言葉はそれぞれ量は違えど現地で使われてる言葉で挨拶程度はしていた。
イタリア語は一番覚えた言葉だけどイタリア以外では使われておらず、イタリア人とコミュニケーション取ることも無かったので本当に久々に聞いた。
飛行機の搭乗員、隣の席の客にグラーツィエ、プレーゴを久々に言ってドキドキした。
何かとても懐かしい響だったし、故郷の言葉を久々に言ったような妙な気分だった。
旅の中で最も過酷な印象があったイタリア放浪。
人は冷たいし、車の運転は荒いし、ぼったくろうとしてくるし。
しかし、きっと初の海外がイタリアだったから自分に問題があったのだと、ただただ自分が勝手に海外にビビっていただけなんだと。
成長した姿でイタリアに降り立ってやろうと思う。
しかし到着したミラノの空港で早速心を折られる。
市街地行きのバスのチケットを飛行機と一緒に買っていたのに、どれがそのチケットか分からず、バス停の係員に尋ねるが冷たくあしらわれるだけ。
仕方なく諦めて再度チケットを購入した。
久々にやってきたミラノ中央駅。
この旅で初めての再訪を経験した。
ふた月弱の時間だが大分長い時間を経てミラノに戻ったような気分だった。
遂に旅は収束を始めたのだ。
何もかもが泣けそうな全てだった。
電車を待っている間、空腹だったので駅のバーガーキングに入る。
自分から見ると何人か分からないヨーロッパの人々。
イタリアとはいえ日常における人種ミックスが半端じゃないヨーロッパ。
ファストフード店のカウンターでイタリア語でやり取りしてるのを見ると
「ああお客はイタリア人なんだな」
英語でやり取りしてるのを見ると
「ああ客はイタリア人以外の人なんだな」
と思う。
因みに僕はファストフード店のやり取りくらいならオールイタリア語で出来た。
この点でイタリアは他の国より相当スペシャルな居心地を持った国である。
この種の快感は人生初であった。
とても嬉しかった。
そして長いこと電車に揺られて、ヴェローナで乗り換えボルツァーノで乗り換え。
最後の乗り換えはもう最終電車。
21時過ぎにメラーノに到着。
何かこういう乗り換えもふた月前じゃ考えられないくらいスムーズに行えた。
友人宅を目指す。
散々過ごしたメラーノにふた月ぶりにやってきた。
懐かしかった。
もうキャリーケースもボロボロで汗だくで歩いた。
友人宅のインターホンを押した。
本当に過酷な放浪をしてきた僕を友人夫婦が親切に迎えてくれた。
もう感謝しきれない恩を感じて仕方が無かった。
思えば
「せっかくイタリアに来たからヴェネチアくらいには行ってみます、もし可能ならそこからフィレンツェに行くかもしれません」
そう言って友人宅を出発したふた月前。
旅は自分のコントロールを離れ、自分でも想像できなかった心が次々と生まれた。
あと一歩だけ、あと一歩だけ先に行ってみよう!本当にあと一日、あとひとつの街まで頑張って行ってみよう!
そうしてふた月以上の期間、15カ国を巡り色んな人々と出会い、それまでの人生の全てに匹敵するくらいの喜怒哀楽をした。
本当に色々なモノを観た。
こんなに感慨深い経験はもう人生の中では起こらない気もする。
とても優しい友人は念の為におにぎりを用意していてくれた。
千と千尋の神隠しくらいに泣けるおにぎりだった。
そして僕の旅をおさらいしましょう!と友人とお酒を飲んで遅くまで話をした。
話したいことは沢山あった。
旅の話を聞いてもらえるほど嬉しい事はなかった。
ここに僕の放浪は完結したのです。
人生最大の冒険は終わったのです。