メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

69、世界一美しい街、チェスキー・クルムロフへ

2013年04月14日 | 魂の旅立ち
朝食、前日同様女装したほっしゃん。のようなスタッフさんに気を引かれつつ。

チェックアウトして街へ、晴れた天国のような一日。
ウィーンの街はマラソン大会の様で、道は封鎖され、道にも地下鉄にもランナーが沢山居た。
東京マラソン的なものなのかな?

またもや本当に去りたくないと思わされた。
ウィーンの駅で感慨にふけりながら再び人生ってヤツを考えていた。
いつか再び僕はウィーンに戻る事があるのだろうか?
多分戻らない可能性のが高いだろう。
今が人生のハイライトなのかもしれない。

旅慣れたのか?わずか一時、今まで不安だらけだった旅の中でとても穏やかな気持になっていた。
それほどオーストリアは居心地が良かった。

しかし、この日は最後まで行くかどうか決まらなかった街へ向かう。
何故ならば電車ではまともには行けないド田舎の街、チェスキー・クルムロフへ向かうから。

地図的に見てウィーンから電車行こうと思ってたらかなりの陸の孤島、6時間くらいかかり、一日で行くのも困難。
調べるとチェスキー・クルムロフのペンションが個人的にシャトルバスを運行してるというので数日前からメールで連絡を取り合った。
ウィーンの車は一杯だというのでリンツまで出てそこからチェスキー・クルムロフに送ってもらうことにした。

リンツの駅について待ち合わせまで1時間ほどあったので駅構内のマクドナルドで時間を潰す。
タクシー乗り場で落ち合う予定だった。
こんな見知らぬ土地で見知らぬ国の見知らぬ人と待ち合わせが出来るのか?
かなり不安があったがすんなり落ち合えた。
なかなか気さくな運転手に前金を払う。
他には東南アジア系のカップルが一組乗っていた。

車に揺られること2時間。
その間大草原の真ん中の道やら林の中を貫く道やら川の側道やら。
晴れた空に映えるとても素敵な車窓だった。

そうしてカップルを降ろした後僕の予約したペンションまで送ってくれた。
綺麗だが相当ローカルで呼んでも誰も出てこない様な宿。

勇気を出して奥まで行くとおばさんが居て、英語が通じにくかったが何とかチェックイン出来た。
本当に癒しの観光地と言った感じのペンション、綺麗で広くて快適だった。

そして川を超えてチェスキー・クルムロフの中心へ。
こうしてこの旅の14カ国目にやってきた。

川に囲まれた街の内部はとても綺麗で静かでのどかで。
世界一美しいと言われることがあるのも納得の観光地。
この旅でも最も難易度の高い場所だったが、本当に来てよかった。
チェスキー・クルムロフ城を散歩して、その後もただただ街歩き。
広場、小道、住宅街、何処をとっても美しい街並みだった。

ここまで旅してきてこの街の特筆すべきはその静けさ。
鳥の声と川のせせらぎ。
それがひどく僕を癒した。

高低差もあるので歩き疲れ町外れの公園のベンチに腰をかけてタバコを吸った。
言葉では伝えられない、独り旅の極限の醍醐味を味わっていた。

夜景が観たくなったのでチェスキー・クルムロフ城の上で日が沈むのを待った。
この時期、ヨーロッパの日はとても長かった。
日本人の感覚のようにはなかなか日が落ちず、待ちきれず川の外側を歩いたりした。

ペンションのレストランで晩御飯を食べようと長い坂道を登って戻ったがこの日はやっていなかった。
日曜日、ヨーロッパの田舎町では店は休みが多い、やってる店も直ぐ閉まる。

再び長い坂道を下って街へ戻る。
とても勇気を出して3件ほど入ったが何処ももうラストオーダーが終わっていた。
こんな経験を放浪初日のヴェネチアでも味わった、嫌な予感がしたので遅くまでやってた小売店でドーナツやお菓子やビールを買った。

その後もバーみたいな場所に勇気を出して入ったがちょっと地元の若者達が駄弁る場所の様で歓迎されなかったので直ぐ出た。
なんという経験か!

そしてせっかくだから夜のチェスキー・クルムロフを再び遅くまで歩きに歩いて旅を味わった。

宿に戻って気合を入れて洗濯をしてドーナツとスナック菓子でビールを飲んだ。
ほろ酔いだった。


窓をあけるとそこは広い原っぱだった。
夜の芝生は僅かな光に照らされていた。
少し湿って程よく涼しい空気が部屋に流れ込んできた。

旅の途中だった。
本当に・・・本当に旅の途中だった。
2ヶ月間、孤独な放浪をした。
もうすぐクライマックスの足音を感じる。
そこは旅の途中だった。

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