メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

70、プラハに来た

2013年04月15日 | 魂の旅立ち
チェスキー・クルムロフからプラハを目指す。
とにかくチェスキー・クルムロフがド田舎なので、ここもなかなか厄介な道程。
地図ではそんなに遠く見えないが電車ではとても時間がかかる。

チェスキー・クルムロフ駅に行くと人生でも味わった事のないようなド田舎駅だった。
何処でチケットが買えるのか?ってか何処から電車に乗れるのか?
何もかもわからないチェコ、唯一駅に居た大型犬を連れた女の子に
「プラハに行きたいけど、行き方わかる?」と聞くと
駅の時刻表観たいのを一生懸命見てくれて
「チェスキー・ブデヨヴィツェで乗り換えて行けるわ、ここから乗れるわ」
と教えてくれた。とても嬉しかった。

Infoは閉まっていた、チケットは最悪電車内で買おうかと思ったが隣の扉を開けたら奥にチケット売り場があって何とかチケットが買えた。

本当に電車が来るのか?廃線なのでは?と思えるような線路。
自分は心配性なので早めに駅に来てしまったが、電車の時刻が近ずくと他にも乗客が来だして安心した。

そうしてやってきた2両編成の小さな電車に。
ホームもないような場所から乗り込むローカルっぷり。

そうして何度か乗り換え乗り換え長い電車の旅を経てチェコの首都プラハに辿り着いた。
なかなか大きくて綺麗な駅。
都会的だった。

プラハの街並みを堪能しながら宿を探す。

プラハは都会的だがのどかで綺麗で優雅さを感じた。
第一印象は非常に良い感じ。

予約したペンションの入り口がレストランの奥にあり見つけられず、何度もその辺を行ったり来たりしてしまった。
もう何度目かの宿探し難民化した。

ようやく辿り着いた宿、ヨーロッパ特有の古い建物の4階(日本で言う5階)。
階段の段差が均等じゃないので重たい荷物を持って登るのは結構怖い。
太った女性スタッフが尋常じゃなくゼェハァ言いながら誘導してくれた。
なかなか綺麗で設備が充実したトリプルルームだった。
天窓もあって良い感じ。
しかし情報と違って部屋でWi-Fiが通じない。
少したくましくなっていた僕はダメ元でスタッフにクレームを付けた。
「僕の部屋はWi-Fi電波がとても弱くて使えないよ!」と
「わかってるわ、あの部屋はとっても電波が弱いの。でもごめんなさい、他に部屋は無いの・・・」と言われた。
まあもう四の五の言ってられないので電波が通じる所で何とかしよう、と開き直れた。
たったこれだけの事だが旅人として大分たくましくなっている自覚が在った。

そうしてプラハの街へ繰り出した。
意外に日本人観光客が多かった。

旧市街広場はとても良い感じだった。
市庁舎の塔の展望台に登った、なかなか素晴らしい見晴らしだった。
プラハはこの旅で訪れた大都市の中では最も美しい街かもしれない。

火薬塔等の他の名所も見て廻った。

お腹が空いていたのでKFCに入った。
ヨーロッパでのささやかな趣味、KFCの食べ比べ。
国ごとに味が結構違うから。
チェコのは結構日本に近かった記憶が。

そして有名なカレル橋を渡った。
歩行者天国のような橋は絵描きやパフォーマーが沢山居た。
触るといいことがあるという像にもちゃんと触った。
橋を渡り散歩していたが結構夜だったのでプラハ城に行くのは翌日に回した。

激しく移動を繰り返す僕の旅。
同じ街に2日居れるのはとてもホッとする。

ペンションのレストランへ。
宿泊客は割引で食べれるのでペペロンチーノのパスタを食べた。
むっちゃ美味かった!嬉しくなってビール3杯とワインを一杯飲んでしまった。


ところでこんなに激しい移動をしてきたのには理由があった。
パリで出会った若者とベルリンで待ち合わせる約束をしていたのだ。
ベルリンを一緒に旅しようと約束をしていたのだ。
だから彼のベルリン滞在の予定に合わせて僕が旅程を調整してかなりタイトになってしまったのだ。
(この日、深夜まで彼からの約束の連絡を待ったが遂に連絡は来なかった)

そうしてベルリンの次はマルタ共和国に留学している友達の元を尋ねる予定。

つまり僕の独り旅はここプラハで終わるのだ。
フィナーレにふさわしい街である。

人生の中でコレほど感慨深いという感情を僕の心が創りだしたことは無い。
あまりに濃密なふた月。

大げさな言い方で恥ずかしいが、金も人生も命もかけた放浪である。

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