ビュッフェ式のホテルの朝食はなかなかだった。
宿代もなかなかだったので恥も覚悟でチーズを沢山くすねて来た。
そして早々とジュネーブを離れチューリッヒに向かう。
電車の中で迷っていたが途中の停車駅ベルンで途中下車の旅をする。
降りようとするとフレンドリーな女性の車掌さん達4人くらいが話しかけてきて僕のチケットをチェックしつつ親切に
「ここはあなたの降りるえきじゃないよ、このまま乗ってればチューリッヒに行けるよ」と言ってくる。
僕は途中下車が違反なのかな・・・と不安だったのでそんな親切な車掌さんたちから逃げるように見つからないようにドキドキしながらベルンで下車する。
ちょっと迷子になりつつも必死に土地勘を発揮して観光地の方に辿り着く。
毎度のことだが見知らぬ街で目的地はどこなのだ?というストレスはなかなかしんどい。
心は折れそうになるが時間にも追われていたので諦めず必死に地図と向き合う。
ベルンは商店街に人が集中していた。
キャリーケースを引きずったままの旅で、なかなかの荒い石畳の道でしんどかった。
教会に行きしんどいけど展望台に登った。
カウンターのお婆さんはフレンドリーに僕のキャリーケースとリュックを預かってくれた。
そういう一つ一つが僕の心を激しく一喜一憂させるのである。
展望台は工事中で見晴らしはイマイチ。
教会では結婚式か何かをしていたようだ。
繁華街を通ってまた駅へ。
予定の電車に乗れてチューリッヒへ。
日本からヨーロッパへ来た際、飛行機乗り換えの際に心をへし折られたチューリッヒに再びやってきたのである。
ちょいと油断して宿探ししていたら全然宿が見つからない。
銀座のような繁華街を一人不釣合いにキャリーケースを引きずって歩く。
目的地と地図のなんとなくの雰囲気で自分の心の集中力がなんとなく決まる。
この日はその漠然と思っていた難易度と現実が最も離れた一日であった。
ここだと思っていた通り、地図を見ながら「今自分はこの通りに居るはず」と思っていた通りが全然違う通りだった。
ようやく気づいて宿の場所を把握するが、道も全然違えば距離も全然違った。
相当距離があるようなので駅に戻ってバスに乗ろうか?しかし駅まで戻ってバスの乗り方を把握する時間もよめない・・・なんて迷いながら歩く歩く。
ようやく辿り着いた宿は受付カウンターすらない。
おかしい・・・と重たいキャリーケースを持ちながら5階まで登る、しかし何処に行っても受付が無い。
見逃したか?と思い下り、しかしやっぱりあの扉の向こうに何かあったのかも・・・とまた登ったり。
一人旅の悲しさ、とにかく些細な移動でも荷物を放置出来ないので汗だくで階段を登り降り。
結局3往復したが見つからず入り口でタバコを吸ってたおじさんたちに話しかける。
すると宿の関係者らしく教えてくれる。
結論なのだが、その宿にはカウンターなどは無くオートチェックインシステムというものだった。
入り口の脇にあるナンバー式のポストのようなものに番号を打ち込むと電子キーが出てくる。
そのナンバーはネット予約した際のメールに(当然英語で)間接的な感じで書かれていた。
予約番号の下四桁って感じで。
そして出てきた鍵はなんと5階、また汗だくで5階まで登った。
部屋は贅沢にも綺麗で広いがネットへの接続の仕方がわからない。
散々あたふたと探すがそれらしきものが見当たらない。
建物の入口に戻るとそこの壁に貼られていた。
それを手にして何とかネットへの接続を確保する。
毎日、宿を見つけてネット接続確保までが安堵への道なのだがここまで相当なハードルだった。
まさか人が居ないオートチェックインなるものがこの世にあるなんて思わなかった。
独り旅、事務的であっても宿の人とのちょいとしたやり取りが僅かな人との関わりなのにそれが無いのは非常に辛いことだと悟った。
独り旅、独り歩き、ひたすら独りで考え事をして大抵ナーバスな心持ちになっている、それが宿の人とのやり取りで一回リセット的な感じにできるのにこの日はそれが出来なかった。
やってることはもうリアルバイオハザードでしたわ!
トータルそのライフライン確保まで2時間以上かかってしまいチューリッヒ観光に当てようと思っていた時間が全然なくなってしまった。
本当に落ち込んでもう宿から出るのもやめようか、と体が動かない。
恥ずかしながらもう辛くて泣いてしまいたい気分になっていた、ひょっとしたらちょっとうるうるしていたかもしれない。
近所に飯屋があったからそこで飯食って今日は終わりにしよう!と思い何とか出かける。
しかしまたもやギリギリの貧乏根性で「せっかくここまで来たのだからチューリッヒの街を観ておこう!」という心を作る。
そうしてまた長時間を歩いて先ほど迷い込んだ繁華街へ。
そして川を渡り旧市街へ。
そこまでもかなりの距離があったのですっかり夜の装いになっていた。
行こうと思っていた教会なども閉まっていた。
そこから有名な小道の繁華街を歩いた。
この旅でひどく心が折れたことが何度かある。
もうダメだ、本当にもう何処へも進めない、死にたい・・・そんな心になったことが数回ある。
それでも瓶の底に残った僅かなモチベーションで歩いた。
そんな時、ホント奇跡のように僕の心を感動させる風景があり何とか今日まで生き延びてきた。
この日のチューリッヒの夜の繁華街の美しさもそれだった。
僕はオシャレで綺麗な道を歩きながら人知れず涙を流した。
もう少し頑張ろう、もう少し頑張って歩いて行こう。
命も金も人生もかけて、今僕は歩いているのだ。
この日々の先にきっと輝ける日々が待っている。
そう自分に言い聞かせていた。
ジュネーブと同様にチューリッヒにも治安の悪い風俗街はあった。
レストランの看板は何処も非常に高価だったので疲れきってたし迷わずマクドナルドへ。
しかしマクドナルドもびっくりするほど高い。
ビッグマックが1100円位(この日の相場で)。
自分はスイス限定っぽいバーガーセットを買ったら1500円位だった。
マクドナルドで使う金額じゃない・・・と凹んだ。
レジの対応してくれた人は・・・タイ人のオカマさんだった。
しかし同じアジア人だからか「日本人?」と話しかけてくれて注文が出てくるまでの5分間ほど話し込んだ。
「なんで日本人は英語が話せないの?Waterすら言えないよね」と言っていた。
僕も片言だけど僕は話せると判断してくれたようで嬉しかった。
なかなかいい人で、そんなコミュニケーションのお陰で僕の折れた心はまた少し復活できた。
そうして綺麗な夜景、夜のチューリッヒを堪能しながら宿まで長距離を帰った。
道中、噂のスイス銀行なんかを見つつ。
本当に辛くて明日を生きれるか?の自信も無かったのでスーパーでビールを買って宿に帰った。
泣きそうな気持ちは胸の奥にくすぶったまま、朝くすねたチーズなどでビールを飲む。
それでも明日の旅の準備をする。
辛くてもその集中力を切らせたら明日一日も暮らせないからね!
宿代もなかなかだったので恥も覚悟でチーズを沢山くすねて来た。
そして早々とジュネーブを離れチューリッヒに向かう。
電車の中で迷っていたが途中の停車駅ベルンで途中下車の旅をする。
降りようとするとフレンドリーな女性の車掌さん達4人くらいが話しかけてきて僕のチケットをチェックしつつ親切に
「ここはあなたの降りるえきじゃないよ、このまま乗ってればチューリッヒに行けるよ」と言ってくる。
僕は途中下車が違反なのかな・・・と不安だったのでそんな親切な車掌さんたちから逃げるように見つからないようにドキドキしながらベルンで下車する。
ちょっと迷子になりつつも必死に土地勘を発揮して観光地の方に辿り着く。
毎度のことだが見知らぬ街で目的地はどこなのだ?というストレスはなかなかしんどい。
心は折れそうになるが時間にも追われていたので諦めず必死に地図と向き合う。
ベルンは商店街に人が集中していた。
キャリーケースを引きずったままの旅で、なかなかの荒い石畳の道でしんどかった。
教会に行きしんどいけど展望台に登った。
カウンターのお婆さんはフレンドリーに僕のキャリーケースとリュックを預かってくれた。
そういう一つ一つが僕の心を激しく一喜一憂させるのである。
展望台は工事中で見晴らしはイマイチ。
教会では結婚式か何かをしていたようだ。
繁華街を通ってまた駅へ。
予定の電車に乗れてチューリッヒへ。
日本からヨーロッパへ来た際、飛行機乗り換えの際に心をへし折られたチューリッヒに再びやってきたのである。
ちょいと油断して宿探ししていたら全然宿が見つからない。
銀座のような繁華街を一人不釣合いにキャリーケースを引きずって歩く。
目的地と地図のなんとなくの雰囲気で自分の心の集中力がなんとなく決まる。
この日はその漠然と思っていた難易度と現実が最も離れた一日であった。
ここだと思っていた通り、地図を見ながら「今自分はこの通りに居るはず」と思っていた通りが全然違う通りだった。
ようやく気づいて宿の場所を把握するが、道も全然違えば距離も全然違った。
相当距離があるようなので駅に戻ってバスに乗ろうか?しかし駅まで戻ってバスの乗り方を把握する時間もよめない・・・なんて迷いながら歩く歩く。
ようやく辿り着いた宿は受付カウンターすらない。
おかしい・・・と重たいキャリーケースを持ちながら5階まで登る、しかし何処に行っても受付が無い。
見逃したか?と思い下り、しかしやっぱりあの扉の向こうに何かあったのかも・・・とまた登ったり。
一人旅の悲しさ、とにかく些細な移動でも荷物を放置出来ないので汗だくで階段を登り降り。
結局3往復したが見つからず入り口でタバコを吸ってたおじさんたちに話しかける。
すると宿の関係者らしく教えてくれる。
結論なのだが、その宿にはカウンターなどは無くオートチェックインシステムというものだった。
入り口の脇にあるナンバー式のポストのようなものに番号を打ち込むと電子キーが出てくる。
そのナンバーはネット予約した際のメールに(当然英語で)間接的な感じで書かれていた。
予約番号の下四桁って感じで。
そして出てきた鍵はなんと5階、また汗だくで5階まで登った。
部屋は贅沢にも綺麗で広いがネットへの接続の仕方がわからない。
散々あたふたと探すがそれらしきものが見当たらない。
建物の入口に戻るとそこの壁に貼られていた。
それを手にして何とかネットへの接続を確保する。
毎日、宿を見つけてネット接続確保までが安堵への道なのだがここまで相当なハードルだった。
まさか人が居ないオートチェックインなるものがこの世にあるなんて思わなかった。
独り旅、事務的であっても宿の人とのちょいとしたやり取りが僅かな人との関わりなのにそれが無いのは非常に辛いことだと悟った。
独り旅、独り歩き、ひたすら独りで考え事をして大抵ナーバスな心持ちになっている、それが宿の人とのやり取りで一回リセット的な感じにできるのにこの日はそれが出来なかった。
やってることはもうリアルバイオハザードでしたわ!
トータルそのライフライン確保まで2時間以上かかってしまいチューリッヒ観光に当てようと思っていた時間が全然なくなってしまった。
本当に落ち込んでもう宿から出るのもやめようか、と体が動かない。
恥ずかしながらもう辛くて泣いてしまいたい気分になっていた、ひょっとしたらちょっとうるうるしていたかもしれない。
近所に飯屋があったからそこで飯食って今日は終わりにしよう!と思い何とか出かける。
しかしまたもやギリギリの貧乏根性で「せっかくここまで来たのだからチューリッヒの街を観ておこう!」という心を作る。
そうしてまた長時間を歩いて先ほど迷い込んだ繁華街へ。
そして川を渡り旧市街へ。
そこまでもかなりの距離があったのですっかり夜の装いになっていた。
行こうと思っていた教会なども閉まっていた。
そこから有名な小道の繁華街を歩いた。
この旅でひどく心が折れたことが何度かある。
もうダメだ、本当にもう何処へも進めない、死にたい・・・そんな心になったことが数回ある。
それでも瓶の底に残った僅かなモチベーションで歩いた。
そんな時、ホント奇跡のように僕の心を感動させる風景があり何とか今日まで生き延びてきた。
この日のチューリッヒの夜の繁華街の美しさもそれだった。
僕はオシャレで綺麗な道を歩きながら人知れず涙を流した。
もう少し頑張ろう、もう少し頑張って歩いて行こう。
命も金も人生もかけて、今僕は歩いているのだ。
この日々の先にきっと輝ける日々が待っている。
そう自分に言い聞かせていた。
ジュネーブと同様にチューリッヒにも治安の悪い風俗街はあった。
レストランの看板は何処も非常に高価だったので疲れきってたし迷わずマクドナルドへ。
しかしマクドナルドもびっくりするほど高い。
ビッグマックが1100円位(この日の相場で)。
自分はスイス限定っぽいバーガーセットを買ったら1500円位だった。
マクドナルドで使う金額じゃない・・・と凹んだ。
レジの対応してくれた人は・・・タイ人のオカマさんだった。
しかし同じアジア人だからか「日本人?」と話しかけてくれて注文が出てくるまでの5分間ほど話し込んだ。
「なんで日本人は英語が話せないの?Waterすら言えないよね」と言っていた。
僕も片言だけど僕は話せると判断してくれたようで嬉しかった。
なかなかいい人で、そんなコミュニケーションのお陰で僕の折れた心はまた少し復活できた。
そうして綺麗な夜景、夜のチューリッヒを堪能しながら宿まで長距離を帰った。
道中、噂のスイス銀行なんかを見つつ。
本当に辛くて明日を生きれるか?の自信も無かったのでスーパーでビールを買って宿に帰った。
泣きそうな気持ちは胸の奥にくすぶったまま、朝くすねたチーズなどでビールを飲む。
それでも明日の旅の準備をする。
辛くてもその集中力を切らせたら明日一日も暮らせないからね!