メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

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79、最大のトラブル

2013年04月24日 | 魂の旅立ち
前夜にちょっと飲み過ぎて初めて二日酔いのしんどい目覚め。
しかしそんなことをも吹き飛ばすしんどいトラブルに遭遇する。

当然ヨーロッパに行く際に往復の航空券を買っていたのだが、実はパスポートと名前が違っていてしまいそれが心を悩ませていた。
それで前日問い合わせていたのだが、なんと想像外の返答が来る。

ヴェローナからチューリッヒ、そして成田という道程だった。
しかしヴェローナ・チューリッヒ間の飛行機は運休で今はもう飛んでいないので自分で問い合わせてくれという。
???どういうこと?
とパニックになりつつスイスエアラインズに問い合わせる。
イタリア窓口にイタリア語が話せる友人に問い合わせてもらう。

予約していたヴェローナの宿は取り敢えずキャンセルする。
このキャンセルも予約サイトのルール違反なので宿に直接交渉してやり取りした。
えらく大変だった。

そして飛行機はどうやっても駄目だった。
もうひと月も前に廃線になっていた。
とにかくこのままでは僕は帰れない。

購入先の日本のチケット会社に必死に、ホント必死に問い合わせるが知らぬ存ぜぬな回答。
惨めなほどお願いしますを連呼したが駄目だった。
時差もあるしこっちの活動時間でやっても埒があかない。

こんなことが許されるのでしょうか?
片道に換算すると7万円相当のチケット、
メールの返信では、その飛行機は今は飛んでないので知りません。
ウチはチケット会社なので旅程の保証はしません、自分で現地で交渉してください。
規約をコピペしてきて”自分たちには責任はない”と必死で主張してくる。
書かれてる電話番号は海外からは通じず、海外からの問い合わせ窓口もない。

物凄く憤るが、そことやり取りしている時間が無駄に思えてきたので友人と相談した結果、そのチケットは諦め別のチケットを買うことにする。

いきなり翌日の航空券を買うのもなかなか勇気が要るがカタール空港の安いチケットを見つけたので思い切って買ってしまう。
翌日昼のヴェネチアからの飛行機。
まあヴェネチアなら明日朝早く行けばいいだろうともう一泊させてもらうことにする。

もう朝から昼過ぎまでバタバタして疲れ果て現実逃避で再びベッドへ。

夕方になろうかという時間に活動再開して翌日の電車を調べる。
偶然調べたがコレが運命の分かれ道だった。
なんと翌日はイタリアは祝日で電車が少ない。
最も早い電車に乗っても飛行機の一時間前にも着けない。
・・・ヤバい!ヤバ過ぎる!

ごめん!やっぱり今日出ないと間に合わない!とまたもや友人に迷惑をかける。
慌てて宿を探す。
そして既に夕方な時間、ヴェネチアまでは辿り着けない。
仕方なく中間地点のヴェローナの宿を探す。
そう、朝あんなに必死にキャンセルしたヴェローナで再び宿を探す羽目に!
流石に苦労してやり取りした宿を再度予約する勇気は僕には無かった。
仕方なく駅から遠い宿を予約。

そして慌ただしく準備してこの二ヶ月半、僕を滞在させてくれて至れり尽くせりのおもてなしをしてくれた友人宅を去ることに。

実は旅の終盤から今回の旅のきっかけを与えてくれ、親切に色々とサポートしてくれ宿と食事を提供してくれた友人夫婦に感謝の気持ちを伝えたくて伝えたくて何とかしたいと思っていた。
しかし結局何も恩返し出来ないまま出発することになってしまった。

友人に「色々とありがとうございました」と言うと思わず滝のように涙が溢れてしまった。
上手く伝えられず人に見せたくない情けない姿を晒してしまった。

遂にメラーノを去る。
初めてバスに乗り駅まで。

そしてチケットを買いホームへ。
イタリアの指定席以外の乗車券は機械でスタンプを押さなければいけない。
その機械が見つけられずに居ると足の不自由なおばあさんも同じように探していた。
僕はエレベーターにエスコートして探してあげた。
結局ボクの予想は外れ駅の入り口にしか機械は無かった。
もう一度おばあさんと合流して一緒に電車に乗る。
足が不自由なのでずっとエスコートしてあげた。

迷惑かな・・・とおもって別々の席に座ったが、一言だけ「何処から来たのですか?」と質問すると「スペイン」と言われた。
スペインには熱い気持ちを持つ僕、勇気出しておばあさんのボックス席に一緒に座った。
そして僕は旅の話をした。
「スペインに行ったよ!コルドバなどのアンダルシアが大好きでした!」と言うとおばあさんもコルドバは好きだと言った。
「子供の一人がブリュッセルに居る」というので「ブリュッセルも行ったよ!」と言う。
そして嬉しくなった僕はパソコンを出して写真を見せて、イタリア全土、南フランス、スペイン全土、ポルトガル、パリ、ロンドン、ブリュッセル、オランダ、ドイツ全土、スイス、オーストリア、ハンガリー、チェコ、マルタを観光したんだ!と説明をした。
とてもシャイな感じだけど優しい喋り方をするおばあさんは「ヨーロッパの名所全部行ったわね」と笑った。
僕はスペイン語を喋りたい!などと言った。
スペイン語はポルトガル語やイタリア語と似てるよねなんて話をした。

恐らくこのおばあさんがこの旅で出会い交流する最後のヨーロッパの人であろう。
そのおばあさんはヨーロッパに詳しくて、そして日本のことも知っていて。
勝手な思い込みだが、僕の旅の締めくくりにあまりにふさわしい交流で神様に仕組まれていたかのようなドラマチックな旅のエピローグを感じていた。

おばあさんの優しい口調に妙にホッとして、ナイーブの極地の精神状態だった僕は泣けそうだった。
おばあさんも僕のことをとても気に入ってくれたようでボルツァーノが近づくととっても恥ずかしそうに
「ねえ・・・ボルツァーノからヴェローナの乗り換えはどれくらい?良かったら一緒にディナーを食べない?」と誘ってくれた。
本当に心苦しかったが僕の乗り換えの猶予は10分も無かった。
「本当にごめんなさい、乗り換え時間短くて僕にはあなたとご飯を食べる時間がないんです・・・。本当は行きたいけど。」と言った。
そして駅に降り立つ、ヨーロッパはバリアフリーでは無いので電車の乗り降りはかなりの段差の昇り降り。
なので再度おばあさんをエスコートする。

次の電車のホームを調べるための電光掲示板を目指そうとするとおばあさんも「じゃあ、私もそこまで一緒に行くわ」と付いてきてくれる。
今乗った電車が遅れ、おばあさんのスピードに合わせて移動してたために乗りたい電車にはもう間に合いそうもない。
しかし次の終電もすぐに来てしまう。
なので「ありがとう・・・ここでさよならします」とおばあさんに言う。
するとおばあさんは最後にちょっと声を出して「あなたと会えて楽しかった」と言ってくれた。
おばあさんにハグされヨーロッパ流に両ほっぺにキスをしてもらう。
杖を手放して涙目でハグされ、僕は急いでその場を去ったがやっぱり感動で涙がこぼれた。

多分、二度と会うこと無い遠い国の名前も知らないおばあさん。
僕は本当に・・・本当に忘れたくないと思った。
僕の人生で本当に大事な交流だった。
最後の最後に孤独にならずに一緒に旅の総括が出来た。

一期一会である。
心の底から一期一会である。

そうして辿り着いたヴェローナ。
もう23時過ぎ。
全く見知らぬ初めて訪れた街を深夜に歩く。

かなり疲労困憊でしんどかった。
道中ケバブ屋が開いていたのでコーラだけ買った。

川沿いを歩いてようやく辿り着いたホテル。
値段の割にとてもいい設備で綺麗だった。
ただ眠るだけなのに勿体ない気分だった。

そしてヨーロッパ最後の夜。
毎日が冒険だった。
もう翌日の宿を探さなくてもいい。
人生のハイライトのような二ヶ月半を過ごした。

感慨深すぎて眠れっこない、そんなヨーロッパ最後の夜だった。

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